第二の使者、神の信仰申請
本日もお越しいただきありがとうございます。
前回に引き続き、辺境の工房を訪れる“使者”たち。
今回やってくるのは、ひときわ神々しい白銀の一団──どうやら、ただの役人や外交官とは訳が違うようです。
けれどリディアは、どんな相手にも平常運転。
“勘違い”と“分析”の間で、今回も静かに、ときどきズレながら物語が進んでいきます。
ささやかな日常の中に、確かに入り込んでくる“非日常”。
どうぞお楽しみくださいませ。
朝、工房の窓を通して、村のはずれに白銀の光が降り注いだ。
一糸乱れぬ行進。純白の法衣に金刺繍を施した神官たちが、光をたたえるように列をなしていた。肩には聖環の紋章、胸には“リュシア”と刻まれた青い紋章石。
村人たちは騒然となった。
「ひ、光の神官団!? こんな辺境に!?」「なにか……神罰とかじゃねぇよな……?」
「リディア様、また何かしたんですか……?」
いつの間にか“リディア様”呼びが定着していた村人の声を聞き流しながら、リディアはパン生地をこねる手を止めた。
「ふむ……この圧力。空間魔力の揺らぎと、神聖属性の波形が一致。つまり……」
扇を軽く畳み、顔も変えずに立ち上がる。
「新興信仰の営業ですね。午前中はパンが焼けますから、長引かないよう交渉しましょう」
「ぷるる(違うと思うぞ)」スライムが跳ねた。
工房の外、代表らしき若い神官──青銀髪の青年が前に進み出た。法衣はやや簡素だが、まっすぐな目をしている。
「失礼を致します。私は、光の女神リュシアに仕える神官・イオルと申します」
リディアは頷く。「信仰団体の名称と、活動理念、契約条項の概略をまず提示してください。特に布教と献金について明示を」
イオルがまばたきをした。沈黙。少しだけ苦笑を浮かべ、首を横に振る。
「いえ、我々は“契約”のために来たのではありません。女神リュシア様が、正式に貴女を選ばれました」
「選ばれ……?」
「はい。女神は、貴女に愛を抱かれたのです。伴侶として──」
「……なるほど。神格表現による象徴的擬人化信仰。愛=信仰のメタファーですね。分かります」
「い、いえ、違……」
「宗教勧誘には慣れておりますわ。パンを焼いておりますので、簡潔に済ませましょう」
「ぷるる(これは長くなるぞ)」
聖なる訪問は、すでに信仰申請書扱いされていた。
「女神が……私に?」
リディアはパンの生地から手を離すと、濡れ布巾を丁寧にかぶせた。
手を拭きながらイオルの言葉を繰り返す。
「貴女を伴侶として、正式に指名されたのです」
「……つまり、献身対象としての信徒登録を希望しておられると?」
「いえ、そうではなく──」
「いいえ、おっしゃっている“伴侶”というのは比喩ですわよね? 神と人間の契約は基本的に片務的供儀関係。対等な婚姻契約という概念は適用されません」
イオルは苦笑いすら忘れ、頭を抱えた。
「……女神は、恋をしておられるのです。リディア様。愛というものは、理屈や構造でなく──」
「非合理性の主張ですか。構造に組み込めない感情は、私には取り扱いが困難です」
「ですが、あの方は本気で──」
「“本気”という定義が、また曖昧ですわね。神格表現における主観的熱意の可視化は、信仰登録者数による数値化が有効ですわ。現段階では申請書が未提出ですが?」
「……申請書?」
「信仰導入の話ではなかったのですか?」
「いえ、プロポーズです」
「…………」
リディアは2秒沈黙した。そして頷いた。
「では、やはり事前に誤情報が伝わっていたようですわね。貴方が神官でなければ、宗教詐欺の疑いすら持っていたところです」
「神が、詐欺──」
「心外ですか?」
「い、いえ……なんか、色々すみません」
横で、スライム・ぷるるがじっと神官を見つめた。
「ぷるる(よくやった。生きて帰れ)」
「……気がします」
イオルは神の名を背負いながら、すでに人間側の無力さに屈しそうだった。
パンの生地が二次発酵に入った頃、工房の床に張られた魔導ラインがわずかに脈動を始めた。赤ではない。
白銀の光。まるで月明かりのような、柔らかな波。
「……あら?」
リディアが振り返ると、炉の中心部に配置された魔導核がほのかに光っていた。
それはこれまで一度も記録されていない反応だ。
「これは……属性干渉? いいえ……神力……?」
イオルが顔を強ばらせた。
「顕現が、始まる……!」
彼の言葉と同時に、工房の天井が震えるように明るくなる。光が集まり、突き抜け、村の空を割った。
そこに浮かんだのは、一つの輪──
女神リュシアの象徴、“光環”と呼ばれる神環が、天に浮かび上がっていた。
村の人々は言葉を失い、誰かが思わずひざまずく。
「神……様……」
イオルは涙を流していた。
「これが、神の……恋の奇跡……!」
一方、リディアは眉をひそめながら炉を見つめていた。
「干渉波形が不安定……伝導率も増している。やはり神格魔力は炉に負荷が……このままでは構造振動が偏って──」
「ぷるる(それ恋の奇跡って言ってたぞ)」
「炉の異常ですわ。偶然この神官団が来ているというだけの話。現象と因果を混同してはいけません」
そう言って、リディアは天井の聖なる光輪に一瞥もくれず、炉の調整レバーに手を伸ばす。
「まず冷却層を安定化させて……それから、神力波の吸収調整を……」
神官団が涙ぐむ中で、ひとりだけ、パン職人のように炉を整備する令嬢。
奇跡と修理が、同時に進行していた。
天に浮かんだ神環が淡く輝くと、辺境の村にふわりと風が吹いた。温かく、湿り気を含んだ風。
その風に乗って、草花が芽吹き、木々の梢が微かに揺れる。村の畑から、枯れていたはずの小麦が立ち上がった。
「……奇跡……だ……」
誰かが呟く。
「……腰が……腰が治った……!」「盲いた眼が……見える……!」
神官たちは跪き、手を組み、泣いていた。
その中心で、リディアは炉の温度表示板をじっと見つめていた。
「ふむ……炉の出力波形と周囲の変化には、やはり相関がありますわね。つまりこれは……」
「ぷるる(奇跡だな)」
「……偶然ですわ」
「ぷるる(また出た)」
「この炉は古代の魔導炉です。内部の再起動時に微細魔力粒子を発し、植物や神経伝達に作用することがあり得ます」
「ぷるる(たまたま神官が来て、たまたま愛を語って、たまたま女神の環が浮かんで、たまたま奇跡が起きたって?)」
「はい。たまたまですわ」
リディアは工房のカーテンを少し開けて、村のほうをちらりと見る。
花が咲き乱れ、子どもたちが笑い、村の老婆が手を合わせて泣いていた。
「……なるほど。これが“民衆心理における神性反応”というやつですのね」
「ぷるる(違うとは言い切れないけどさぁ……)」
神官のイオルが再び立ち上がった。
光を背に浴びながら、声を震わせて言う。
「これが……女神の“祝婚”の奇跡! リディア様、あなたはもう、この世界の一部などではありません!」
リディアは、パンの生地が過発酵しないかだけが気になっていた。
奇跡の風がやや収まったころ、神官イオルはリディアの前にひざまずき、ひとつの小箱を差し出した。
「こちらは、女神リュシア様からの……“祈りの指輪”です」
銀細工に光の紋章。中央の水晶には、見る者の心を映すような波がゆらめいていた。
「愛の印……として、お納めください」
リディアは箱を開け、わずかに目を細めた。指先で水晶部分を軽く押し、反応を探る。
「……あら、これは」
パチン、と。工房の奥、炉の奥底で、わずかな共鳴音が返ってくる。
「魔導核が……また反応してる。指輪を媒介に、認証信号?」
スライムが横で跳ねた。
「ぷるる(デジャヴかな?)」
「構造は王子のものと似ていますが、これはより精巧ですわね。“聖域信号の埋め込み”……女神の神格魔力が素材そのものに染みこんでいる」
リディアがそっと指輪をかざすと、再び天井に光が走り、今度は聖環の中から、淡い光の幻影が現れた。
──女神リュシアの気配。
その声は、どこか穏やかで、切なげだった。
「貴女の断りは、受け入れましょう。ですが、この想いは、記録として残しておきます。永久の鍵として──」
リディアは息を吸い、炉の横の記録装置に指輪を置いた。
「……やはり、鍵ですわね」
「ぷるる(いや、だからそれ“恋”なんだってば)」
「想いというものが、構造信号として残るなら、再利用は可能ですわ。
つまりこれは“神格由来の感情記録型エネルギー媒体”。……興味深い」
「ぷるる(もうちょっと感情で話せないのかよ)」
上空の幻影はゆっくりと消えていった。
だが、炉の奥では確かに“鍵”が、ひとつ増えた。
断られた神の祈り。それは恋ではなく、回路の一部として、リディアの手に収まった。
最後までお付き合いくださり、ありがとうございました。
今回は“少し特別な使者”の来訪を描きました。
リディアは相変わらず動じることなく、彼女なりの“理解”と“処理”をしていきます。
でも、彼女の知らぬところで、何かが少しずつ繋がり始めているのかもしれません。
日常のようでいて、非日常。静かなズレが、やがて物語の骨格となっていく──そんな予感が漂います。
次回は、村の中で起きる新たな発見と、地下に潜む謎について。
少しずつ広がる世界、ぜひ見届けてくださいませ。