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亡霊たちの映像記録

今回もお読みいただき、ありがとうございます。

王都として再起動した村が静かに動き始める中で、私たちは“象徴”という言葉が持つ重さと曖昧さに触れていくことになります。この話では、主人公が何かを選ばないことで、むしろ何かに選ばれてしまう――そんな逆説的な状況を描いています。静かに立つ姿が、誰かの心を動かす瞬間を、どうぞ見届けていただければと思います。

光だった。


いや、最初は音だったのかもしれない。だがその震えは、ただの音波ではなかった。


工房の核炉の上空、今まで“ただの壁”でしかなかった炉心の外殻が、唐突に――まるで呼吸するかのように脈動し、広がり、変質した。


「光壁だ……記録光壁だ!」


村の少年が叫んだときには、もう広場の空には数十メートルにも及ぶ巨大な円環の光幕が形成されていた。半透明の構造体。その表面には、かつてこの地を統治した者たちの映像が、時間を逆巻くように浮かび上がる。


村人たちは言葉を失い、ただその場に立ち尽くした。


シェイドが、珍しく声を潜めて言った。


「クロウレイン王都――記録中枢、同期完了。過去王系の映像再生を開始します」


空中に浮かぶ初代王の姿は、古代の衣装を纏いながらも、どこか現代的な簡潔さをたたえていた。髭を湛えた厳格な男は、ゆっくりと目を開くと、静かな声で語り始める。


「我らは神に非ず。覇王にも非ず。この座標を守るために創られし者。秩序の調停者として、此処に立った」


村人たちの誰かが、ごく小さく呟いた。


「……神じゃ、なかったんだ……?」


老人が杖を握り直す。少女がリディアの袖を掴む。

だがリディアは、ただ微動だにせず、その光を見つめていた。


次の瞬間、光幕の中に、複数の人影が浮かび上がる。

その一人ひとりが、王冠を持たぬ“王”の顔をしていた。


男もいた。女もいた。老人もいた。若者もいた。

それぞれの時代、それぞれの顔。それぞれの“選ばなかった選択”の記録。


光は淡く、音は遠く、だが確かにそこに在った。


光壁の中――その中央に、ひときわ異質な存在が現れた。


長い銀髪。翡翠の瞳。幼い面影を残しながらも、目に宿る決意は年齢を超えていた。


少女王――その姿は、フィリアとあまりにも酷似していた。だがリディアは、一目でそれが“彼女”ではないと見抜いた。声が違う。背筋の伸ばし方が違う。呼吸の仕方が違う。


光の中の少女は、重々しい沈黙のあと、口を開いた。


「私は選びました。正しさではなく、拒絶を。あの子を――否定するという選択を」


村の広場に、ざわりと風が吹いたような感覚が走る。


リディアは小さく瞬きをして、それだけだった。


「……否定?」


言葉が口をついて出たのは、村の若者だった。かつて街を出て、いま戻ってきた“あの青年”だ。


「否定って、なんだよ。あんたら王ってのは、そんな風に……人を選んだり捨てたりするのが仕事なのか?」


光壁の少女王はそれには答えなかった。

ただ、映像はそのまま、記録された過去の一場面へと移行する。


王冠が地面に落ちる音。

小さな手がそれを拾い上げる仕草。

そして、誰にも見えない誰かに向けて語られる言葉。


「私の選択は、未来への呪い。

 選べなかった子に、選ばせるための、呪い」


リディアの指が、無意識にエプロンの裾を握りしめた。


その視線の先で、光壁の少女が――まるで、リディアを見ているかのように、ほんの一瞬だけ微笑んだ。


「おや……」


ぷるるが、眉をひそめた。


「いま、あの子……笑ったか?」


「錯覚じゃねえのか?」と誰かが返す。


だが、そうではなかった。

リディアには確かに見えたのだ――あの光の王が、微笑んだことを。


それは、過去の亡霊ではなく、

選ばなかった“誰か”が、選ぶことを強いられる“現在”への、皮肉であり祈りだった。


光壁は徐々に薄れ、工房の炉心周囲に静けさが戻った。

映像は止まり、誰の声も響かない。ただ、パンの焼ける香りだけが、現実の匂いとして残っていた。


「……変な話だよな」


村の青年が、ぼそりと呟いた。


「俺たち、王ってもんを見たの、たぶん初めてだったと思うけど。……あの子を見て、ホッとしたんだ。リディア様が“そうじゃなくて良かった”って」


老職人が頷く。


「うむ。あんな風に、決める責任を引き受けるのは、きっと……とてつもなく冷たいことだ。焼くものがパンじゃなくて、誰かの人生になる」


沈黙の中、別の村人が口を開いた。


「でも……それでもやっぱり、俺たちはリディア様のパンを食って、明日を考えてた。あの香りがあれば、まあなんとかなるって思ってた」


別の声が重なる。


「誰でもないのに、象徴になっちまってたんだよな。知らないうちに」


言葉が重なり合う。肯定でも否定でもない、ただの実感。それが広場全体にじんわりと広がっていく。


その空気を、リディアは明確に感じ取っていた。


彼女は、何も言わず、炉の前に立ち、焼き上がったパンを一つ持ち上げた。


「選ばれた覚えも、選ぶ気もありませんのに――どうして皆さん、そんなに重たい視線を向けてくるんですの?」


微笑まないまま、淡々と。

でもその声音には、少しだけ熱があった。


「パンを焼くだけの者に、誰かの未来を背負えというのなら――お断りですわ」


冷ややかでもなく、温かくもない。

ただしっかりとした言葉だった。


ぷるるが、ぽそっと言った。


「それでも、みんな……たぶん“背負ってほしい”なんて、一度も言ったことはないと思うぜ」


村人たちの間に、一瞬の静けさが流れた。


誰かがくすりと笑った。


「そうだな。ただ……うまいパンを焼いてくれる人が、そこにいる。それだけでよかったんだ」


誰もその場で答えを出さなかった。

リディアもまた、炉前で振り返らずにいた。


パンの焼き上がる音、パリ……とした生地の収縮。

それだけが時間を刻んでいた。


その背中を、誰かが言葉で飾ることはなかった。

ただ、その姿に――「誰でもない」という尊さを、村人たちは無意識に感じ取っていた。


工房の天井では、シェイドの光球がふわりと灯る。


「記録保存、完了。過去映像の再生は一時停止されました。次回再生は“選択拒否の確認”がなされるまで保留」


まるでこの空間が、リディアの無意識を守っているかのようだった。


ぷるるが、ぽつりと呟く。


「なんかよくわかんねーけど……あいつが“王じゃねえ”って言ってくれて、ちょっと安心したわ」


リディアは何も言わず、焼きたてのパンに息を吹きかけ、オーブンから取り出した。


「はい、焼きたてですわ。熱いので、気をつけて」


それだけだった。


受け取った子供が、「あちっ」と笑いながら、嬉しそうに手を振る。


その何気ない仕草を、誰もが黙って見守っていた。


――象徴というものは、たぶん、名乗られないまま生まれてしまうものだ。

誰かがそれを担ごうとしなくても、必要な場所に必要な人がいるだけで、灯りのように点ってしまう。


だからこそ、リディアはそれを否定する。

でもその否定すらも、たぶん誰かにとっての、肯定の証になる。


夜の帳が、ゆっくりと落ち始めていた。


パンの香りと、灯りと、言葉にならない信頼が、王都となった村を包んでいた。

最後までお読みくださり、ありがとうございます。

「王でない者が、王のように見える」そんな不思議な空気感をこの話に込めました。権威や制度ではなく、ただ“日常を守る”という姿勢が、人の心にどんな影響を与えるのか――その答えは読者の皆様に委ねたいと思います。

次回はいよいよ各勢力が集い、秩序が試される場面へと向かってまいります。引き続き、楽しんでいただけましたら嬉しいです。

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