帝国より来たる“第一候補”
皆さま、いつもお読みいただきありがとうございます。
今回の物語では、遠方からの来客が村に新たな空気をもたらします。
静かな日々の中に、どこか騒がしさや緊張感が生まれ始めるのを感じていただけるかと思います。
何気ないやり取りの中に浮かぶ“違和感”や“可能性”。
そのひとつひとつが、登場人物たちの選択に、そして物語に静かに響いていきます。
どうぞ最後までごゆっくりお楽しみください。
広場に敷かれた白布が、風にたなびいていた。いつもは子どもたちが泥のついた靴で走り回るだけの石畳が、今日は妙に整然としている。朝から村人総出で掃き清めたのだ。なにしろ――「帝国の使節団」が来るというのだから。
緊張とざわめきのなか、鈍く光る車輪の音がゆっくりと近づいてくる。帝国製の装甲式魔導馬車が、土を巻き上げながら広場へと滑り込んできた。後続には、金の羽飾りをつけた近衛兵たちが静かに付き従っている。
リディアは工房の縁に腰を下ろし、籠の中のパンを静かに見つめていた。
「……来ましたわね。帝国の“観察者”たち」
ぷるるは、かごの中のバゲットの陰から顔だけ覗かせる。
「ぷるぷる……(なんでパンの見張り番させられてるんだ、俺)」
村長が姿勢を正し、よれたマントを引きずりながら馬車へと進み出る。その隣には、見慣れない姿のリュシアが立っていた。今は神ではない。リディアの隣人としてのただの“元女神”だ。
魔導馬車の扉が開く。先に降り立ったのは、赤銅色の装甲を纏った長身の騎士。そして、その後ろから、黒い帽子を目深にかぶった若い使節が一歩を踏み出した。
髪は銀灰、瞳は蒼。淡々とした足取り。
彼女――いや、“彼”と紹介されるはずの人物は、ゆっくりと顔を上げた。
「帝国魔導核統括局、クラヴィス・アル=フェリオン。今回の使節団の副長を務めております」
その声は澄んでいて、どこか乾いていた。まるで論文を読み上げるかのように感情が希薄で、それでいて一言一句に無駄がなかった。
村長が驚いたように口元を震わせる。
「ま、まさか……そちらが“代表”で?」
クラヴィスは首だけをかすかに傾ける。
「おや、見た目で判断されるおつもりですか? それならば、今回の継承判定など、話にもなりませんが」
後ろの兵士たちが、表情を動かさずぴたりと揃って整列した。威圧ではなく、規律の一環。それがむしろ、場の空気を固くする。
リディアは籠から一つパンを取り出し、視線を上げずに問う。
「……顔で選ぶなら、私も不合格ですわね」
ぷるるが「ぷる……(いやそこは少し笑え)」と呟いたが、誰にも届いていなかった。
そのとき、工房の屋根に取り付けられた魔導センサーが、かすかな震えと共に赤い光を瞬かせた。
工房中枢・AIシェイドの冷静な声が、空中に浮かぶ淡光の球体から響く。
「注意:外部魔力体に高位共鳴反応。識別結果:継承候補因子、適合率97.4%。クラヴィス・アル=フェリオン――新規認証登録します」
瞬間、広場の空気が凍ったように静まり返った。
リディアは、パンを持った手を止めたまま、まばたきもせず呟いた。
「……ふぅん。焼き加減だけじゃなかったんですのね」
リディアの言葉の余韻が広場に残る中、クラヴィスが静かに数歩、リディアの方へと進み出る。
「では、あなたが“パン屋のリディア”ですか」
表情は乏しい。だが、観察している。分析している。視線には温度こそないが、確かな焦点があった。
リディアは目を伏せ、手に持ったパンの焦げ目を指でそっとなぞる。
「……本職は元貴族ですわ。パン屋は、いわば趣味と実益の両立です」
「合理的ですね」
会話というより、検分。クラヴィスの一言一言は、反応を引き出すための問いかけにも近い。だが、リディアはまったく揺れない。
「貴方は、“神を不要とする者”なのかしら?」
問うたその声に、わずかに空気が震える。
クラヴィスは一度目を閉じてから答えた。
「私は、神よりも構造を信じます。再現可能性、連続性、選択制。神が失われるなら――それを補えるものを用意すべきです」
リディアは眉をわずかに上げた。
「構造ですの……それで、パンは焼けますか?」
クラヴィスはすっと手を差し出した。侍従が持ってきた木箱を開け、中から四角い携帯炉を取り出す。そして、そこにあらかじめ調整された“自動パン練成キット”を挿入した。
ごぉおん――という低い音。中で魔力が循環し、焼成プログラムが作動する。
十秒後、蒸気が上がった。クラヴィスは出来上がったそれを一つ取り出し、リディアに差し出す。
「栄養価は標準の120%、焼成時間約15分短縮。保存性もあります」
リディアはそれを受け取って指先で軽く押した。
……カチリ。
「焼きたてとは言いませんけれど、これ……クルトンより硬いですわ」
ぷるる:「ぷるぷる(俺の歯でも割れそう)」
村人たちは、遠巻きにそれを見ていた。帝国の技術と、リディアのパン。そのどちらが“正しい”のか、判断はまだつかない。
クラヴィスは静かに言った。
「味では勝てないと、自分でも分かっているんです」
その声には、わずかな諦念と、そして決意があった。
「けれど、私はこの世界に“機能”をもたらす継承者であるべきだと信じている」
リディアは笑わずに、パンを裂いた。中からわずかに煙が出たが、香りは薄い。
「美味しさも、機能の一つですわよ」
会話は静かに終わった。だが、確かに村人たちの心には、何かが落ちた。
広場に漂うのは、ほんのわずかな焦げの匂いと、決めかねた空気だった。パンを受け取った村人たちは、手の中でそれを回し、慎重に齧る。
「……ん、硬いなこれ」
「味、ないわけじゃないけど……リディア様のと比べると」
「保存は……確かに良さそうだな」
「でも……」
言葉にならない感情が、互いの視線の間を行き交っていた。
クラヴィスはそんな様子を観察していた。責めるでも、押しつけるでもない。ただ“反応”を読み取っていた。
「効率を追求すれば、食事も道具になります」
そう言った彼女の口調に、責める響きはなかった。ただの説明。あるいは、自己防衛の一種。
そのとき、村の子どもたちが広場に駆け寄ってきた。リディアに何かを言いに来たようだが、途中でクラヴィスの方に気づき、足を止めた。
「……あの人が、リディア様を代わる人?」
一人の子どもが小さくそうつぶやいた。周囲が一瞬だけ静まる。
「リディア様のパンがないと……お腹すくし……さむいし……」
クラヴィスがその言葉に反応を示す前に、別の子がぽつりと言った。
「クラヴィスさん、パン焦がすよ?」
その言葉に、わずかにどよめきが起きた。
クラヴィスの頬が一瞬だけ動いた。
「……それは、実験中の試作機でして」
「試作でも、焦がしたらあかんでしょ!」と、村の老婆が一喝。
リディアは口元に手を当て、笑いをこらえた表情をした。
「焼き加減こそ、職人の魂ですのに」
「魂とやらで世界は救えません」
クラヴィスの反論に、リディアは眉ひとつ動かさず答える。
「救うことと、暮らすことは別問題ですわ。パンが冷たければ、心も冷えますの」
会話の応酬は静かだが、どこかに火花が走っているようだった。
そして村人たちは、目の前にいる二人を見つめる。リディアは、パンを通して人とつながる者。クラヴィスは、機能と効率をもって人を導こうとする者。
どちらが正しいのか――誰も、まだ分からない。だが、その問いは彼ら自身の選択を強く意識させるものとなった。
工房の奥、魔導炉の心臓部。ふたりの継承候補――リディアとクラヴィスが立ち合う中、炉の魔導灯が微かに明滅を始めた。
「魔力同期、進行中。対象、継承候補──第二候補:クラヴィス・アル=フェリオン」
機械音声が、静かに場を支配する。
クラヴィスの瞳が炉の奥を見据えたまま、細く息を吐く。リディアは炉の脇に立ち、黙って様子を見守っていた。
「何を感じる?」リディアが問う。声は落ち着いていた。
「……波動の同調。呼吸と鼓動が重なる。まるで、私の中の何かが……昔からここにあったみたいに」
クラヴィスが言葉にしたとき、炉の光がひときわ強くなり、ふたつの光球が浮かび上がった。ひとつは赤みを帯び、もうひとつは金に近い白。
「これが……?」
「“継承炉の共鳴応答”ですわ。あなたの意思が、炉に届いた証です」
その瞬間、シェイドの声が空間全体に響いた。
「選定プロセス開始条件を満たしました。ふたりの候補者における精神共鳴、炉反応、社会的影響度の複合評価を実施。評価基準は人間性、理念、技術的資質……および“選ばれるべき世界像”の適合性」
リディアはわずかに目を細めた。
「つまり、誰かが決めるんじゃなくて……世界に、選ばれるわけですのね」
「厳密には、“あなたたちの振る舞い”が世界を誘導します」シェイドが答える。「なお、村全域に簡易選定端末を配布予定。特異反応を数値化し、判断材料とします」
「村人の……反応まで?」
「はい。たとえばパンに含まれる熱量、香気による脳波変動、食後の心拍数……」
「待って、パンですって?」クラヴィスが食い気味に割り込んだ。
「パンが世界継承の判断基準に含まれる? 非論理的にもほどがある!」
リディアは肩をすくめた。
「ふふ……パンはいつだって論理外ですわ。だからこそ、人間の営みとして大切なのです」
クラヴィスは一瞬口を開きかけて、それきり閉じた。
シェイドは静かに結んだ。
「では、“ふたりの未来”の選定を開始します。世界は、あなたたちの生き方に応じて、応えを変えていくでしょう」
光が、ふたつに分かれた。ひとつはクラヴィスの背に、もうひとつはリディアの掌に。
選定は、始まったばかりだった。
朝。工房の窯がふつふつと熱を帯び始め、リディアが捏ねた生地を成形する頃、村の広場には不思議な端末が並びはじめていた。
「これ……何だ?」
羊飼いの老人が、光るキューブを手にとって首をかしげる。
「“選定端末”だそうですよ」
薬草師の娘が説明する。「食べ物の香りや熱に反応して、感情の揺れとかを測るとか……なんでも、神の代わりに継承者を選ぶためって」
「ふむ。じゃあ今度は、パンのうまさで女神を選ぶって寸法かい?」
「しーっ、聞こえますって」彼女は笑いながら指を立てる。
一方、リディアは朝のパンを並べ終えたところで、広場に現れたクラヴィスと視線を交わす。
彼女は白衣の下に、工房から借りた割烹着をつけていた。
「……似合ってますわよ」リディアが言うと、クラヴィスは軽く眉を上げた。
「あなたの感性は参考にならない。だが、ありがとう」
リディアは、ふっ、と一つだけ息を漏らして笑った。
その直後、村のあちこちで端末が反応を始めた。
パンにかざせば光る。口に含んだ瞬間に鼓動を測る。笑顔や沈黙、吐息まで。
老人が一口ちぎって、湯気の香りを鼻に抜けさせる。
「……ああ、こいつは冬を越せる味だ」
端末が、ほのかに金色の波紋を描いた。
その隣で、クラヴィスが持参した栄養圧縮ブロックを配布していた。
見た目は味気ないが、村の老婆がそっと囁く。
「でもこっちは、腹持ちが良くて膝の痛みが楽になるよ」
端末は、青く光る。別種の安堵。
子どもたちはパンを選び、兵士たちはブロックを取る。
教会関係者はどちらにも手を出さず、静かに様子を見ていた。
リディアとクラヴィスは言葉を交わさず、それでも互いの動きを意識していた。
職人としての誇り。科学者としての使命。
交わらず、しかし敵対もせず、ふたりの在り方が村を静かに揺らしていく。
ぷるるが小さな声で言った。
「どっちが勝っても、パンは焼いてくれよな……」
それは、村人たちすべての心の声だった。
最後までお読みいただき、心より感謝申し上げます。
今回は、少し風向きが変わるような、そんなお話だったかもしれません。
誰かが来ることで、日常の輪郭が揺らぐ──その瞬間を静かに描けていたなら幸いです。
登場人物たちの反応を通して、皆さま自身の中にも何かがふと芽生えるような回になっていれば嬉しく思います。
次回もまた、新たな一歩をお届けできるよう丁寧に紡いでまいります。どうぞよろしくお願いいたします。




