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微笑む令嬢、追放される

本日もお越しいただきありがとうございます。


貴族の名を失い、王宮を追われる令嬢。

多くの者が“終わり”と見なすその瞬間から、物語は静かに息を吹き返します。


今話では、“追放”という言葉がどれほど自由で、どれほど鋭利な始まりなのか。

その空気を、彼女の微笑とともに味わっていただければ幸いです。

金色の刻印が押された羊皮紙が、リディアの前で広げられた。

 公証人の老爺が、重たそうな声で読み上げる。


「本書は、王国法第百三十七条に基づき、

 元令嬢リディア=フォン=クロウレインに対する爵位剥奪と貴族籍抹消、並びに追放処分を公的に認定するものである」


 淡々とした口調に、誰も耳を傾けていなかった。

 舞踏会の喧騒の余韻がまだ残る王宮の別室。そこには数名の証人と、書記と、そしてリディアが静かに座っていた。


「魔力測定値“ゼロ”は、王宮監査機関による正規装置での測定を以て三度確認済み──」


 「愚かしいわね」とでも言いたげに、リディアは扇を膝に置いたまま黙って聞いていた。

 誰よりも姿勢が正しく、誰よりも態度が静かだった。


「以上をもって──すべての貴族的権利、財産、従属者との契約は消滅。王国よりの追放を宣言する」


 老爺は書面に自署し、続いて証人たちが筆を走らせていく。


「……元・令嬢。念のため、最後に確認を」


 書記が、やや緊張した面持ちで問いかける。


「ご自身が“魔力ゼロ”であることに、異議は?」


 リディアは、その問いを受けると一瞬だけ書類に目を落とした。

 美しい筆致で書かれた自分の名前。魔力量“0.00”。それが、黒々と刻まれている。


 扇の骨をぱちりと鳴らす音が、静寂を切った。


「記録は丁寧に、嘘のないようお願いしますわ」


 「……はい?」

 書記がきょとんとした顔で聞き返す。


「ゼロだと仰るなら、そうお書きになればよろしい。ただ──」

 扇をくるりと回し、リディアはわずかに微笑む。


「“正確な”ゼロであることに、証明責任があるのは、測定側ですもの」


 書記は返す言葉に詰まり、老爺は小さく咳払いをした。


「記録は法に則って処理されます。退室のご準備を」


 リディアは立ち上がった。

 誰もが視線を逸らすなか、彼女だけがまっすぐに歩を進める。


 廊下の向こうでは、既に次の準備が始まっていた。


「聖女ユリナ様の戴冠式よ」

「まさか、あんなに感動的な演説を聞けるとはねぇ」


 ──断罪の余韻は、もはや語られることすらなかった。


 リディアは扉を抜けてから、一度だけ立ち止まり、見上げた。


 王都の空は、高く、そして──ひどく薄かった。


「……こんなに、白んでましたかしら」


 そう呟いたその声も、やがて風に溶けて消えた。


王都の外れ、貨物搬入口に設けられた臨時の出発場。

 そこに一台だけ用意された、古ぼけた護送馬車。

 彫紋すら消えかけた王印だけが、かろうじて“王命の馬車”であることを証明していた。


 リディアは淡々と、その馬車に乗り込んだ。

 誰も見送らない。門番でさえ、視線を合わせようとはしなかった。


 馬車の中は、予想よりずっと質素だった。

 薄い座布団の敷かれたベンチと、窓のない小さな明かり取りが一つ。

 しかしリディアは何の不満も見せず、静かに腰を下ろした。


 扉が閉まり、車輪がごとごとと回り始める。


 外に乗る護衛兵二人の会話が、布越しに聞こえてきた。


「なあ……俺たち、何を護衛してんだと思う?」

「……無能の女一人だろ? 魔力ゼロって聞いたぞ」

「そうじゃなくてさ。あんな奴、追放で十分なのに……護送付きって、何か裏があるのかって」


 風にちぎれたような笑い声が返る。


「考えるだけ損だ。神託と王命に逆らえるもんか」


 そのやり取りに、リディアは一切反応しなかった。

 視線はただ、自分の膝の上──一つの小さな革鞄に注がれていた。


 スライド式の金具を指先でなぞり、かちりと開く。

 中から、折りたたまれた紙束が現れる。何重にも畳まれた、密集した設計図の断片。


 小さく広げたそれは、まるで“別世界の技術資料”だった。


 直線と円が交差し、ルーン言語と未知の数式が並ぶ。

 制御回路──励起反応──擬似核共鳴──。


 魔導学というより、現代の物理工学に近い記述。


 リディアは、それをじっと見つめたまま、指先で紙の角をゆっくり折った。


「……古代魔導具、随分と低効率で可愛いですわね」


 その呟きは誰にも聞かれず、紙の上に沈んでいった。


 彼女が見ていたのは──

 “過去の技術”ではなく、“未来の残骸”だった。


馬車が止まったのは、昼も夕も区別がつかないような曇天の下だった。

 重たい扉が開くと、ほのかに湿った風が頬を撫でる。

 土のにおいに混じって、錆びた鉄と、苔の匂いが漂っていた。


「着いたぞ、元令嬢様」


 護衛の兵士が、気まずそうな笑みを浮かべて馬車の脇に立つ。

 後ろにあるのは、森に呑まれかけた“村”──否、“廃墟”だった。


 屋根の抜けた家々。折れた柵。朽ちた井戸。

 草が壁を這い、道はすでに獣の通り道に変わっている。


「ここが……エルガル、って村だったらしい。もう記録も残ってないけどな」


 リディアは馬車を降り、周囲を見渡す。

 真っ赤なドレスの裾が、湿った草に触れるたび、音もなく染まっていく。


「人は?」


「……いない。完全無人。昔は魔導実験村だったとかで、でも事故で全部吹っ飛んで、それっきり」


「つまり──」


 扇を開いたまま、リディアはくるりと一周、村の中心を見渡して言う。


「わたくしの王国追放処分は、“空き地への単身投棄”ということですのね?」


 兵士たちは目を逸らした。


「悪いが、俺たちはここまでの命令でな。用事が済んだら、すぐ戻れって言われてる」


 もう一人の兵士が、小声で言った。


「……あんた、本当に大丈夫か? 食料も店も何もないぞ。水はあの井戸が……一応」


 リディアは井戸を一瞥し、ぱちんと扇を閉じた。


「片付けがいがありそうで、むしろ助かりますわ」


「……は?」


「ひとまず、あの建物は二階が生きていそう。あとは魔導炉の痕跡……あら、あれは制御塔跡かしら。ふふ。可愛らしい構造」


 兵士たちは、沈黙した。


「……お前、泣き叫ぶでもなく、絶望するでもなく……なんで、そんな平気な顔してるんだ?」


 リディアは、ただ静かに微笑んだ。


「わたくし、“高貴な令嬢”を捨てたのではなく、“煩わしい装飾”を剥がしただけですもの」


 そして、草を踏みしめて歩き出す。その背を、兵士たちはしばらく見送っていた。


「……なあ」

「なんだよ」


「ほんとに“無能”なのか? あの女」


 返事はなかった。馬車はゆっくりと、王都の方角へと走り出した。


陽が落ち、廃村は一面の影に沈んでいた。

 瓦の抜けた屋敷の一階、その中でも最も天井が無事だった一角に、リディアは腰を下ろしていた。


 片手には魔導ランプ。かすかな青白い光が、崩れた柱と埃まみれの帳面を照らしている。


 外では獣の遠吠えが一声、途切れがちに響いた。

 だがリディアはそれを一瞥しただけで、すぐに手元へと視線を戻した。


 小さな金属製の筐体。

 折りたたみ式の脚がついたその機器は、彼女の手によって短時間で組み上げられた、自作の魔力測定器だった。


 王宮のものとは異なり、魔力量を絶対値ではなく“変動波形”で捉える。

 高精度ではないが、誤魔化しのないノイズ信号を検出できる。


 カチ、とスイッチを入れると、薄緑色の表示球がぼんやりと光る。


 ──ノイズ。


 測定器の中で、微細な波がうねるように上下し、数値化された。


 0.00ではない。

 かといって、正確な数値にもならない。


 「……なるほど」


 リディアは指先で測定球をなぞり、息をついた。


「ゼロですの? いえ──これは“測定不能”、とでも言うべきですわね」


 彼女の声は、夜気の中で溶けていく。


 王宮の測定装置が拾えなかったのは、単に“基準外”だっただけ。

 彼女の魔力は、既存の枠組みから外れている──それだけの話。


 その確信が、何の感情も伴わずに彼女の中に沈んでいく。


 しばらく黙ってから、彼女はランプの火を少し強めた。

 そして、ふと──思い出したように、仮面舞踏会の夜を思い返す。


 あの瞬間。

 ユリナが、王子の腕の中で見せた、ほんの一瞬の──“光”。


 額に、金色の紋が揺らめいていた。まるで、神の加護そのもののように。


 「……神様って、あんなに都合のいい構造してましたかしら?」


 誰にも聞かれることのない問いだった。

 けれど、その呟きには妙な冷たさがあった。


 彼女は測定器の電源を切り、再び鞄を閉じた。

 そして、崩れかけた窓の向こう、星もない夜空を見つめたまま──長く、瞬きをしなかった。


朝露がまだ残る空気の中、リディアは屋敷の外に出た。

 風は冷たく、草は濡れ、空はまだ灰色を帯びている。


 彼女は一つ、深く息を吸い込み、息を吐いた。


「……肺が痛むほど澄んでますわね。王都ではこうはいきませんわ」


 廃村をゆっくり歩く。

 崩れた壁、草に覆われた小道、潰れた納屋。だが、そのすべてが“生きているように見えた”。


 まるで“ここにはまだ使えるものがある”と言わんばかりに。


 やがて彼女は、丘の斜面に埋もれた小さな建物跡に辿り着く。

 それは地下への階段口らしきものが、半ば土砂に埋もれていた。


「地下炉管理棟……でしょうね」


 指先で土を払うと、露出したのは黒曜石のような台座。

 中央には、ひび割れた球体──魔導炉の“心臓部”。


 煤にまみれ、かろうじてかつての光を想起させるだけの、朽ちた遺構だった。


 リディアはしゃがみ込み、球体にそっと触れた。

 ほんのわずかに、指先に熱が伝わる。


「……あなた、まだ動くかしら?」


 その問いかけに、球体が応えるはずもない。

 だが──


 ずるっ。ぬるり。


 その隣で、何かが這い出してきた。

 小さな、半透明のスライム。


 水色の身体がぷるぷると震えながら、リディアを見上げる。

 つぶらな“何か”を宿したその球体の生物は、炉の底に巣くっていた個体のようだった。


 「……あなた、オーブンの精ですの?」


 リディアは小さく笑い、スライムの頭(?)を軽く撫でた。


「まあよろしい。まずは掃除と……火起こしと……パン焼き器の改造ですわね」


 腰を上げ、黒曜石の台座にそっと手を当てる。


 その手の動きは、まるで“古びた命令系統”を呼び覚ますかのように──慎重で、慈しみに満ちていた。


 そして彼女は、振り返りもせずにこう呟いた。


「……パンでも焼きましょうか」

ご一読、誠にありがとうございました。


追放――それは捨てられることではなく、“持っていく必要のないもの”を置いていく行為なのかもしれません。

冷たく、それでいて澄んだ空気を纏って、彼女は境界を越えました。


次に訪れるのは、忘れ去られた地。

そして、何気ない一言が、再び世界を動かすきっかけとなります。


次回もどうぞ、ごゆるりとお楽しみください。

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