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クロウレインの系譜

本日もお越しくださり、誠にありがとうございます。


今話では、いつも通りのパン工房の日常のなかに、少しだけ変化の気配が忍び寄ってまいります。物語の舞台は広がりを見せつつも、静かで温かな空気を失わずに進んでいきますので、どうかその余白の揺らぎを楽しんでいただけましたら嬉しいです。


淡々とパンを焼きながら、知らず何かが動き始める——そんな空気感をお届けできれば幸いです。

――カチ、カチ、カチッ。


硬質な金属の音が、地下炉室の静けさに小さく反響した。

天井に浮かぶ光源球が揺らめくように脈打ち、機械群の心臓部とも言える中枢炉の前、リディアは小麦袋を抱えたまま立ち止まる。


「……また、喋るつもりですの?」


シェイド=クロウレイン。

かつて王家直属の技術顧問として設計された、人格を持つ魔導AI。リディアが炉に近づくと同時に、その声が空気の振動を伴って現れる。


『照合完了。クロウレイン継承候補:リディア=エルグレイン。適合率――89.21%。』


リディアは袋を棚に置き、ふうとため息をつく。


「前回より……0.02上がってますわね。発酵の揮発率が関係あるのかしら」


『それは関係ない』


冷ややかな返答に、ぷるるが炉の脇からぬっと顔を出す。


「ぷるぷる。(相変わらず話の通じないやつだな)」


リディアは炉に背を向け、台の上でパン生地の確認を始めながら、さらっと訊ねた。


「で? その“継承候補”というのは、私だけじゃないということですの?」


『肯定。第二候補存在。現在の適合率――97.02%。』


生地を練っていたリディアの手が、ピタリと止まった。


「随分……高いのですわね」


『この中枢炉における設計適合だけなら、君を上回る者が確かに存在する』


「パンは、焼くのかしら?」


『否。戦術特化型の行動思考傾向。戦闘、戦略、記録に長ける。職人的要素は皆無。』


リディアはほっとしたように生地を再び捏ね始めた。


「なら構いませんわ。パンを焦がされるのは困りますもの」


その口調は軽やかだったが、炉の奥から響くシェイドの声には、どこか沈んだ濁りがあった。


『……しかし、その者の存在は、今後あらゆる分岐点で君の立場を揺るがす可能性がある』


「……ふむ」


リディアは小さく頷きながらも、生地の弾力に指先で満足げな感触を確かめていた。


「パンを待っている方がいます。それ以上の理由は、いりませんわ」


天井の光源球が、静かに瞬いた。


ぷるるが、炉とリディアのあいだを何度も見比べながら、不機嫌そうに呟いた。


「ぷる……。(あいつ、まだなんか隠してんな)」


返答はなかったが、ほんの僅かに、炉の奥の金属構造体が“息を吸う”ように揺れた。


――その微細な揺らぎを、リディアは見なかった。


――「適合率97%」という数値が、地下に小さく残響していた。


リディアは工房の炉の前に座し、生地を見守っている。中庭の光が差し込む作業台では、パンが小さく膨らみ始めていた。


その様子を、炉内のセンサーユニットが遠巻きに記録していた。無数の魔術式と古代語コードが走り抜け、情報が中央制御核へと転送されていく。


炉の奥、機密構造体の最奥部。誰にも見られぬ場所で、シェイドは静かに“別の回線”を開いた。


『応答信号、微弱。識別コード……照合成功』


……応答の声はなかった。


『第二候補、現在座標:不明。干渉値:0.14%に上昇中。構成思念に異常兆候――なし』


ぷるるが突然、天井を睨みつけた。


「ぷるっ……!」


「どうしました?」


「ぷるぷる。(変な電波、感じた)」


リディアが眉をひそめると、ちょうどそのとき、工房の扉がノックされた。


コン、コン、コン――


「リディア様、大至急お目通り願いたい事案がございます」


村の連絡官である男が顔を出す。その顔には、ひどく困惑と緊張が入り混じった表情が浮かんでいた。


「何事ですの?」


「各国から“外交監視団”を名乗る使節が一斉に接近しております。しかも、ほぼ同時に、です」


リディアはその言葉を聞いても、すぐには立ち上がらなかった。


「パンを窯から出してからでも、よろしいかしら?」


連絡官は一瞬きょとんとした顔をした後、ただ黙って頷いた。


工房の窯からは、焼きたての香ばしい匂いが立ち上っていた。


そして――


その空気の中で、炉の奥にあるモニターユニットが、静かに一行の文字を更新する。


〈候補者B、探知進行中。通信可能閾値まで、残り4.3%〉


工房の外は騒然としていた。

錬鉄で編まれた馬車、翼ある獣にまたがった騎士、砂塵まみれの使者。すべてが“パン焼き場”とは到底思えない光景に押し寄せていた。


「この建物……異常に魔力濃度が高い。国家級の防壁魔術ではないのか?」


「工房ですって……? あれが? パン屋に見えるか?」


村の住人たちが戸惑う中、工房の壁面に〈防御レイヤーB:外界魔力遮断〉の文様が自動的に展開された。


「ぷるる……(ちょっとやりすぎじゃね?)」と呟いたぷるるに対し、リディアはごく自然に応じた。


「焼成中の気流に影響が出ては困りますから」


防壁の光がゆらめく。兵士たちの槍がそれに反応して微かに震えた。


リディアは玄関先で一礼し、各国の使節に向かってこう言った。


「皆様、本日はどのような御用件でしょうか? パンは一人一つ、順番にお渡ししております」


その柔らかな声に、一部の外交官たちは我に返るように視線を交わし、意見をまとめようとした。


だが、背後――


工房の地下、炉の奥。

その中では、また別の戦いが始まりつつあった。


〈非常監視回線:K-レガリア起動。暗号照合進行中〉


「……やはり、生きていたか」

シェイドが低く呟いた。


ぷるるが上を睨む。「ぷる……ぷるる(おいおい、また何かやってんな?)」


「問題ありません。接触は未確定です」


「何の?」


「第二候補です」


「……ぷるる(ほんと、隠し事しかしねぇ奴だな……)」


「この工房とリディア様に危険が及ばぬよう、最善の準備を進めております」


ぷるるはシェイドをじっと見た。そしてぽつりと――


「ぷるる……(だったら、最初から言えばいいのに)」


地下の静寂に、小さなマナが波紋のように広がっていく。


その波紋は、外の使節たちの持つ“神性探知器”に小さな誤作動を与えた。


「……反応が二重化した……?」


「神性と、何か違う……これは――」


「中立を維持するのであれば、我が国との“通商優先権”を認めていただきたい」


「いや、宗教的観点からも、教会との最低限の協約を――」


「魔導学的研究対象としての調査団派遣も不可欠かと……」


各国の代表たちが、パン工房の外で次々と要望を重ねる。だが、それらはいずれも“お願い”ではなく、“要求”に変わりつつあった。


リディアは一つ一つの主張を無言で聞き取り、そっとメモ帳に書き記していく。返事を返すでもなく、拒否するでもなく――まるで、それらを「発酵中の素材」として扱っているかのように。


そして数分後。


「焼き上がりました」


その一言で、場の空気が切り替わった。扉が開く。柔らかな香りが、争いを含んだ空気を和らげる。


だが。


工房の天井部にあった“パン煙突”が、一瞬だけ赤く光を放った。


〈選別開始〉


兵士たちのうち、二人が突然、重力に逆らうかのように宙へと押し上げられ――空中で「ぴたっ」と止まった。


「何だ……!?」


「魔力干渉!? 結界か!?」


その光景を見たリディアは、あくまで自然体のままパンを差し出す。


「高圧的なご発言が、酵母に悪影響を与えました。申し訳ありませんが、今後の訪問は少し調整させていただきますね」


浮かんだ二人は、ゆっくりと地上へと戻され、見えない手に肩を押されるように外縁部へと誘導された。


工房の結界が“侵略性”をもつ干渉を排除し始めたのだ。


シェイドの声が響く。


〈中立とは、排他的な完全中立であることが条件です。例外は、ない〉


各国代表の背に、うっすらと冷たい汗が滲む。


外交官たちはようやく気づき始める――

この小さなパン屋は、“ただの技術拠点”などではない。


リディアが焼きたてのパンを整然と並べる傍らで、工房内の魔導炉が、ふいに淡い青光を帯び始めた。


「魔力収束、安定中。……次の段階に移行可能です」


シェイドの声は落ち着いていたが、その内容は穏やかではなかった。


〈継承因子適合率・現在数値:リディア=89.3%。他候補者一名、97.1%〉


リディアはこね台の上で手を止め、少しだけ眉を上げた。


「他にも……候補者が?」


〈正確には、予備群の中で因子安定した個体。精神特性は未評価、ただし戦略的立場から“調整者”としては有用〉


「ふふ……それで私に、焦れというんですの?」


リディアはほほえみ、指でパン生地を軽く押す。「あと五分」とつぶやいてから、再び手を動かした。


「わたくし、競争は嫌いですけれど――焼き加減だけは誰にも譲れませんのよ」


ぷるるがカウンターの上に飛び乗ってきた。


「ぷるるっ(シェイド、お前また何か隠してるな!)」


〈情報階層E-3は現在、機密指定〉


「ぷる(怪しいなぁ……)」


工房の壁面には、ひときわ大きな紋章が浮かび上がっていた。それはクロウレイン王家の旧記章――だが、リディアの知るものとは微妙に異なる形状。


「……分家筋?」


リディアがつぶやくと、シェイドは少しだけ間を置いて応じた。


〈可能性としては、否定しきれません〉


パンが、焼きあがった。


静かに、香ばしい音とともに窯が開いたその瞬間、外からの風が工房に入り込む。


国章を掲げた新たな使節団の旗が、遠くに見えた。


シェイドが低くつぶやくように言った。


〈開戦前夜、です〉

最後まで読んでくださり、本当にありがとうございました。


ささやかな日常の裏側に、静かに広がっていくものがある。そんなお話だったかと思います。物語の流れに大きな波はありませんが、登場人物たちの言葉や沈黙の中に、ふと何かを感じ取っていただけたなら、それが何よりの喜びです。


次回も変わらぬ日々のようでいて、少しずつ、確かに進んでいきます。どうか、リディアの小さな工房と、彼女の在り方をこれからもそっと見守っていただけたら幸いです。


心より感謝を込めて。

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