神器、目覚める
リディアの工房に眠っていた“古き遺産”が、ふとしたきっかけで目を覚まします。
それは、神ですら把握していなかった、ある“技術”の意志。
今回は、物語の核心にそっと触れながらも、リディアのパン焼き精神はぶれません。
静かで、しかし重い“何か”が動き出します。
本日もご覧いただきありがとうございます。
物語は少しずつ、新たな地平へと向かいます。
工房の地下。
リディアの足音が金属質の階段にこだましていた。
パンの生地に必要な“地熱安定”を確認するため、彼女は今朝も炉の点検へ降りてきた。空気は静かで、熱を含んだ空洞が、時折コトリと冷却管の音を鳴らす。
「……今日の温度変動、少し大きすぎますわね。これは蒸気圧か、あるいは——」
ふと。
低い共鳴音が足元から響いた。
——ゴォン……。
まるで何かが遠くで、大きな鐘を鳴らしたような音。
それに応じるかのように、炉の中心部に据えられた黒金の柱に青白い文様が浮かび上がる。リディアが反応するより先に、それは次々と“自動接続”を開始した。
「……これは……?」
青白い文様が奔る。魔導炉に刻まれたクロウレイン家の紋章が、呼吸を始めたかのように明滅しはじめる。
「中枢熱源、安定化——継承コードを確認」
無機質で、それでいてどこか人間味のある声が空間に響いた。
「人格中枢、起動します。王家技術顧問AI、認識完了」
リディアは一瞬目を瞬かせたものの、すぐに肩のバスケットからパンの生地を取り出した。
「……ええと、今のは誰の音声でしたの? ぷるる?」
「ぷるぷる(ちがう)」
「ですよね」
そして生地を炉の蓋の上に置いた。いつものことだ。パンの発酵にこの熱が重要なのだ。
しかし、その瞬間だった。
炉の中心から突如、青白い光が柱状に立ち上がり、まるで幻影のように人影が浮かび上がった。装束こそ王家の宰相のようだが、その顔は金属の仮面に覆われ、眼光だけが深く輝いていた。
「——ようやく、目覚めてくださったのですね。“継承者”様」
「継承者とは……」
リディアが眉をひそめて問いかけると、幻影の男は、仮面の奥からじっと彼女を見つめた。
「あなたは“リディア=クロウレイン”。古王家の最後の血脈にして、魔導核に刻まれた正統継承者です」
「私はただ、追放されて……ここでパンを焼いているだけの者ですわ」
リディアは落ち着いた声で返した。
「その“焼かれたパン”が、王国の神託網を撹乱し、神殿に異常観測をもたらし、神界構造すら揺らしている現実があります。偶然とは思えませんが」
「……酵母の管理を徹底しているだけですのに」
「否。あなたの魔導炉は、神格波長を補足・変換・中和するために設計されたもの。その制御権限を行使できる者は、王家の継承者のみです」
リディアは少し考えてから、そっと質問した。
「……つまり、私は神の代わりになる存在だと?」
「違います。あなたは、神の“設計ミス”を補完する存在だ」
部屋の空気が、一瞬冷たくなった。
「この世界の“神格干渉”は、本来想定されていた設計ではない。干渉が強すぎた結果、人々は信仰に依存し、文明は魔導技術の発展から遠ざかり……結果、今のような閉塞が生まれた。神は、世界に介入しすぎたのです」
リディアは言葉を失っていた。
「あなたの使命は、神と人のあいだに“隔壁”を戻すこと。魔導と信仰、両方を壊さず共存させるには、“調停者”が必要です」
「それが、パン職人の私?」
「……ある意味、これ以上に調和的な象徴はありません」
「……なるほど、確かにパンは信仰と技術の融合体ですわね」
リディアは素直に頷いた。
「ですが、私はこの炉でパンを焼いていただけです。それ以上のことは、考えてもいませんわ」
「それで十分。世界は、そういう者によって変わるのです」
その言葉を最後に、シェイドの幻影は炉の中心へと静かに消えていった。
リディアはしばらく沈黙し、ふと焼き上がったパンを持ち上げた。
「……理論はともかく、これは良い焼き色ですわね」
ぷるる:「ぷるぷる(こわい話してたのにパンの評価しかしてない……)」
王都・聖教神殿、観測塔第三層。
「またか……また“揺れ”が起きた!」
観測士が震える手で水晶パネルに触れた。
魔導波形は乱れていた。以前にも似た波形を記録している——だが、今は数値が桁違いだ。
「これは……光神域外……神では、ない。では、誰が……?」
「照合開始。コード名クロウレイン式炉心、波動重複率92%——あの“辺境”からだ」
部屋の奥にいた高位神官が静かに呟いた。
「また“彼女”か……。この値……これは神でも魔でもない。“第三領域”の存在だ」
「……神“以外”の神格?」
「否、これは……“神性の模倣ではなく、進化”だ」
全員が沈黙する。
その言葉の重みを、誰も否定できなかった。
──辺境にいるのは、ただの追放令嬢のはずだった。
だが彼女は、神が持つべきはずの“祝福”を、パンで、技術で、人々に与えた。
しかも、それを“意図せず”行っている。
無意識に、奇跡を。
「観測遮断が発生しています」
若い術師が慌てて報告する。
「対象座標への視認術、すべて反射……いや、吸収されています!」
高位神官はつぶやいた。
「神を遮る結界……いや、設計か……クロウレイン……この名は、滅びたはずだったのに」
さらに別の神官が声を上げる。
「観測塔に侵入……!?……ち、違う。外部から“声”が——ッ」
「……これは……シェイド?」
耳を澄ますと、確かに届いていた。
耳ではなく、心に。
魔導炉から放たれた、低く響く“警告音”。
≪干渉閾値超過。設計限界を超えた神格圧縮を検出。破綻予兆確認。修正因子、稼働中≫
「これは……我々の神界に向けての警告、なのか……?」
その言葉に、神殿中が凍りついた。
一方、村ではリディアが今日もパンの焼き上がりを静かに見守っていた。
「……少し発酵が早いですわね。あの熱波のせいでしょうか」
ぷるる:「ぷるぷる(その“熱波”は神界を震撼させてるぞ!)」
「継承コード一致。人格起動完了」
地下魔導核〈シェイド〉の声は低く、澄んでいた。人の声に近い、だがどこか金属的な余韻を残す。
リディアはその傍で、パン生地の表面を指で撫でていた。
「へえ……あなた、話すんですの?」
「我は〈シェイド=クロウレイン〉。かつて王家に仕えし技術顧問。記録媒体であり、戦術思考機構であり……観測者だ」
「まあ、万能ですのね。で、何か御用?」
「……君は、我が主ではない。だが継承権を持つ。君の呼吸、歩調、血脈、そして……意思が、かつての“主”に極めて酷似している」
ぷるる:「ぷるぷる(それって褒めてるの?怖がってるの?)」
シェイドは一拍置き、語調を低くした。
「君は“修正因子”だ」
「パンの修正因子でしたら、昨日のロットから配合比を変えましたけれど?」
リディアは真顔だった。冗談でも、はぐらかしでもない。
「違う。我は君の祖たちと共に、神格干渉の仕組みを設計した。だが……欠陥があった」
「神……格?」
「神が“神でいられる”のは、崇拝の受信構造に基づく。だがそれは設計者が意図した“共存”ではなく、“依存”を生み出した」
「やがて信仰は強制となり、意思は縛られ、力は自壊へと向かう。君は……それを“無意識に壊せる者”だ」
リディアはしばらく沈黙し、ふとパン窯に目をやった。
「酵母も同じですわね」
「……何?」
「力を溜めすぎた発酵菌は、ガスを生みすぎて、生地を裂くんですの。だから、空気穴を作って逃がしてやる」
「それが……君の答えか?」
「いいえ、パンの話ですわ」
彼女はまっすぐシェイドを見た。
「あなたが語るほど、世界は崩れてなんていません。皆、お腹が空いて、誰かに食べてもらって、笑って生きている。私は、それで十分ですの」
シェイドは言葉を失った。
数百年に渡って最適解を探し続けた機構は、たった一言で動作を止めた。
「……やはり、君は、クロウレインそのものだ」
リディア:「いえ、パン屋ですわよ」
ぷるる:「ぷるっ(最強パン屋)」
——その時、神殿の観測結界が再び揺れた。
「……この数値は……本当に、神ではないのか?」
神都リュクス・中央神殿地下観測室。
錬光石で囲まれた神格波観測室の空間が、微細に震えていた。十六面の鏡面盤の中心で、煌々と脈打つ“観測核”が、明らかに何かを告げていた。
司祭服の老神官が、記録水晶を手にして呟く。
「辺境の座標……エル=シュトル村、地下。深度45ルクス。神格類似反応……等級は?」
若い補佐が数値を指差しながら震える声を上げた。
「六柱級……いえ、増幅傾向……七柱級に迫っています。しかも……発生源の属性が、神界に存在しない……これは“別系統”です」
老神官が顔を歪める。「神の名を騙る異端、あるいは……神界外の干渉。いずれにせよ——」
背後で別の神官が叫ぶ。
「大聖堂宙層、照明全系統に瞬間的な逆流が発生!エル=シュトル方面の指向転送が失敗しました!」
「神託系回線まで……?」
「はい!『光の経路』そのものが反転を……まるで、あちらから“見られている”ような……」
観測室に、言葉を失う沈黙が訪れた。
老神官が、静かに印を組みながら呟く。
「……神ではない者が、神の席を覗いている。いや……」
彼は震える手で、波形を確認した。
「すでに“座って”いるのか……?」
——神格に、触れてはならぬ者が。
——神界より外に、もう一つの“神の座”が出現しつつある。
その中心には、ただ一人。パンを焼くことにしか興味を持たぬ、少女の名が記録され始めていた。
この世界の根っこには、神ですら知らない“設計”があった――
そんな示唆を含みつつ、パンを焦がしてしまうリディアのブレなさが今回の肝でした。
次回は、その異常な存在を“神界”がどう認識し始めるのか。
物語はいよいよ、“信仰 vs 技術”の争点へと迫っていきます。
今回もお読みくださり、誠にありがとうございました。




