王都を襲うもの
お読みいただきありがとうございます。
舞台はふたたび王都へ。
静かに進行していた“辺境の異常”が、ついに中央の空を揺らし始めます。
これは、名もなき存在に気づきはじめた世界の最初の一歩。
見上げた空に何が降り注ぐのか、ぜひ目撃してみてください。
王都フェルディアの空は晴れ渡り、白金の塔に太陽が反射していた。
神託の祭典。
五年に一度、女神リュシアの祝福を授かるとされる聖日である。
城下の聖堂前広場には、各国の賓客から王国貴族、民衆に至るまでが押し寄せ、
その中央に設置された大理石の祭壇を、すべての視線が見上げていた。
白い礼服に身を包んだ少女、聖女ユリナ=モモセは、
両手を胸元で組み、涙ぐむような表情で祭壇に登壇する。
「今日、この日を迎えられたのも……ひとえに、皆さまの信仰と、女神様の導きのおかげです……」
朗らかに響くその声に、群衆から「聖女様……!」と声が上がり、拍手が湧く。
壇の隣には、王太子エリオット。
誇らしげに腕を組み、微笑みを湛えていた。
「……完璧だ。あれこそ、我が王国の象徴だ」
その顔には、“正しき未来を選んだ”という確信が浮かんでいた。
だが──その頭上、高く。
誰も気づかぬ遥か上空に、ぽつりと黒い点が浮かんでいた。
それは、風の流れにも逆らい、じわじわと拡大していた。
まるでこの世界の色を、少しずつ削ぎ取るように。
それが、災厄の影だと、まだ誰も知らなかった。
ユリナは、静かに目を閉じていた。
純白のローブに包まれた両手を掲げ、
女神へ捧げる祈りの言葉を、胸の中で何度も繰り返す。
(……どうか、リュシア様……この身に、また“光”を……)
毎回そうだった。
舞台に立ち、視線を受け、心を震わせれば――
まるで慈しみが降るように、あの甘く柔らかな光が体を包み込み、
言葉が女神の声として流れ出す。
だが、今回は。
(……あれ?)
まったく、何も、降りてこなかった。
舞台の空気が、徐々に違和感を孕み始める。
民衆が、ざわつき始めたのを肌で感じた。
言葉を紡げない。喉が凍りつくようだった。
(リュシア様……? 聞こえていますよね? わたし、いつも通りです……)
額に汗が滲む。頬が引きつる。
エリオットが小声で言った。
「ユリナ?……大丈夫だよな?」
答えようとするが、声にならない。
胸の奥、どこか違う何かが、冷たい感触で触れてきた。
神でも、祝福でもない。もっと、底知れぬ“何か”。
ユリナの背筋に、ぞっとする感覚が走る。
(……だれ……? これ、女神じゃない……)
彼女の両手が、ほんの僅かに震え始めた。
民衆の期待が静寂に変わり、
その場にいたすべての人間が、何かに“気づきかけていた”。
最初に響いたのは、
重低音のような“羽ばたき”だった。
空を見上げた誰かの叫び声が、群衆の静寂を切り裂く。
「あれ……な、なんだ……!? 鳥……?いや、あれ……!」
目を凝らした者たちが、思わず言葉を失った。
黒い塊。幾重にも重なる影。
それは、巨大なワイバーンの群れだった。
何十体、いや、何百体。
空を埋め尽くす規模で、王都の上空に現れたのだ。
「避難を──っ!逃げ──っ!」
兵士の声があがるも、すでに遅い。
ワイバーンのうち数体が、火球を口から吐き、広場の端へと叩きつけた。
炎が爆ぜ、人々が悲鳴を上げ、
その場は一瞬にして、地獄のような騒乱と化した。
「衛兵っ!聖女を守れ!民を誘導しろ!」
王太子エリオットが叫ぶが、兵たちは動けない。
視線は空に釘付けで、足がすくんでいる。
ユリナはその場にへたり込んでいた。
「な、なんで……リュシア様……光を……!光を……!」
彼女の手が震える。女神の力は、どこにもなかった。
そしてその時、観測台から魔導士が駆け下りてきて叫ぶ。
「……空に“雷柱”が立った!またです!辺境から……!」
その言葉に、群衆のどよめきが広がる。
エリオットの顔から血の気が引いた。
「まさか……まさか、そんな……!」
だが、確かに──“それ”は現れていた。
遥か遠く、王都とは逆方向の空に、白銀の雷柱が再び立ち上ったのだった。
観測塔の内部、魔導波動計測器の針が軋むように振り切れていた。
「これは……ただの魔力じゃない、空間を穿つ“神格圧”だ……!」
魔導観測士は青ざめながら報告を上げた。
「波源は辺境、第二観測線上。前回と同座標。雷柱の発生を確認しました」
「さらに……これは……!」
別の観測士が、震える手で表示パネルを指さす。
「反応位置に、“古代継承刻印”が浮上。クロウレイン式……間違いありません」
報を受けた宰相は、机の上で握ったペンを折った。
「クロウレイン……? まさか、あれが……再起動したというのか」
その名に、側近たちは息を呑む。
“クロウレイン”――古代魔導王家の名。
王族の中でも最も古く、最も神に近かったとされる一族。
王太子エリオットのもとにも、報告が届いた。
「クロウレイン……それは、確か……」
言いかけて、彼は絶句した。
彼の記憶が無理やり掘り起こすように、
一人の少女の姿を浮かび上がらせる。
銀の髪。紫の瞳。無表情の微笑。
「……リディア……?」
その名を、口にした瞬間、胸に何か重たいものが落ちた。
ユリナはなおも震えながら、空を見上げていた。
「……やだ……あれ、なんなの……? わたし……わたしの光を、奪った……?」
誰にも答えはなかった。
ただ空に、“彼女”のものと思しき雷が、再び煌めいていた。
王都の大神殿、神託の間。
聖域とされたその部屋に、初めて動揺の空気が流れた。
高位神官たちが、祈祷台に置かれた“聖水晶”を囲んでいたが──
そこに、リュシアの光は宿らなかった。
神官長が顔をしかめ、深く額に手を当てる。
「……神託は……沈黙している……」
他の神官たちも次々に呟き始める。
「それどころか……今、全く別の座標に神格の波動が集中している……!」
「なに? まさか、別の巫女器が……?」
「記録上、その場所は……辺境、旧クロウレイン領だ。だが継承者など……!」
沈黙のなか、ひとりの神官が恐る恐る呟いた。
「……神は、巫女を替えるおつもりなのか……?」
衝撃の言葉だった。
聖女ユリナ=モモセの神聖性に、公式に疑問が投げかけられた瞬間だった。
そのころ、広場ではユリナが必死に何かを訴えていた。
「聞こえないの……声が……リュシア様の声が……!」
涙を流し、祈り、叫ぶ。
けれど、どこからも、光は届かなかった。
彼女の中に確かにあったはずの“輝き”は、今や完全に失われていた。
代わりに頭をよぎるのは、昨日見た夢の中のあの銀髪の影。
(わたしの中の“何か”を、あの女が……)
自分だけが、“女神に選ばれなかった”のだと、ようやく理解した。
「……誰よ……!わたしの光を……奪ったのは、誰なのよぉおおおおっ!!」
ユリナの悲鳴が、王都に虚しく響いた。
だがその問いに答える者は、誰もいなかった。
ただ遠く、辺境の空に、銀の雷柱が一層まばゆく閃いていた。
最後までお付き合いいただきありがとうございました!
今回はリディアが姿を見せずとも、“彼女の痕跡”だけで世界が動いていく回でした。
無自覚なまま伝説が始まり、無自覚なまま中心に立つ。
その構造が、じわじわと浸透してきたかと思います。
次回はいよいよ第二のブレイクポイント。
あの工房が……本気を出します。どうぞお楽しみに。




