工房、要塞化を始める
本日もお読みいただきありがとうございます!
辺境で静かに暮らすはずだったリディアの周囲に、ほんのりと“異変”が広がりはじめます。
彼女にとっては“パンの焼き加減”の話でも、世界にとっては……?
ほのぼのとした日常と、とんでもない規模のズレがじわじわと現れる回です。
それでは、どうぞごゆっくりお楽しみくださいませ。
辺境の寒風が吹きすさぶ朝。
しかし、リディアの工房の床には、霜がまったく降りていなかった。
「温度が一定……ようやく、発酵時間が安定しそうですわね」
彼女は無造作に広げた設計図の前で、頷いた。
足元には、ほんのりと光を放つ石板状のパネル。魔力を利用して温度を均一に保つ“熱制御床”の原型だった。
「この魔導配線が、地下から自然に接続される……ふむ、自己修復型なのは助かりますわ」
軽く指を鳴らすと、工房内の床下に走る魔力ラインが“ピリリ”と音を立てて反応し、まるで意思を持つかのように村の外へ向かって延びていった。
「……え?」
まったく予想外の動きに、リディアは眉をひそめた。
「ちょっと、あなた。どこへ行くつもり?」
話しかけられたのは配線ではなく、足元のスライムだったが、彼女は完全に“そういう存在”として認識していた。
「ぷるる(なんか……村に、勝手に伸びてってるよ)」
「……やはり」
リディアは無表情のまま頷く。
「まあ、パンに最適な気温が保たれるなら、問題はありませんけれど」
その数時間後、村の家々の内部――とくに床が、不自然に暖かくなっていることに村人たちは気づいた。
「おい……薪を焚いてないのに、なぜこんなにぬくいんだ?」
「……うちの壁も、なんかほわって光ってる……え、え? 何これ、火事!?」
「ちがう! 焦げ臭くない! ……これ、魔法か? いや、もっと……なんだこれ……」
すでに“リディアの工房”から延びた魔導配線が、村の居住区を勝手に経路拡張していた。
灯光・温度・湿度までもが自動管理され始めており、村は静かに“快適”へ向かって進化していた。
そのことを、リディア本人はただ――
「これで、理想的なブリオッシュ生地ができそうですわね」
と、ご満悦の様子で呟いていた。
翌朝、工房の屋根から“きいぃん”という不快な金属音が響いた。
リディアが扉を開けて外に出たとき、すでに工房の屋根には三層構造の塔がそびえ立っていた。
色は淡い銀。表面には幾何学的な紋様が刻まれ、中心部からゆっくりと魔力の光が脈打っている。
塔は、完全に工房と一体化していた。
「……こんなの、設計していませんわよ」
リディアは静かに塔を見上げ、腕を組んだ。
「素材は……あれ、自己再生合金ですわね。形状は……まるで、観測機? いや、違う。これは……」
「ぷるぷる(それ、多分……飛べるやつ)」
足元のスライムが、リディアのスカートの裾をちょいと引っ張りながら警告した。
「飛ぶ? 空を?」
「ぷる(うん)」
リディアは沈黙した。目を細め、塔の中腹にある楕円形のくぼみをじっと見る。
そこには、“格納式展開翼”らしきパーツが収納されていた。つまり、スライムの言う通り。
「……パンを飛ばす理由があります?」
「ぷるる(ない)」
「そうでしょう。わたくしも、まったく意味が分かりませんわ」
リディアはあっさりと背を向け、工房の中へ戻っていく。
塔は、カチリと一音立てて“待機モード”に入った。
誰もいない屋根の上。わずかに開いた塔の展開孔から、微かに空気を撹拌する風が漏れ出していた。
その動きはまるで、呼吸のように穏やかで、どこか不気味だった。
「おい、お前のところ……夜になっても窓、光ってただろ」
「うん……けど火もつけてないし、誰もいなかったのに……。あれ、勝手についてるんだよ」
「……怖くないか?」
「でもな、不思議とあったかいんだ」
村の広場で、何人もの村人たちが同じような話をし始めていた。
誰もが、自宅や倉庫、井戸の周囲など、生活圏に“勝手に設置された光源”や“床暖”に戸惑っていた。
しかも、どれもが一定の距離を保ち、整った配線構造をしているというのだ。
「俺のとこなんか、納屋の扉が……いつの間にか、開けると自動で灯がつくんだぞ?」
「井戸の水がぬるい……冬なのに……どういう理屈なんだ……」
「なあ、あの令嬢……本当に、人間なのか……?」
その問いに、答えられる者はいなかった。
一方、工房内では――
「発酵、良好。温度安定。湿度、少し低めですけれど、許容範囲ですわね」
リディアは魔力管理装置に手をかざし、パン生地の膨らみ具合を観察していた。
「……やはり、工程最適化は重要ですわ。手順は常に三歩先を読んでこそ、“美”が宿りますの」
後ろで、スライムが窓辺に張り付きながら外を見ていた。
「ぷるる(外、村人がずっとこっち見てる)」
「……また何か?」
ドアの向こうから、ためらいがちなノック音。
「……クロウレイン様。あの……少し、よろしいでしょうか」
入ってきたのは村長だった。彼は帽子を握りしめ、目を伏せている。
「なんでしょう。パンを分けろと?」
「い、いえ……! あの……もし失礼でなければ、お聞かせ願いたい……」
「?」
「あなた様……本当に、人でございますか? それとも……“神の使い”か、あるいは神そのもので……?」
リディアは無言で村長を見つめた。
「……パンの発酵効率を上げたいだけですわよ?」
数秒の沈黙ののち――村長は、膝をついた。
「こ、これはご無礼を……!」
スライム:「ぷるっ(うわぁ)」
工房裏手にある地面が、ある日――黙って裂けた。
「カコォン……ッ!」
音とともに地中からせり上がってきたのは、円柱状の巨大装置。直径三メートル、高さは十。
その砲身には焼けたような痕がまだらに浮かび、表面には薄く蒼い魔導文字が浮かんでいた。
「……またですの?」
リディアは眉ひとつ動かさず、朝食中のトースト片手に現場にやって来た。
「……これは……照準機構? 砲身……可変式……?」
彼女は装置の下部に手を当て、微弱な震動を確かめる。
「けれど……まだ、発熱が足りませんわね。焼成には不十分」
「ぷるぷる(ねぇ、これ武器だって分かってる?)」
「ええ、“焼成炉”ですから。わたくしのパンには、繊細な火加減が必要なのです」
スライムはしばし沈黙した。
その時、装置の砲身にうっすらと現れた銘文があることに、リディアは気づいた。
〈CROULAIN_02〉
「クロウレイン……またこの名前ですの。どこかで聞いたような」
「ぷる(自分の名前……)」
「え? なんと?」
「ぷるる(いえ、なんでもない)」
装置はその後、再び静寂を取り戻したように見えた。
けれど地下で、小さな魔導炉の脈動と同期するように、ゆっくりと“起動準備”の音が鳴っていた。
それを、彼女は――聞いていなかった。
「──着眼標高、確定。あれが、辺境指定第七地区“クロウの廃村”……のはずだが」
山頂に設けられた仮設の魔導観測台。
そこに設置された巨大な水晶透視鏡が、ゆっくりと焦点を結ぶ。
「……おい。あれ、見ろ」
観測士が仲間の肩を叩いた。透視鏡の中心に映ったのは、異様な光景だった。
村の中心部にそびえる銀色の塔。それに絡みつくように走る膨大な配線網。
まるで意志を持つ植物の根のように、村の隅々にまで張り巡らされ、各所で灯光・蒸気・冷却霧までもが発生している。
「おい……これ、本当に誰かが住んでるのか?」
「工房だ。屋根に塔……内部に炉心。あれ、“自動再構築型”の古代仕様かもしれんぞ」
「馬鹿な、そんなモノ……再現できたのは大戦前だけだ」
「いや、あれ……“自律制御”だ。自己進化型の挙動をしている」
「じゃあ中にいるのは、まさか……管理AI? それとも、遺産の使用者か?」
一人の観測士が、喉を詰まらせるように呟いた。
「……まさか、都市種子じゃないだろうな。現存例ゼロの……あの伝説の……」
全員が、硬直する。
それは“国家そのものを一夜で展開可能な魔導構造体”――
過去に滅びた十七の国が、争って手に入れようとし、そして失われたはずの、禁忌の遺物。
「……ありえない……だろ?」
「だといいがな。連絡しろ。王都へ、“報告不能の異常構造を確認”と」
風が吹いた。辺境の空気が、わずかに震えていた。
そしてその工房の主は――
「今朝はパンがしっとりしすぎましたわ。加湿をもう少し調整するべきでした」
そう、棚の奥でトングを片手にクリームパンを皿に移していた。
お読みいただきありがとうございました!
今回もリディアは“無自覚に”日々を工夫し、快適に過ごしているだけ。
ですが、その結果として村はまるで魔導都市のように進化しはじめ――外の世界が静かにざわつきます。
次回は、いよいよ王都サイドに大きな波乱が。
彼女の名前を伏せたまま、世界が動き出す様子をお届けします。
次話「王都を襲うもの」も、ぜひお楽しみに!




