第三の使者、戦神ガルゼオスの祝婚命令
本日もお立ち寄りくださり、誠にありがとうございます。
辺境の村にてパンを焼き、静かに過ごすはずだった少女のもとへ──
またしても、“とんでもない来訪者”が空から現れます。
今回は少しだけ空気が違います。
スケールも、声の大きさも、筋肉量も、すべて規格外。
そんな相手に対しても、リディアはいつもの調子で、静かに、冷静に──
それでは、どうぞお楽しみくださいませ。
午前十時。
焼きたてのパンの香りが、村にほどよく満ちていた。
リディアは工房の炉の火加減を調整しながら、焼き石板の表面温度を確認していた。
「230度……この小麦粉は225が限界ですわね」
炉の傍ではスライムがぷるぷると跳ねている。
「ぷるる(きょうも焼けてるな)」
「ええ、焼けていますわ。順調そのものです」
──その瞬間だった。
空が、裂けた。
正確には、青空のど真ん中に亀裂のような光が走り、次いで雷鳴が轟いた。
村の畑を耕していた男たちが一斉に顔を上げ、子どもたちが「雷!? 晴れてるのに!?」と騒ぎ出す。
そして、天の裂け目から“それ”は降ってきた。
火球のような閃光。
そこから現れたのは、まるで神話の挿絵から抜け出したような存在──赤銅の肌、巨大な双肩、浮き上がる筋肉の彫刻。
雷の槍を背に携えた、巨神の如き男だった。
「村に神が降りたぞおおおおお!!!」
「逃げろーッ!!」
村人たちが悲鳴を上げ、蜘蛛の子を散らすように逃げ惑う。
工房の窓辺から、それを見たリディアは、パン生地をこねる手を止めた。
「……また“何か”来ましたわね」
スライムも、跳ねるのをやめてぷるっと静止していた。
「ぷる……(おまえ、もう慣れてるな……)」
赤銅の巨神は、雷の階段を地上に作り、その最上段から村全体を見下ろしながら叫んだ。
「この地に在りしは──唯一無二の強者ッッ!!
我が名は戦神ガルゼオス!! すべての力を讃え、我が伴侶として迎えに参った!!!」
「……祝婚、ということですわね。
随分と物理的な文書提出ですけれども」
リディアは、炉の火をとりあえず“保温”に切り替えた。
空の神が現れようと、パンの生焼けは許容できない。
雷の階段を踏みしめて、戦神ガルゼオスが工房の前に着地した。
ドンッと地面が鳴り、石畳がひび割れる。
空気が震え、雷の残滓が肩のあたりで燻っていた。
「お前が、この村の主か! 炉を従え、地に力を通す者……!」
「魔導流路の施工責任者であることは確かですわ。どうぞご用件を簡潔に」
「強い! 圧倒的に強い!! この我が神格を感じ取らず、なお平然と対応するその胆力!!」
「……いえ、気圧差と光の屈折から、かなり高次の転移術と予測できましたので。
乱入パターンとしては予測の範囲内です」
「完璧だ!!!」
ガルゼオスが手を天に突き上げた。「ならばもう話は早い!」
「お前、俺の嫁になれ!!!」
「……はい?」
「我が神界で、隣に立てるのはお前しかいない!
お前の作りし魔導炉は、我が鍛えた戦斧よりも熱く、鋭い!!
お前の眼差しは、我が雷槍よりも真っ直ぐだ!!」
リディアはまばたきを一度し、その言葉を“解釈”した。
「……つまり、私の構築した魔導炉の構造評価と、制御技術の正確さに敬意を表し、
それに対する戦力統合提案、あるいは技術融合の打診──と、理解してもよろしいかしら?」
「──ん?」
ガルゼオスが眉をひくつかせる。
「“嫁になれ”というのは、我が力と魂をお前に預けたいという意志の表明!!」
「力と魂、ですか。それは要するに、汎用神格魔力の譲渡申請ということですわね?
……では、受理の可否を検討する前に、能力数値と構造安定度を明示していただけますか」
「いや、ちが──!」
「ぷるぷる(こいつ、ぜんぶ誤解してる……)」
「お前のような者を、俺は生まれて初めて見た!! これほど誇らしく、そして話が通じぬ者を!!」
「ええ、よく言われます。たいていの求婚者は話が途中で破綻していきますので」
「それも誤解だーっ!!」
「この村に、祝婚の神壇を設ける!」
ガルゼオスの声が雷鳴のごとく響き渡り、村の中央広場に“雷の祭壇”が形成されていた。
石が空から降りて重なり、炎が自ら灯り、空気がぴたりと凍りつくような緊張が走る。
村人たちが固唾をのんで見守る中、村長がリディアに耳打ちした。
「お、お嬢さん……あれは……結婚式……?」
「いえ、現段階では“契約締結の宣言”に該当しますわ。
契約条件の提示なく式典を開始するのは、順序として逆です」
「そ、そうか……そうだな……」
雷壇の上、ガルゼオスが両手を広げて宣言する。
「我が名は戦神ガルゼオス! 破壊と力の神!
今日この日、己が全存在をかけて、此度の婚姻を高らかに誓うッッ!」
ざわ……
村人たちが顔を見合わせた。
「こ、これって……本気なんか……?」
「神様が……祝婚を……?」
そのとき、リディアが静かに壇の前へと進んだ。
姿勢は正しく、歩幅は乱れず、風も巻き起こさない。
ただ、その一歩一歩に“空気が変わる”気配があった。
そして壇の前で、きちんと礼をしたうえで、
言った。
「大変ありがたいご提案ではございますが──
私、そういった“お付き合い”というものに、あまり理解がございませんの」
「──」
「そもそも、感情の熱量を基準に関係性を構築するという設計思想は、
合理性を欠きますし、運用実績も主観に依存しすぎております」
「──」
「ですので、もし神格のエネルギー譲渡を目的とされるのであれば、
より明確な規格形式と、安定供給ラインの提示をお願いしたく──
ですが、恋愛的意味合いを含む“祝婚”であるならば」
リディアは、ごく自然な微笑で、言った。
「──申し訳ありませんが、お引き取り願えますか?」
一瞬、空気が止まった。
雷が鳴るでもなく、風が吹くでもなく、
ただ、“音がなくなった”。
その場にいた全員の視線が、神と、少女に集中した。
スライムが一拍おいて跳ねた。
「ぷるる(ふ、振った……神を……)」
ガルゼオスは、何かを飲み込むようにぐっと拳を握り、
だが怒らず、何故か──感動した顔でリディアを見つめていた。
工房の地下、光が脈打った。
それは祝婚を断ったその瞬間、雷壇から発せられた神格波が、
魔導炉の熱流と重なり、見えない導線をたどって中枢に届いたからだった。
中枢核“リエラ”の幻影が淡く揺れながら起動音を上げる。
「第三鍵、認証完了──神格断絶に基づく魔導媒体、登録」
リディアは炉の前でパンの成形をしながら、天井の薄い振動を聞いた。
「……また、地下が騒がしいですわね」
「ぷるる(断ったから動いたのか)」
リディアは手を止め、工房の裏口から地下へ降りる。
薄明の中、スロットがひとつ──新たに光を灯していた。
「確認。鍵3件目、装填済み。起動率:60%。残数:4件」
「これでまたひとつ……断った求婚が、装置の燃料になったというわけですわね」
リエラの幻影が応える。
「否。正確には、“受け入れられなかった意志の残滓”がエネルギー化された結果です。
対象者の感情強度が高ければ高いほど、高純度の魔導波を抽出可能」
「……要するに、“重たい片想い”は、エネルギー効率が良いと」
「肯定。しかも今回の神格波は高次構造。
魔導炉との干渉性が非常に優れており、波長制御機能に追加の拡張が可能です」
リディアはスロットの発光を眺めながら、ふと笑う。
「……なるほど。私に好意を寄せ、拒絶された神すら──
こうして“装置の部品”にされていくということですのね」
「神は、感情の変質に極めて弱く、しかも根に持つ存在です。
よって“断られた愛”は、最も安定した供給源となります」
「魔導の根本原理が、こんなにも情緒的に支配されていたとは……
皮肉が過ぎますわね。まったく」
中枢装置は、なおも静かに動き続けていた。
スロットの数は、あと4つ。鍵の数だけ、想いが断たれ、残されていく。
リディアはため息混じりに炉心へ目をやり、呟いた。
「……誰が設計したのか、会って叱って差し上げたいですわ。本当に」
雷壇の上で、戦神ガルゼオスは静かに拳を握りしめていた。
顔は俯き、鍛え上げられた肩がわずかに震えている。
村人たちは固唾をのんで、その沈黙を見守っていた。
誰もが、次に何が起こるのか読めずにいた。
やがて──ガルゼオスはふっと笑った。
「……良い。実に良い。これほどまでに、堂々と! 完膚なきまでに!
愛の申し出を断ち切られたのは、生まれて初めてだッ!!」
その声は、怒りでも悲しみでもなく、圧倒的な“爽快感”に満ちていた。
「拒絶されたということは、我がまだ未熟である証!!
さらなる高みを目指す理由を、お前はくれた!!」
「……論理構造としては無理がありますが、まあ納得していただけたのなら」
「お前は強い。そして冷たい。だがそれゆえに、美しい。
お前に振られたという勲章は、我が神生における最大の誇りとしよう!」
雷壇が再び音を立てて上昇し、空へと接続する。
ガルゼオスは振り返り、空を見上げながら高らかに宣言した。
「フェルディアの空に告ぐ──この地には、神々の手にも届かぬ存在がいる!!
いずれ我ら全神格は、この“無自覚なる中心”の前に、膝をつくだろう!!」
雷光が空を貫いた。
轟音とともに、戦神は空の彼方へと姿を消した。
──しん、と、音がなくなる。
その場に残された村人たちは、放心したまま硬直していた。
「お、おい……いまの、求婚だったんだよな……?」
「神が……雷の壇で……プロポーズして……振られた……?」
「でも、なんか嬉しそうだったぞ……?」
スライムがぴょこぴょこと工房の玄関へ戻っていく。
「ぷるぷる(また来そうだな、あれ)」
リディアはパンの焼き加減を確認し、炉を再加熱した。
「雷と神と告白──パンの生地が発酵を狂わせましたわ。
……まったく、世界の中心などという称号、うるさくて仕方ありませんのに」
炉が、ぽうっと優しく赤く光った。
その熱は、何かを予感させるように、静かに工房を包み込んでいた。
最後までお付き合いいただきありがとうございました。
力強く、直情的で、あまりにも真っ直ぐな言葉は──
受け取る側の温度差をさらに際立たせることもあります。
けれど、その“すれ違い”すら、どこか愛おしく見えてくるのが不思議です。
次回からは、村の発展がさらに進み、
リディアの過去と“ある名前”にも新たな光が差し込み始めます。
次章も、どうぞよろしくお願いいたします。




