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舞踏会の招待状は死刑宣告

この物語を手に取っていただき、ありがとうございます。


タイトルが少々(いえ、かなり)長くて驚かれたかもしれませんが――ご安心ください。

最初のページをめくったその瞬間から、この物語は意外と“静か”に始まります。

魔法もあります。神様も出ます。王族も登場します。

でも、物語の中心にいるのは、「パンを焼く」ただの一人の女の子です。


彼女は“選ばれし者”ではありません。

けれど、その日常が、少しずつ、世界のほうを変えていく。

そんなお話です。


「強さ」ではなく「香り」が、“未来”を変えるとしたら――

ちょっと気になってきませんか?


どうぞ、香ばしい一ページ目から、ゆっくりとお楽しみください。

王宮最奥の広間グラン・サレに、千の燭火が揺らめいていた。

 金銀の装飾が壁一面に溶け込むように埋め込まれ、夜空の星を模した天井画が燦然と輝く。仮面をつけた貴族たちが、笑みを張りつけたままシャンパンを揺らし、囁くように言葉を交わしている。


「……今夜だろうな」

「ええ、“例の令嬢”が、ついに」


 その名はあえて口にされなかった。

 けれど、視線が自然と同じ方向を向いた瞬間、空気がわずかに震えた。


 ──リディア=フォン=クロウレイン。


 彼女が、舞踏会の扉を静かにくぐった。


 真紅のドレスは血のように深く、白銀の髪を引き立たせる色合いだった。背筋は完璧なほど真っ直ぐに伸び、ひとつの無駄もない所作で歩くその姿は、貴族としての威厳を体現していた。


 けれど、誰の顔にも仮面があるなか──彼女だけが、仮面をつけていなかった。


 紫の瞳が冷ややかに広間を一瞥し、微笑んだ。それは誰にも向けられぬ、静かな諧謔のような笑み。


 ざわ……ざわ……


 会場の端で、貴族たちの口元が歪む。


「また威張って……もうすぐ断罪されるってのに」

「仮面もつけずに、よほど自分が“高貴”だと思ってるんでしょうよ」


 口にする者たちは、仮面の奥で笑っていた。

 侮辱も、侮蔑も、嘲りも。今夜だけは、それが“許される夜”だった。


「クロウレイン令嬢」


 ──その名を呼ぶ声が、会場全体を震わせた。


 高座の上、王太子エリオット=アールヴァインが立ち上がっていた。

 金髪碧眼、完璧な貴公子の面立ちに、やや陰りのある決意の光が宿っている。


「広間中央までお越し願いたい」


 その言葉が、宣告のように空気を裂いた。


 リディアは、一度だけ瞬きをして、ゆっくりと扇を閉じた。

 姿勢を崩さず、ただ一歩前へと進み出す。赤いドレスの裾が波のように揺れ、左右の貴族たちが何も言わず道を空ける。


 その足取りには迷いがなかった。


 けれど──その背中に、誰一人として“哀れみ”を抱く者はいなかった。



 会場の中央。燭台の光が交差するその場所で、リディアはぴたりと歩みを止めた。

 静寂。まるで時が止まったかのように、誰もが見つめる。


 リディアは何も言わない。ただ、わずかに顔を上げてエリオットを見上げる。

 その瞳に、感情の波はなかった。


 ──と。


 ギィィ……と、重い扉が再び開いた。


 場内が一瞬揺れた。誰かが息を呑む音。

 振り返ると、そこにいたのは──ピンク色の髪をふわりと揺らす、一人の少女。


 華奢な体に純白のドレス。

 頬には薄紅がさし、涙がきらりとこぼれ落ちる。


「わたくし……」

 その声は震えていた。だが、どこか計算された震えだった。


「わたくし……リディア様に……ずっと……いじめられておりましたの……!」


 ぱちん、と誰かが扇を取り落とした音がした。


 貴族たちの間に、波紋のようなざわめきが広がっていく。


「……聖女様?」

「リディアが……聖女に?」


 少女──ユリナ=モモセは、細い指で頬の涙を拭った。


「私、王宮に来てから……何度も“無能”だと、罵られて……」

 ちら、とリディアを見やる。その表情には、勝者の色が浮かんでいた。

 だが、その“勝者”の微笑みは、誰の目にも映ってはいない。


「私の魔力が不安定だと知られてからは……部屋に鍵をかけられ、食事も届かなくなって……あの方は、いつも……冷たい目で私を……っ」


 その場にいた誰もが、意識してリディアを見た。


 彼女は、やはり動かなかった。

 紫の瞳はユリナを一度だけ見ただけで、あとはまるで彼女の言葉が壁越しに聞こえてくるかのように──静かだった。


 ユリナの涙は止まらず、彼女の肩を支えるようにして、二人の女官が背後から現れた。

 そのどちらも、聖職者の紋章をつけている。


 「聖女であると証明されたのです」と言いたげな演出。


「私……こんなこと……本当は言いたくなかったのです……でも……! でも……!」

 泣き声の合間に、ちらりとエリオット王太子の方へ視線を投げた。

 まるで「ね?」と合図を送るように。


 王子は、小さくうなずいた。

 その眼差しは、断罪の確信に満ちていた。


 静けさを割るように、王太子エリオット=アールヴァインが一歩前へ出た。

 金色の仮面を外し、場に響く声で告げる。


「──皆の者、耳を傾けよ。今宵、この王宮にて重大なる告知を行う」


 緊張が走った。会場全体の空気がきしむ。

 貴族たちがざわつき、次第にその意図に気づき始める。


 「ついに、か」「やはり“断罪の夜”だな」


 エリオットは、リディアに向き直ると、はっきりとした声で言い放った。


「リディア=フォン=クロウレイン。貴女との婚約を、此処にて正式に破棄する」


 その瞬間、場が爆ぜた。


 誰かが笑い、誰かが拍手し、誰かが酒を落とした。

 それは歓声とも嘲笑ともつかない、奇妙な熱気だった。


「理由は明白だ」

 エリオットは、まるで自分が世界の秩序を正す英雄であるかのように語る。


「貴女は“聖女”ユリナを侮辱し、迫害し、その魔力を妨げた。

 そして何より──貴女自身の魔力量が、王族に相応しからぬ“ゼロ”であることが確認された」


 その言葉に、貴族たちは一層の拍手を送る。


 リディアは、その間も一言も発さなかった。

 目を伏せず、ただまっすぐに王子の顔を見据えていた。

 だが、その瞳はまるで──“学術論文の不備”を見つけたときの研究者のように冷めていた。


「聖女ユリナは、我が王国に神託をもたらし、民を癒し、奇跡を起こした。

 この場を借りて、我は彼女を“王妃候補”として認め、支持を表明する!」


 バンッ、と王子が杖を床に打ちつける音が鳴る。


 それに応じるように、ユリナが両手を胸元に重ね、小さく震えながら──けれどしっかりと微笑んだ。


「……わ、わたくしなんて……まだ未熟で……でも、でも、皆様が……」

 涙声に、貴族たちはまた拍手を送る。「真の聖女だ」「これぞ新時代の王妃」と。


 ──そして。


 その熱気の中で、たった一人だけ、明らかに“温度が違う”者がいた。


 リディアは口元に扇を添え、ふっと笑った。


「……ようございましたわ」


 それは、完璧な礼節を守った、感情の欠片もない──ただの事務処理報告への相槌だった。

 リディアの「ようございましたわ」という一言が、あまりに無機質だったせいか、貴族たちは一瞬、反応を忘れた。

 けれど、すぐに場はまた熱狂に包まれる。


 ユリナが手を胸に当て、小さく震えながら言った。


「私……こんな立派な舞踏会で……こんなにも沢山の方々に祝福されて……本当に……本当に、幸せ者ですわ……!」


 声を震わせ、涙をこぼす。だがその涙の落ちる角度は、完璧に舞台の中心を意識したものだった。


「でも……それもこれも、あの方が身を引いてくださったから──」

 ちら、とわざとらしくリディアへ視線を送る。

 まるで敗者に“立派な引き際”を演出してやる、優しい主役のような仕草。


 そのときだった。


 「…………茶番は、お済みになられました?」


 リディアの声が、ひどく静かに響いた。


 一瞬、会場の空気が止まる。


 ユリナが、戸惑うように目を瞬いた。「え……?」


 リディアは動かない。けれど、ほんの少しだけ扇を下ろし、真っ直ぐにエリオットを見た。


「ご満足いただけたようで、何よりですわ。婚約破棄に伴う処理は──王家の名において、迅速に行ってくださいますでしょうね?」


 その一言に、エリオットは顔をしかめた。


「……貴様の態度はなんだ、その口ぶり……!」


「質問ですわよ?」

 遮るように、リディアは淡々と。

「私は本日より“爵位剥奪”“婚約破棄”の対象。となれば、その扱いは法に準じ、私物の返還、屋敷の解放、従者の再配属、全てが整って然るべき──。それとも、王家は感情に任せて手続きを放棄なさる?」


 会場が静まり返る。


 リディアは誰にも見せつけることなく、ただ淡々と、貴族たちの“言い逃れ”を先回りして封じていく。


 「な、なんだあれは……」

 「断罪されてる側の口ぶりか……?」


 貴族の誰かが震え声で呟いた。


 だが、エリオットはもうそれ以上返せなかった。

 リディアの言葉は“正論”であり、誰も“正論”を打ち消す手段を持たなかった。


 最後に、リディアは静かに頭を下げた。完璧な貴族の所作で。


「──処理を。法に則り、粛々と、どうぞ」


 その瞬間、彼女はこの国の“令嬢”ではなくなった。

 同時に、誰よりも貴く、誰よりも気高く見えた。


 リディアは、音もなく一礼すると、踵を返す。

 赤いドレスの裾が床をすべり、足音ひとつ立てずに歩き出す。


 貴族たちはざわめき、笑い、嘲る。

 その背に向けられた声は、祝勝の酒に酔った者の罵声に近かった。


「“悪役令嬢”、処刑完了だな」

「まさか、あれで取り乱さないとは……余計に滑稽だ」

「いや、むしろ──哀れか?」


 けれど、そのすべての声を、リディアは一切振り返らなかった。

 まっすぐに歩くその姿は、嘲笑よりも遥かに重く、正確に、崩れもせず、舞踏会場を横切っていく。


 彼女が扉の前まで来たとき、ひとりの老侯爵が、ぽつりと呟いた。


「──あれが、“無能”と呼ばれた女か?」


 声は誰にも拾われなかった。

 だが、その目だけは、何かを“見抜いた者”の色を宿していた。


 その視線の先で、リディアが静かに扉に手をかける。

 けれど、ほんの一瞬──何かが視界の隅で揺れた。


 ユリナの横顔。


 薄紅の頬、涙に濡れた睫毛、そして……その額に、かすかに揺らめく金色の光。


 それは見間違いかもしれなかった。

 けれど、あまりに“神聖”に見えすぎた。


(……あの聖女、どこか“神”に……似すぎている)


 リディアの眉が、ほんの僅かに動く。


 だが、その感覚を言葉にする暇はなかった。

 重い扉が、ゆっくりと閉じ始める。


 歓声、嘲笑、拍手──全てが薄れていく中、

 彼女はただ、ひとつだけ言葉を落とした。


「……愚かですわ」


 扉が閉まりきる音が、まるで“幕切れ”の銅鑼のように響いた。

最後までお読みいただきありがとうございます。


ひとつの舞台、ひとつの言葉、ひとつの視線。

すべてが整えられたこの場で、何かが“始まった”瞬間でした。


まだ何も明かされていないようで、いくつかの歯車はすでに回り始めています。

次回は、扇の奥に隠された令嬢の本心と、もう一つの“幕”が上がる瞬間へ──


続きもぜひ、お付き合いくださいませ。

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