3.
フィオラが再び目を覚ますと部屋は深い静けさに包まれていた。薄暗闇に目が慣れてくると、月明かりが窓辺から差し込み、カーテン越しに淡い光が揺れているのが見えた。
喉の渇きを覚え、ベッドサイドのテーブルに置かれたガラスのボトルとコップに気づく。
恐る恐る手を伸ばし、コップに水を注ぐ。冷たい水が喉を潤し、フィオラは息をつく。思った以上に喉が渇いていたのか、ボトルの水が半分近く減るまで飲んでしまった。
再び周囲を見渡すと、ドアの向こうで人の気配を感じる。足音や衣擦れの音が微かに聞こえ、どうやら誰かがいるようだった。
――ここは本当に安全なのだろうか。
ベッドから降りて、今度はゆっくりと窓に近づく。逃げようなんて考えはもうなかった。
窓の外に目を向けると、広がる庭園が月明かりに照らされているのが見えた。美しく整えられた庭は、彼女が育った場所とは全く違う、どこか夢のような光景だった。その静寂が少しだけ心を落ち着ける。
すると、不意にドアがそっと開き、メイドらしき女性が顔を覗かせた。「お目覚めですか?失礼します。」と柔らかな声で告げながら、手にトレイを持って部屋に入ってくる。
少し不安になりながらも先ほどと同じメイドで安心した。
トレイの上には、温かそうなスープとパン、それに小さなデザートのようなものが乗っていた。
「体力が戻るまで無理をなさらず、まずはこれを召し上がってください。」
フィオラはしばらく黙ったままメイドを見つめた。彼女の態度は至って親切で、威圧感は一切感じられない。それでも、今までの経験が彼女の心に影を落としており、完全に信用することはできなかった。
「……ありがとう。」やっとの思いで声を出すと、メイドは柔らかく微笑み、テーブルに食事を置くと軽く頭を下げて部屋を出て行った。
フィオラがスープを口に運んでいると、再び扉がノックされた。今度現れたのは、フィオラを助けてくれた男性だった。彼は静かに部屋に入り、少し離れた椅子に腰掛けた。
「目覚めたのなら安心した。」
彼の低い声は優しく、穏やかだった。
フィオラは食事の手を止めて、小さく頷いた。
「まだ自己紹介をしていなかったな。私の名前はロナン・アッシュフォードだ。...君の名前を聞いてもいいかい?」
「...フィオラ、です。」
ウィンダミアという家名は伏せた。侯爵家ということもあり、名が知れ渡っている可能性があったからだ。
「フィオラ、か。...君のことで少し話をしたいと思ったんだが、食事の時間に申し訳ない。食べ終わったら話をしてもいいだろうか?」
ロナンの優しい視線に、いつの間にか力が入っていたフィオラの肩の力が少し抜けた。
「実はもうお腹がいっぱいで...もう大丈夫です。」
「そうなのか?まだまだ残っているぞ。しっかり食べたほうがいい。」
「いえ、大丈夫です。」
フィオラは今までお腹いっぱいご飯を食べたことがなかった。空腹が当たり前で、これ以上食べると吐いてしまいそうだった。
スプーンを置いたフィオラを見て、ロナンは少し顔を顰めた。
メイドが食事を下げると、入れ違いでロナンの母と兄のニコラスが部屋に入ってきた。
それぞれがソファに座ると、ロナンが口を開いた。
「君は、エルダランとリュクシアンの国境で倒れていたんだ。私は仕事でそこを訪れていて、君を見つけた。」
ロナンの話し方から、フィオラを気遣う様子が伝わってきた。
「...なぜ、あそこにいたのか聞いてもいいかい?」