ギフトの能力《ちから》
「…っ!」
どういう塩梅か、その切っ先は彼女の腕をヒュッと掠めた。
透き通るような肌が破れ、一条の紅い滴が伝う。
その、むせるほどの濃厚な香りが、隠していた、ぼくの本能を呼び覚ます。
「この…下等動物が…」
カッと見開く瞳は紅く、剥き出した牙は鋭く長く突き出て光っている。
ユルサナイ…
地の底から聞こえるような声に、
「きゃあっ…」
後ろの彼女が悲鳴を上げた。
それでも男はぼくの変化に気付かないようだった。
彼女の血を見て興奮したのか、
「ぎひっ、ぎょひひひっ」
狂ったように笑いながら、ナイフを振り回している。
僕はスッと右に避けると、つんのめってよろけた男の首筋に、がぶりとかじりついた。
「ぎっ…」
出かけた悲鳴を飲み込んで、男は息を止めた。
牙を立てている間、僕は、血液の代わりに淹れる体液(まあ、蚊が血を吸う時に、痛いのを分からなくするように入れるみたいなもの?)で、ヒトの思念を自在に操れる。
血を戴く代わりに、犠牲者に贈るささやかなギフトだ。
理不尽な愛を押し付ける身勝手な男には、死よりも恐ろしい絶望を。
例えば、中世からぼくの故郷、ルーマニアに伝わる、エグい拷問の数々を、一瞬のうちに精神に直接浴びせかけてやる。
もう二度と、彼女に近付くことができないように。
“ぎいっ、やああああああああ…”
声にならない叫び声を顔で表し、男はその場に崩れて落ちた。
“あ、あ、あなたは一体…”
彼女の声にならない声に、僕はゆっくり振り向いた。
どうやら、ぼくを異端な存在だと認識したようだ。
恐怖に目を見開く彼女に柔らかく微笑みかける。
「安心していい、ぼくは食いしん坊じゃないからね。
干からびるまでは飲らない主義だ。
でも…
男からは、たっぷり600mlほど抜いといたから、しばらくは貧血で起き上がれない。
よかったね、これだけ怖い思いをしたら、奴はもう君には決して近づかないよ。
でもこのことは_____
忘れてね」
“あ、あ…”
僕が瞳を紅く眼を光らせると、彼女はフッと気を失った。
床に激突する前に素早く抱き止め、もう一度穿牙を伸ばす。
「ごめんよ、君。ちょっとだけ痛いんだけど、さっきのくそ不味い血を、君ので中和させて。
でないと僕…死んじゃうから」
その代わり、こちらにはとっておきのギフトだ。
痺れるほどの快楽を。
怖い思いも哀しみも、全て忘れてしまえるほど、鮮烈で淫らな甘い夢を_____
プツッ。
白い首筋にふたつ、小さな孔が穿たれた。
「さて、と」
お食事、終了。
彼女は、すっかり気をうしなっている。
僕は、まだ口の中に鮮烈に残る濃密なエキスを味わいながら、彼女をレジの間のスペースに寝かせた。
ついでに、そばで泡を吹いて倒れている男も引きずってきて、綺麗に彼女と並ばせる。
それから、ひとつウーンと伸びをすると、僕は店の電話に向かった。
“119”
をプッシュして、電話口に出た隊員に淡々と告げる。
「あー、すんませーん。ちょ、いっすかー。
ちょっとお客さんふたりがいきなり倒れちゃってー…
え、場所?
歌舞伎町一丁目のセブンスっす。あ、そっちじゃなくて、あの…角曲がってすぐの方。はーい、あざっす、おなしゃーす」
通報を終えると、僕はすかさず、店にふたつある防犯カメラに目を光らせた。
カメラの記録を少しだけ作り変えてと。
「やれやれ」
僕はふたりの側に立って、救急車が着くのを待った。
「ふあっ」
大きな欠伸がひとつ、出た。
あーあ、今日はもう疲れた、帰ろっかな。
だるっ、まだ7時間もあるじゃないか…
まあいい、これで万事オッケーだ。
めでたし、めでたし。
のはずだったんだけど……