救出2
「へぇ、けっこう簡単に作れるのね。あたしもいくつかハッキングツール持ってるけど、こう簡単に組めるものは見たことないわよ」
クレアが感心する。ハッキングツールは非合法なプログラムであり、マニアが趣味で作ったような粗削りなツールぐらいしか手にはいらない。しかも、セキュリティプログラムも常に強力になっていくため、ハッキングツールも強化に追われ、使い勝手まで手が回らないのが実状だ。
「マークIの時からセキュリティのチェックに使っていたやつだから、もう八年以上使っている。しかも、アーノルドI、II、IIIのプロジェクトチームがよってたかって強化しているから、これ以上強力で使いやすいものは、そうはないはずだ」
「ねえ、ハリス。お願いがあるんだけどォ」
クレアは目を潤ませ、いった。
「コピーさせてェ」
「ダメ!!」
ハリスはにべもなくいい放つ。
「これは門外不出、一子相伝のプログラムだ。おれの後継ぎにしかやらない」
「後継ぎになります。犬と呼んで下さい。だから、ね。いいでしょ?」
クレアはハリスに擦り寄り、犬が甘える様に鼻を鳴らした。この手のものに目がないクレアは、すでに理性がふっとんでいる。
「わかったから離れろ!」
「コピーしてくれるの?」
「あとでテストする。それに合格したらだ」
ハリスはわずかに顔を赤くし、いった。ちっこいくせに、なぜか胸だけは一人前に成長しているクレアであった。
「やった。もうもらったも同然だわ。そうときまったら、早いとこかたずけてしまいましょ」
「よし、やるぞ」
ハリスはプログラムを実行させる。と、同時にスクリーンはネットワーク監視モードになった。これですべてのネットの動きを見ることができる。さらに必要な条件にマッチしたものだけ強調表現する事が可能だ。
今は白の線で全ネットを、青の線で中継されたネット網が表示され、最終端末が赤く点滅している。準備が終わると、今度は青の線は消え赤い点だけになる。一呼吸おいて、緑に光る点、ホストに向けて青い線が走る。それは一瞬で消えたが、すぐその後から黄色い線が追いかける様にもどってきた。
「『CAT』だ」
黄色い線は、赤い点まで来るとしばらくそこで止まっていたが、やがてそれは四方に散る。そして幾つかの黄色い線の通った後には、うっすらと青い線が浮き出した。さっき中継に使った経路だ。
「ハリス!! ネットがトレースされているわよ」
「海賊にしちゃけっこう上等な『CAT』を使っているじゃないか。残留イメージを追ってきてるんだ」
「『CAT』というより『DOG』といった方がぴったりね」
「たぶんやつらもそれか『HUNTER』あたりで呼んでいるんじゃないか?」
アーノルドマークIIはデータ保護システムのため、記憶を完全に削除するには時間がかかる。削除命令が入っても、システムに余裕があればそのまま保存し、記憶領域が一杯になれば削除マークの付いたファイルにイメージ圧縮を行い、数十分の一から数百分の一の大きさにする。これは完全に復元できるわけではないが、時間をかけて解析すれば九十パーセント以上も復元可能だ。それでも余裕がなくなった場合、ようやく削除されるのだ。この段階を踏まずに、完全にクリアするには、かなり高いセキュリティレベルが必要である。今の場合、不正アクセスであり、イメージ圧縮の段階までしかできなかったのだ。
「どうするの? もう三分の一もたどられちゃってるわよ」
「こいつを一匹捕えて飼い馴らす」
「そんなことできるの?」
「時間さえあればこの世にできないことはない」
「もう!! そのじかんがないんだってばぁ!」
ハリスはスクリーンの片隅にハッキングメニューを呼出し、目まぐるしく操作する。
「捕えたぞ。クレアのいう通りこいつは『DOG』だ。侵入者の匂を追って噛み付く、ドーベルマンのイメージだ」
プログラムやデータは自分が何であるのか、それぞれ一目でわかるようなイメージを持っている。これは体感インターフェイスでネットに潜った時、そのイメージで見て、触り、匂をかぎ、音を聞き、味わう事ができる。
『CAT』とは不正アクセスするハッカーをネズミにたとえ、ネット内をうろちょろするネズミを捕まえる働きをする物は、普通このイメージを持つ。
「ハリス早くして。もうすぐ嗅ぎ付けられるわ」
いまや、『DOG』はネット中を走り回り、獲物を追いつめていた。
「ほら、ワン公。いっけぇ!!」
ハリスは改竄した『DOG』をネット内に放つ。それは紫色で表され、黄色と合流すると合体吸収しネットを逆に戻っていく。表示は瞬く間に、元の白い線だけになった。
「ああ、もう。寿命が一年は縮まった気がするわ」
「もうだいじょうぶだ。ホストに帰った『DOG』が、異常なしの報告をしたはずだからね」
「でも、もう一度こんな目はごめんだわ。ラベル見て捜した方がいいんじゃない?」
「さっきの『DOG』に、この回線からのアクセスは無視するように仕掛けをしといた。今度は追いかけられることはないよ」
「ネットワークトレーサーがあんなに念入りって事は、ホスト側のセキュリティプログラムも並じゃないわよ」
「至る所に『TRAP』とか、『SPY』が仕掛けられているだろうね」
クレア達が逃げ出したことにより、まだ伏兵が潜んでいるんではないかと警戒した海賊達が念入りなセキュリティをかけたに違いない。
「アクセスしている場所がわからなくても、そんなのに捕まったら、侵入者がいるのがばれて、警戒厳重になるわ。〈クイーンマリア〉にハリスを出せ、なんていってこられたら侵入者があたしたちだってわかられちゃう」
奇襲だからこそ効果があるのであって、侵入を知られ、まともにやりあったのでは、こちらに勝ち目はない。
「このくらいでビビってたんじゃ、これのコピーはやれないぜ。ここからがこいつの本領発揮だってのに」
しかし、ハリスは逆に余裕の笑みを見せる。
コンピュータのネットワークは、大きく分けて二つの形態がある。一つは、比較的強力で小型の端末を大量に繋ぐ分散型。もう一つは、大型あるいは超大型のコンピュータを一台ないし数台繋げ、その下に小型で能力の低い端末をぶら下げる、集中型だ。ここのネットは後者にあたる。ここのような、強力なコンピュータシステムが必要であるが、端末の数が少ないような場所では集中型にならざるをえない。
今は、能力の低い端末のパワーしか使えなかったために、ハッキングツールの能力はそれに見合った物でしかなかった。しかし、ホストに侵入してしまえば話は別だ。ホストの超強力なパワーを使い、百パーセントの能力を発揮できるのだ。
「それに、『DOG』のセキュリティコードを手に入れた。こいつがあれば、在庫と格納場所のリストぐらいなら簡単に引き出せる」
「ハリスの好きにして。だから、コピー頂戴ね」
「げんきんな奴だ」
クレアは面白いほどくるくると感情が変わる。生まれ出てまだ十四年。彼女には、すべててがきらきら輝いて見えるに違いない。
「ホストにアクセスするぞ」
念のためにハリスは、ネット上に飼い馴らした『DOG』を番犬がわりに放ち、ホストにアクセスする。しかし、心配するほどもなく、あっさりアクセスに成功した。元々在庫リストは、あまり高いセキュリティレベルではなく、『TRAP』を仕掛けるまでもないファイルだからだろう。
「ねえハリス。もっと内部を探って、解読作業がどのくらい進んだか調べられないかしら? もしできるならデータを破壊しちゃうとか」
「時間と装備があればまずできないことはない。でも、ただでさえ時間を食っているんだ。これ以上時間はかけられない。しかも、解読作業はトップレベルのセキュリティがかけられているに違いない。そんなとこまで行くには、体感インターフェイスでないとちょっときついな」
あくまでここの端末は、入出庫管理用であり、本格的なハッキングには向かない。
「体感インターフェイスはコントロールルームにしかないし、きっと海賊たちが一杯いるわ。やっぱり基地を制圧しちゃった方が早いかな?」
「そうだな。これを見ると、必要な薬品も揃っているみたいだし。――異星生物の調査用に麻酔関係の薬品も置いてあるんだろう」
ハリスが出庫要求を出すと、マニピュレータが指示のあった薬品を床に積み上げた。
「向こうの部屋の機材を使って、薬品を合成しよう。そっちの奴もって来てよ」
二人は薬品を持って、倉庫を後にした。
二人はそこで薬剤合成機を探す。それは一般的なタイプの物だったので、すぐに見つかった。
ハリスはそれに薬品をセットし、コンソールから合成方法を指示する。もちろんここでもハッキングツールが活躍した。
合成には十分ほどしかかからない。ハリスはでき上がった中和剤を適当な大きさのボトル二個に詰め、一つをクレアに渡した。
「クスリ余ってるよ」
「ああ、こっちは別のもの作るんだ」
ハリスは再び合成機に余っていた薬品をセットした。
でき上がった物を今度は六個の小さなガラス瓶に入れ、三個をクレアに渡す。
「なんなの、これ?」
「催涙弾だ。もっとも、そんなにたいした威力があるわけじゃないけど……」
「ちょっとした攪乱には使えそうね」
「間違っても風上には投げるなよ」
「失礼ね。そんなへまなことはしないわよ」
二人はでき上がったばかりの薬品をポケットに収め、分析ブロックを後にした。