量子力学的に不確定な缶コーヒーの実存を巡る考察
生垣は頭の上まであり、従兄の声だけが向こう側から聞こえて来る。
「彼女とはどうなの」
「うん」
答えたのは、天才との呼び声高い兄だ。ニヤニヤしているのが判る。
「内腿の黒子がいい」
私は、缶コーヒーを吹き出しかけた。
「えんぴつでチョンと書いた点みたいでさ」
ランドセルが音を立てないように、私は背中に手を伸ばして押さえる。兄の彼女は優等生だ。太腿の内側が見えるような状況は想像できない。そもそも、彼女の内腿には黒子があるのか?服の下の不確定要素だ。
つまり生垣の向こう側は、彼女の内腿の黒子が見られた世界線というわけか。量子力学的なアレでは、私は今、観測者となったのだ。
「星座の柄の浴衣を、夏祭りに着て来たんだ」
チェックメイトだ、お兄様。今年の夏祭りで、彼女がひまわりのワンピースを着ているのを観た。
「それめくったのかよ」
従兄がゲラゲラ笑う。こんな下品な人だっけ?悪霊にでも取り憑かれたか。おふだ、おふだ。どこに入れたっけ。春の体育祭でポーカーフェイスの応援団長からいただいたやつ。
渡された時には戸惑ったけど。あの時から、既におかしかったってこと?応援団長は、それを知っていた。だとすると、観測者は団長で、私は世界間移動に巻き込まれた?生垣のこちら側も向こう側と同じ世界線なの?え?いつの間に変わった?
生垣の向こうでは、従兄と兄の笑い声が続いている。大好きだった従兄。爽やかな笑い声が好きだった。そして、優しく上品な兄。とても頼りになる人だった。
2人が中学に上がる前は、3人でよく屋根裏に登った。明かり取りの小さな跳ね上げ窓から見えるのは、一面の麦畑。盛夏の風にそよぐ清々しい青。
いや、違う。団長は豪快な女子、ポーカーフェイスじゃない。私が描いた秋の体育祭のポスターが、おふだみたいと笑われたっけ。窓から見えたのは、ひまわり畑。真夏の太陽の下で鮮やかな黄色が揺れていた。
あれ?チェックメイトされたの私か?
夏祭りの宵、星座が巡り量子力学的なアレで世界は分岐する。ランドセルの蓋を開ければ、えんぴつ画の缶コーヒーが見える。飲んでいた缶は消えた。
「あっ」
思わず漏れた声に口を押さえるが間に合わない。
「お前誰?」
天才な兄が生垣を分け、画用紙が舞い上がる。世界が歪む。私は排除される異分子だった。
お読みくださりありがとうございます