第8話「失敗の多いスープ」
秋だというのに、日向を歩けば汗が噴き出てきた。山のせいか太陽が近い気がする。
前を歩く、農夫のコムラは涼しい顔で、馬鈴薯を目一杯詰めた袋を背負い山道を登っていく。
「頭領が消えた山賊たちが里を荒らし、貯えていた食料を何もかも持って行っちまった。子が襲われて魔物に連れ去られそうになったし、夜な夜な熊がやってきて家を揺するんだ。帰ったら壊れてるかもしれない」
昨夜、コムラは悲観的にそう語った。
「里を捨てて町に下りることは考えませんでしたか?」
ジョーは厳しい選択肢についてあえて聞いてみた。
「もちろん考えたさ。でも……」
「故郷を捨てる決断には至らなかった、と」
「いや、そうじゃない。我らの里は古王国時代から続く一族の里で……、すまない。これ以上は里以外の者には言ってはいけないことになっているんだ」
助け舟を出したつもりのジョーだったが、別の方向に話が振られ面食らった。何より古王国という滅びた国の生き残りが山里に隠れ生き延び、当時の掟を今でも守っていることに心打たれた。もしかしたら、遺跡について何かを知りえるかもしれないとも頭を過る。
「何も教えず助けてくれというのは、都合がよすぎる。それはわかってはいるが……」
「いや、これ以上は俺たちも聞きません。とにかく、里を守ればいいんですね」
「そうだ」
「では、引き受けます。しがない町の『くず屋』ではございますが、ご協力させてください」
「頼みます!」
コムラは頭を下げた。
夜のうちに冒険者ギルドで指名依頼書を代筆して提出し、すぐに受けた。成功報酬は現地で受け取ると記載しておく。
冒険者ギルドの職員はいい顔はしなかったが、ジョーたちの居場所がわかるし、隣町での山賊頭領殺しの余波として受け入れないわけにはいかなかった。
コロシアムのコザックに行先を告げ、教会の聖女エウリアには遺跡が見つかる可能性があることを報告。翌日に山に慣れているセキを伴い、4人で出発した。
街道は難なく進めるが、山道がシズクには少し厳しかったようだ。
「起伏の激しいカプリの道を毎日歩いているんですけど、知らない道を歩くのはまた違いますね」
「あんまり筋肉使わずに、骨と重心移動を考えて登っていくと楽だよ。姿勢を変えずにつま先と膝を揃えてね。筋肉使うと疲れるし、続かない」
シズクは、なんでも筋肉に頼りトレーニングにしてしまう。コロシアムの剣闘士だった過去があるため、昨日よりも強くなるために負荷をかけようとしてしまうらしい。
シズクも自覚しているが、なかなか抜けない癖になっているようだ。
休憩を挟み、水を飲んで大きく息を吸って体の力みを取っていた。
「楽をしてもいいというのが、難しいんです」
「コロシアムとは違う武術を知ると、力を抜いた方が、威力は出るってわかるんだけどなぁ。セキ、お袋さんから武芸は習わなかったのか?」
「習ってないよ。ただ、身体の動かし方を知るために活法は習ったけど」
「それでいい。シズクに少し教えてやってくれ。セキのお袋さんはちょっとおかしいくらい身体について知ってたんだ」
「いや、シズク姉さんの武器術の方が魔物には対処できると思うよ……」
この時、セキはあまり乗り気ではなかった。
「お願いします!」
シズクは頭を下げて頼み込んだ。
「やるけど……、あんまり期待しないでね。とりあえず、ジョー兄の鎧を貸してあげてよ」
言われた通り、ジョーはシズクに革の鎧を貸してやった。
「腹、みぞおち辺りを叩くから、力を入れておいてね」
「はい!」
シズクは鎧を着て、腹筋に力を込めた。通常、鎧も着ているし武器も持たない相手の攻撃は効かない。
バンッ。
セキの肩から脱力して放った拳は、革の鎧を通過しシズクの内臓へ浸透。衝撃が背中まで広がっていった。
「なっ!」
「まぁ、脱力した拳でも、こんな感じで身体の内部に響くようになるんだ」
「拳の攻撃とは思えない……」
シズクは、今までの戦い方が根底から覆っていくような感覚に襲われていた。
「姿勢によって威力も変わるし、中に広がらず吹っ飛ばすことも可能だけど、やるかい?」
「お願いします!」
体験してみないとわからないことがある。
その様子を見て、コムラは、「休憩中に何をやっているんだろう」と思いながら汗を拭っていた。
昼の休憩を過ぎて、山を登って下りてまた登って、ひたすら歩き続けていた。
行商人が使うという道は人がすれ違える程度の幅しかなくなっている。途中で鹿や猪も出たが、魔物は見なかった。
「気配はするから、4人を相手に狩れないと思ってるんだよ。気をつけて、賢い魔物は罠を張るから」
セキの注意を聞いていたのに、コムラは落ちていた毛皮を拾おうとして崖が崩れ谷川に落ちそうになっていた。
「行商人が上等な毛皮は落としたら気が付く。落ちてるんじゃなくて落としてるんだよ」
セキに支えられて間一髪助かったコムラは汗を拭き出して頷いていた。
「先に古い霊廟がありますから、今日はひとまずそこで」
コムラが案内した石造りの霊廟にはすでに遺骨はなかった。
古王国時代のものですっかり荒らされていて、今では行商人の休憩所になっている。倒れた石柱を椅子代わりに、数日前の焚火の跡に薪を集めて火を熾す。
「丁度いいのか悪いのか天井に穴が空いてらぁ」
「雨が降れば枝と葉で塞ぐんです」
夕飯はカボチャの煮つけと芋と野草のスープだ。カボチャは種を取っておいて、里で育ててみるつもりで買っていた。
「日持ちもするし、春と秋に植えられるからぴったりだろ?」
「猪が来なければね。はっ、もしかしてシズク姉さんが山の猪を狩り尽くすのかい?」
セキが、日課のように竹棒を振っているシズクを見た。
「私はコロシアムの魔物なら倒せますが、狩りとなると旦那様の指示がなければからっきしですよ」
「大型の魔物は俺じゃどうにもならないからな。そうやってうちの夫婦はバランスが取れてるんだ」
「お互いにないものを補い合ってるのか」
ホーホーホホー。
日が沈めばコジバトの鳴き声が聞こえてくる。飯の匂いに釣られて、獣の臭いもしてきた。
「なにかいるのかい?」
心配そうにコムラがジョーに聞いた。
「大丈夫。罠だけ仕掛けておきますから、ゆっくり休んでいてください」
ジョーはセキを伴い、獣道に括り罠を仕掛けるだけだが人為的なものがあるだけで警戒心の強い動物なら近づいてこない。
焚火に戻り、魔物対策として唐辛子の目つぶしや毒草の煮汁などを作っておく。山は毒草も薬草も豊富だ。すっかり熟練の薬師になっていたセキを見てジョーは「家業を継げばよかったのに」と褒めた。
「何も挑戦しなければ失敗はしない……」
「「失敗のない人生は味のないスープみたいなものだ」」
セキとジョーが同時に喋り、笑い始めた。
「なんです?」
シズクが驚いたように二人を見た。
「セキの母親の格言さ。失敗を恐れているばかりでは何も変わらない。自分の人生を面白くするのは自分自身だって」
「立派なお母さんですね?」
「どうかな? 健康なまま自由に生きているのが一番の親孝行なんだから、どっか行っちまえって追い出されましたよ」
「故郷から離れるのは不安じゃなかったのかい?」
寝床に入ろうとしていたコムラがセキに聞いた。
「不安よりも楽しさが勝ったんです。旅の行商人や怪我した冒険者がよくうちに滞在していて、話を聞いているうちに世界を見たくなって……。むしろ家から出るのが自然でした」
「コムラさんは?」
「山の里に、そんな選択肢はないよ。よほど商才でもない限り里を出たら山賊になるしかない。自由な冒険者は憧れたことはあるけどなぁ……」
「ほとんど引退している俺が言うのもなんですが、冒険者もいろいろありますからね」
「他の里の奴も結局は帰ってきちゃうから、里にいた方がいいやと思ったね。ジョーさんはカプリが故郷じゃないのかい?」
「違いますね。流れ流れていつの間にか落ち着いてしまいました」
「上手くいくこともあるのかぁ」
幸せそうなジョーとシズクを見て、コムラは溜息を吐くようにつぶやいた。
「どうでしょう。この前は海賊に捕まって奴隷にされかけましたけどね」
「え!? 思ってる以上に大変な人生を歩んでいるのかい?」
「失敗の多いスープになってきましたね」
ジョーの笑い声が月夜に響いた。
翌日、朝早くから出発し、霧深いうねうねと曲がりくねった山道を歩き続けた。
時々「ブオウッ」という魔物の声が山間部にこだましていたが、姿は見えない。
魔物ばかりか行商人にも山賊にも会うことなく、4人はクマ除けの鈴を鳴らし歩き続けた。シズクは楽に歩く方法を、ジョーとセキを見ながら習得していた。
「やっぱり体の動かし方はすぐに覚えるんだな」
「疲れはしますよ。昨日よりは、格段に楽ですけど」
「それでいい。別に疲れないわけじゃないからな」
「見えてきました!」
山道の両脇に太い石柱が立っていた。それが里の入り口だったようで通る時に一瞬何かに見られているような感覚があり、ジョーは後ろを振り返った。
里には段々畑が広がっているが、荒らされて雑草が伸びていた。案山子が地面に転がり、役に立っていない。
「おーい! 冒険者を連れて来たぞー!」
コムラが大声で叫んでも人っ子一人、里の者は出てこなかった。
「誰かー!」
家は崩れていないので、熊や魔物に襲われたわけではなさそうだ。
「おかしい。子供たちも出てこないなんて……」
コムラは慌てて、家の中に入っていった。
「おい! 起きろ! どうしちまった!? おいってば!」
争うような音はしないが、コムラが焦る声が聞こえてくる。
ジョーたちも家の中を覗いてみると、呆けたようなお爺さんが玄関先に座って肩を叩くコムラを見ていた。若い農夫は床に寝転がって天井を見上げている。農夫の妻は奥の部屋で寝ているのだとか。
「畑仕事はどうした!?」
「ん? んん……」
コムラが声をかけても、曖昧な声が返ってくるだけだ。
その後、里のどの家を回っても皆同じように気力がない。声をかけると返事はするが、腹も減ったし動きたくないという。
「俺がいない間に何があったんだ……?」
コムラは里を一望できる崖の上で座り込んでしまった。
「どう思う?」
ジョーは、各家の台所を見ていたセキに聞いた。
「わからない。一種の眠り病かな」
薬師の息子は荒れた段々畑を見ながらぼそりと言った。