第6話「お山の魔物は知っている」
御者のスタンが家にやってきたのは、奴隷の取引が上手くいかなかったからだ。
「隣町の奴隷商なんだが、どうも変だ。山里の口減らしのためにこの時期は奴隷も増えると言ってたんだが、全然奴隷がいない」
「そりゃあ、山賊がいくつも解体したからな。奴隷の流通も滞っているんだろう」
俺は茶を出して、正面に座った。
銀杏の匂いがしてきた頃だ。
濃い茶は気分を落ち着かせる。
スタンから言わせると、せっかく隣町と安全に交易ができるようになったのに、奴隷という商品はなかなか買えないのだとか。
「そもそも足りないってのに隣町は貴族が口を出すから店が商売にならないんだ。交渉になりやしない」
「だったら隣町での交易は諦めるのか?」
「諦めるって言ったって、もう工事の人足だってやってきてるし、商売は始まってるんだ」
「工事って?」
「道の補修工事から、新しい衛兵の詰所まで、工事はいくらでもある。馬車の駅もできるらしい」
「駅馬車かぁ。そりゃあ、御者のスタンは稼ぎ時だな」
「俺だけ稼いでも仕方がねぇだろ。まぁ、本当言うと、駅馬車の仕切りはミルドワース家になりそうだから、遠慮してるんだ」
ミルドワース家の奥方にシズクを攫われたことがあるので、ジョーからすればあまり聞きたくない名前だ。ただ後日、王都にいたミルドワース家の当主が、離婚してこちらに謝罪までしてきた。
「すまない。形ばかりの結婚とはいえ、監督が行き届いていなかった」と大金まで持参してきたので、丁重にお断りした。貴族に目をつけられたら後が怖い。
「だったら、もし何か不都合があるようなら、いつでも家に来てくれ。助けになれるかもしれない」
目の下にクマを作ったミルドワース家の当主は、王都でも切れ者の貴族として知られているらしい。しばらく王都には帰らず、カプリでゆっくりするとお付きの人が言っていた。
「俺たちのことは気にするなよ。商売だろ?」
「商売だからさ。俺ぁ、馬の機嫌を取ってるだけだ。時間通りに人を乗せて、時間通りに帰ってくるなんて真似はできん。こんな爺、呼ばれるわけもないしな」
スタンは禿げた額を手拭いで拭って笑っていた。
「それで? 茶を飲みにきたわけじゃないんだろ?」
「さっき言っていた山賊どもが仕切っていたお山のことだ」
「隣町のことだろ?」
ジョーはわざわざ面倒なことに首を突っ込みたくはなかった。
「それがな、意外に広い。山の反対側、つまり西側にある町では奴隷の他に薬草が足りなくなっている。薬草がないと冒険者も寄り付きにくい」
「魔物が増える温床になるなぁ」
「お山には里がいくつもあるから、行商には手練れの奴らも同行する。それが山賊だった」
「親分連中が消えて、山賊たちはどうしてるんだ?」
「自分たちの親分がいっぺんに死んで、何人かはまだ犯人捜しをしているらしいぞ。けどな一晩のうちに手練れが8人も殺されたんだ」
瓦版にも隣町での惨劇が書かれていた。
「本当に8人も殺されたのか?」
「少なくとも8人分の死体は安置所にあるってよ。いずれも違う場所で見つかってる。単独犯だとしても人間業じゃない」
「魔物か」
「しかもかなりデカい奴だ」
「俺とセキが見つけて死体になった男には、蜘蛛の魔物が腹に卵を産ませていたけど……」
「ポイズンスパイダーも容疑者だけど、わざわざ木の上に死体をひっかけるようなことはしないだろう。転がっていた男に卵を産み付けただけだと思うけどなぁ」
「じゃあ、なんのためにわざわざ山賊の親分たちを殺したんだ」
「食べるために殺したわけじゃない。子を攫われたか、それとも単に邪魔だっただけなのか。いずれにせよ、親分がいなくなった山賊たちはほとんどが一旦町に下りてスリでもしてるんじゃないか?」
「ああ、そういえば、そうだな」
聖女がカプリに来た時、ジョーたちがスリを捕まえていた。
「誰もお山を入りたがらないのか?」
山にある里の人たちが心配になる。それぞれの里が陸の孤島になり、デカい魔物に襲われるのを想像できてしまう。魔物が出なくても口減らしをするくらいだから、冬の間の食べ物がなくなって餓死者が出ることも予想できる。
「冒険者が入るさ。今まさにカプリの冒険者ギルドには各町のギルド長たちが集まって会合を開いている真っ最中だ」
すでにお山の争奪戦が始まっていた。
「無法者たちとは言え、被害は甚大。犯人の魔物を討伐するために腕のいい冒険者たちが集められるはずだ」
スタンはジョーをじっくり見た。
「おいおい、俺もその中に入ってるっていうのか?」
「ジョーとシズクはもちろん入ってるさ。カプリ唯一の生存している勇者なんだから、当たり前だろ?」
ジョーは情けない顔でスタンを見返した。ここ最近の仕事は薬草採取くらいしかしていない。ウサギや猪を狩ることはあっても、ましてや魔物の討伐など、当分するつもりはなかった。
「そうやって嫌がることを予想できたから俺が来たんだよ」
スタンはジョーに笑いかけた。
「頼む。討伐隊に入って、『お山の魔物』を生け捕りにしてほしい」
「生け捕りって……、まさか!」
「そのまさかだ。コロシアムは『お山の魔物』で興行を一本打つつもりだ。シナリオも出来てる」
コロシアムの商魂にはジョーも呆れてしまった。人の不幸は蜜の味というが、コロシアムは興行に変えてしまうようだ。
「里で待機している奴隷たちはどうなるんだ?」
ジョーの妻であるシズクもコロシアムの闘技者だった。
「口減らしの奴隷たちは、全員コロシアムで受け入れるさ。怪我はしても腹が減って死ぬことはなくなる。もし成功すれば、コロシアムは山里への支援を始めるつもりだ。薬草栽培に養蜂、酒造り。里と提携すれば、コロシアムにとっても利があるしな」
「少し、考えさせてくれ」
「隣町の貴族たちが別動隊を組織している。うかうかしていると利権を搔っ攫われるぞ。早めに覚悟を決めておけよ」
「わかったよ」
お山に行くとすれば、シズクと一緒に行くことになるだろう。一人では決められない。
聖女をコロシアムに連れていく日程も決めておかないと、待たせることになる。
「ただいまー! あれ、お客さん?」
ちょうどセキが帰ってきた。
「スタンだ。コロシアムの御者さん。義弟のセキだ」
「この前、コロシアムに見学しに来てた少年か」
スタンも見たことはあるようだ。
「新人冒険者だけど、山育ちでなかなか町の冒険者に溶け込めないみたいだ」
「日がな一日、お酒ばっかり飲んでられないよ! 魔物が出た時だけ仕事するっていうのも納得いかない。リーダーとか決められると気を使っちゃうしさ」
「今日は何をやってたんだ?」
とりあえず、「お茶でも飲め」とジョーはセキにもコップを出してやった。
「今日は隣町でヤギを捕まえてた。なんだか人がいなくてさ。鉱山も休業しているみたいだし」
「鉱山ってお山に入ったのか?」
思わずスタンがセキに聞いた。
「お山? 自分は一人の方が気は楽だから、山の方が向いてるんですよ」
「その今日、セキが入っていたお山が今大変なことになってるんだ」
「え? 別に何もなかったよ。風がちょっと強いくらいで」
「そうじゃなくて、山賊が消えて利権が変わるんだって」
「え!? じゃあ、廃鉱の利権も……」
「廃鉱だと?」
スタンは眉を寄せて身を乗り出した。
「ああ、いやセキは新しい事業を考えてるんだ。セキ、あんまり未来の取引相手にしゃべらない方がいい。足元見られるぞ」
「ああ、そうか」
「俺が取引相手になるのか? この少年の?」
「ジョー兄が言うほど儲ける気はないんですけどね。冒険者の報酬が皆で割るとちょっとしか残らないじゃないですか。だから失敗してもいいから、ちょっとだけ金策をしているってだけです」
「そうか。冒険者の懐事情は厳しいもんな。で、何の商売をするつもりだ?」
「スタン、若者の商売を邪魔するなよ」
「いいじゃないか。ちょっとくらい」
「いずれ、軌道に乗ったらスタンさんにも話します。今は成功するかしないか微妙なところなんで。それよりお山の利権が変わるってのはどういうことです?」
セキが無理やり方向転換して、話を「お山の事情」に変えた。
スタンはジョーに話したことをそのままセキにも教えてやった。
「犯人捜しって? え!? どういうことです? 大きな魔物を輸入してコロシアムで戦わせる口実ってことですか?」
話を聞いていたセキが口走った。
「いや、口実とかじゃなくて山賊の親分たちを殺した『お山の魔物』のことだ」
「そんなのわかりきってるじゃないですか……」
セキには犯人がわかっているらしい。
「犯人がわかるのか?」
「えっ!? いや、わからないのは同時に気絶させる方法であって殺したのは……」
「わかるのか!? セキ少年!」
「コロシアムの興行はあんまり面白くならないんじゃ……」
セキは困ったように考え込み始め、何も耳に入っていないようだった。
「ジョー、なんなんだ。このガキは!」
「まぁまぁ、落ち着いて。ちょっと変わった奴なんです。今日のところは悪いが一旦帰ってくれ。『お山の魔物』討伐隊の件は後で返事するから」
ジョーは一度スタンを帰らせて、セキの話を聞くことにした。
「で、山賊の親分たちを殺したのは誰なんだよ」
「殺したのは山の魔物たちじゃない? 腹に卵を産み付けたり、木の上に引っかかったり、内臓を食われた人もいるんでしょ。ただ、少なくとも発見場所に運んだのはハーピーだよ」
ハーピーとは半人半鳥の魔物だ。
「大男を運ぶって相当大変だ。俺も結構大変だった。発見場所は散らばっているわけだから、地上を移動して運んだのなら枝が折れたりした跡があるし、犯人なんかすぐ見つかるはずだ。だけど、そういった痕跡がないなら空を飛んで運んだと思うのが普通じゃない?」
「確かに、そうだな」
「大男を飛んで運べる魔物を俺はハーピーしか知らない。もしかしたら、他にいるのかもしれないけど、そういう魔物は牙が鋭くて噛み痕があるもんなんじゃないかな。まぁ、親分たちの死体を全部見たわけじゃないから、もしかしたら違うかもしれないけど、たいていの山の里にはハーピーが子を攫う逸話が残ってるって本で読んだよ」
山賊の親分たちは運んだ先で落下死をしたり、魔物に襲われたのか。確かに、セキが運んだ大男は朝方までは生きていた。二人とも断末魔を聞いている。
「おかしいのは一斉に全員、親分たちが気絶したことだよ。ハーピーたちにそんな能力があるのかい?」
「いや、聞いたことがないな」
未知の攻撃があるのか、はたまたハーピーを従えている別の魔物がいるのか。
「旦那様、ただいま戻りました!」
シズクも帰ってきた。
「おかえり」
玄関を見るとシズクの他に僧侶が一人立っていた。
「聖女のお付きの方が、コロシアムに行くスケジュールを確認したいそうです……?」
そう言っているシズクの横で、僧侶は口に詰めた綿を取り出し、服の下に付けていた荷物を床に下ろし、見る間に痩せていった。
「はぁ、苦しかった。服がパツンパツンで息がうまく出来なくて……」
シスターが頭に付けているベールを脱ぐと、金髪の奇麗な長い髪が露わになった。
「何をやってるんです? 聖女様」
「聖女業がちょっと疲れたので教会を抜け出してきました。こんにちは、ジョーさん」
僧侶のエウリアが家にやってきた。