第3話「心音は高く、潮騒は遠く」
「駅馬車もあるけど、歩いていくか?」
山育ちのセキにとっては、港近くの森も珍しいのではないかと思い、ジョーは誘ってみた。なによりずっと不満げなセキの表情が気になっていた。
「ん~、そうする!」
街はずれで衛兵に挨拶をして、復興した街道を行く。
昼飯の饅頭は美味しかったというものの、相変わらずセキの眉間には皴が寄っている。
ジョーは、それを見ながら微笑むばかりで何も言わない。
「なんか思ってたのと違うんだよなぁ……」
町から離れ、先を越す馬車が遠くまで行ったのを確認してからセキが口を開いた。
「人に認められるのはそう簡単なことじゃないさ」
「いや、そうじゃなくて……」
セキは頭を搔きながら、足元の石を拾って草むらに投げた。
コン。
投げた石が草むらに隠れていたウサギの後頭部に当たり、あっさり昏倒。セキは草むらに入ってウサギを拾って、何事もなかったように街道に戻ってきた。
「これじゃあ、ルールが少し変わったくらいで、お袋と山に住んでいるのと変わらないよ」
ため息交じりにそう言って、ウサギの足を紐で縛って、腰にぶら下げた。
「そうか?」
「町は矛盾に満ちてるよ。衛兵は町人を守らないし、真実を言うと怒って殴る。冒険者の教官は、剣技で魔物を倒せというのに、魔物を倒すための剣技は教えない。商人は人通りの少ない場所で店を出して商品を風に飛ばされているし、俺にはわからないことが多すぎる」
セキの理想としていた町とは程遠かったようだ。
「まぁ、あんな町ばかりじゃないさ。一つの街だけを見て、判断するのは早すぎるってもんだ」
「そうだといいけど……」
そういいながら、セキは再び小石を拾い上げた。どうやら、また夕飯にできそうなものを見つけたらしい。
「ジョー兄、夕飯、どのくらい食べる?」
「大丈夫だ。心配しなくてもセキの分くらいは足りてるから」
「そうか。こんな森の中を歩いているとなんか疼いちゃうんだよ」
寒い地方の山育ちには、この森は豊かすぎるのかもしれない。
「薬草はいくらあっても乾燥させればいいから、採っていこう」
ジョーとセキは森の中を寄り道しながら、カプリの町へと向かった。
◇ ◇ ◇
「ジョー兄は自分より強い嫁さんを貰ったのか?」
それがセキのシズクを初めて見た感想だった。
「コロシアムの英雄だからな、あのくらいの動きはするさ」
シズクは『くず屋』の仕事を終え、裏庭で竹棒を振っていた。コロシアムの剣闘士を引退したとはいえ、魔物がいる森の近くに住んでいるため、時々竹棒を槍に見立てて振っている。
セキは棒を持って汗をかいているシズクに迎えられ、恐縮した。
「初めまして、セキと申します」
「ようこそお越しくださいました。ジョーの女房をしております、シズクと申します。話は聞いております。遠慮せず、自分の家のようにくつろいでください」
「え!? 自分の家よりは楽できるかと思っていたのですが……」
「へ……?」
セキも球の汗をかき始めた。シズクは唐突に怯え始めたセキに戸惑っている。
ジョーだけが声を出して笑っていた。
ジョーはセキを招き入れ、とりあえず獲れたてのウサギを捌いてしまうことに。
「朝は一抱えもある大きな壺に水を汲んでくるところから始まります……」
セキがウサギの内臓を取り出しながら、シズクに自分の家での日常を説明し始めた。
カプリ以外の生活を知らないシズクにとっては新鮮だった。
「そのあと獣道を確認して、獲物がいれば罠を仕掛け、いなければ川に行き、蟹を捕ります。帰れば、家を掃除。終わったら、武術の稽古と座学が待っています」
「座学はなにを?」
「薬学から歴史、算学、詩まで一通りですね」
事も無げに言うセキに驚いたシズクは、ジョーを見て確認した。
ジョーは黙って頷く。
セキの実家である山小屋には、そこら中に本が置いてあった。破れれば補修し、表紙は売られていた頃よりも丈夫な革に替えられていた。
そんな丈夫な本が本棚はもちろん、台所から厠、井戸端、どこででも手を伸ばせば本が読めるようになっていた。セキの母親が、そこがどこでも学ぶことはあると教えていたのだ。
「たぶん、それは嘘で、母は暇だったんだと思う。詩をヒントに歴史を紐解き、惚れ薬を作ったりしていたから」
「確かに、知識を組み合わせて遊んでいるような人だったな」
ジョーも怪我をした頃を思い出していた。
「相当な賢者だったのですね?」
「賢者は、自分の息子を騙して、猪を惚れさせるような実験はしないはずだけど……?」
いたずら好きのいい師匠だった。
軒先にぶら下げて血を抜いていると、港の方から歓声が聞こえてきた。
「大きい魚でも捕れたかな?」
ジョーは木々で見えない港の方を見た。
「ジョー兄、なにか聞こえたのかい?」
「そうか。普通はこの人の声が聞こえないのか」
「本当に事故で耳がよくなったんだな」
ジョーは手紙で、水難事故でなぜか耳がよくなりすぎたことを報せていたが、セキは信じていなかった。事故で目や耳が悪くなることならあるかもしれないが、まさかよくなるとは思えなかったのだ。
「いいことばっかりじゃないさ。呪いに近い。あんまりコロシアムの観客席には向かない耳になっちまったよ」
そういいながら、ジョーは耳栓をセキに見せた。実際に人だかりに行くときは耳栓をするようにしている。近くで皿が割れるような音が鳴ると、耳の奥にナイフを刺されたような痛みが走るからだ。
「なるほど。海の呪いか」
「なかなかこの呪いが解けないんだ。それにしても、随分、大物が獲れたのかな。町中から人が集まってるみたいだ」
大型の魔物でも捕れたのだとしたら、港を一時的に封鎖して解体作業に駆り出されるかもしれない。
「今日は聖女様が来るらしいですよ」
話を聞いていたシズクが説明した。
「ああ、わざわざ船で来たのか」
教会の聖女は、王都から馬車に乗ってくるものだと思っていたが、わざわざ海路を使ったらしい。野盗や魔物への対策なのか。それとも別の理由からか。
「行って見てみるか? 聖女なんか見たことないだろ?」
「ジョー兄は見たことあるのかい?」
「ない」
「なんだよ」
セキとジョーは笑いながら、手を止めて支度を始めた。
「夕飯はいいんですか?」
シズクが二人に声をかける。
「うん。どうせウサギの血抜きには時間がかかる。ハーブと一緒に吊るして、シズクも聖女を見に行こう」
財布袋まで持っていくことはないだろう。人も多そうなので、スリにでも遭ったら面倒だ。ジョーは銅貨を数枚ポケットに入れて、2人を連れて街道を下った。
港近くの広場はすでに聖女を見物しようとする町の人たちで混雑していた。
「もう、聖女は通ったかい?」
カプリ名物の餃子と称している出店で、話を聞いた。
「まだ船から出てきてもいないみたいだぜ。船酔いでもしたんじゃないか」
店主と顔見知りのジョーは、そこで袋いっぱいに一口餃子を買い込み、人混みに入っていく。
「あんまり離れるとジョー兄を見失っちまいそうだよ」
「見失ったら、坂の上で待ってな」
「剣闘士たちも聖女を見物するのかい?」
広場を見回すと、建物の角に武器を携えた剣闘士たちが立って、ファンの相手をしていた。
「衛兵の手伝いですよ。人がこれだけ集まると、悪い人も来てしまいますから。催し物があると呼ばれるんです」
シズクがセキに説明した。衛兵も剣闘士と同じように周囲を見回っているが、数が少ない。港と教会に駆り出されているのだろう。
「へぇ! コロシアムの外に出ても逃げ出さずにちゃんと仕事をするんだね」
「カプリじゃ、腕のある剣闘士は一目置かれるんだ。他の奴隷と扱いも違う。逃亡者になるより、任期を全うした方が、その後の職にもありつけるしな」
「そうか。剣闘士たちの次の職探しも兼ねてるのか。うまく出来てる」
宿外の方から「すいませんね」「おっと、ごめんなすって」と近づいてくる声がする。振り返ると、ジョーがお茶を出した按摩の爺さんだった。
「按摩さん、こっちだ!」
ジョーは少し大きめの声で按摩さんを呼んだ。
「あれ? 旦那は! すいませんね。ちょっと通してもらえますか……」
町人たちも目の見えない爺さんのために道を開けてくれた。
「ありがとう。いやぁ、よかった。知り合いがいないからどうしようかと思ってたんだ」
「按摩さんも聖女の見物ですか?」
「ええ、見物と言っても目は見えないがね」
按摩さんは大きな口を開けて笑った。
「聖女の可憐な声音だけでも聞こえたら、あの世へお土産になるかと思ってね」
「そんなすぐにはあの世から迎えに来ないでしょう。それよりコロシアムの連中を相手に仕事してるんですって?」
「コロシアムは随分と剣闘士たちにお金をかけてるんだね。お陰で、ここのところ実入りがいいんだ。今度、旦那にもお礼を……」
按摩さんがジョーを飲みに誘おうとしたとき、海の方から歓声が上がった。ようやく聖女が姿を見せたらしい。拍手の音が波のように迫ってきて、3人と按摩さんも自然と拍手をしていた。
金色の刺繍が入った真っ白いローブ姿の聖女はゆっくりとした足取りで、お付きの人たちと共に港に降り立った。日の光が眩しいのか、お付きの一人は大きな日傘を差して、聖女の肌を守っている。その後からついてくる人たちはパンのようなものを配っていた。
「なにか町の人に渡してるね」
「なんだろうな」
ジョーにもシズクにもわからなかった。
「聖体というやつだ。信者が貰ってるんじゃないかい?」
按摩さんが答えた。
「あ、そうかも……。按摩さん、よく知ってるね」
「いろいろ各地を回っているうちに聞いたことがあるんだ。それより聖女はどんな顔をしてる?」
傘の影に隠れてはいるが、聖女の顔はよく見えた。
「聡明な性格がそのまま顔に出ているような……。きれいな人ですね。髪はベールに隠れて見えませんが、目鼻立ちもはっきりしていて、私が今まであった人の中でとびきりの美人です」
「そうかい。やっぱり聖女は美人かぁ」
シズクの説明に按摩さんは満足したようだが、セキは違う感想を抱いた。
「あれ? ジョー兄、なんかおかしくないか? 着飾ってはいるけど、中身が人っぽくないぜ」
「緊張して、そう見えるだけだろ。聖女ってのは、ああなんだよ」
「そうかなぁ……」
「兄ちゃんにはどう見えるんだい?」
按摩さんがセキに聞いた。
「見えるっていうか、獣っぽい臭いがするんだ。立ち姿かな。何か隠してるような……」
「セキ、獣の臭いは違うところからしてるかもしれないぞ」
見物客が聖女に気を取られている隙を狙い、怪しい動きをしている者たちがいた。
「ありゃ本当だ。興奮とは違う心音が聞こえる。旦那も聞こえるだろ?」
「ええ、緊張とともに誰かの財布の中が鳴ってます」
物取りが誰かの財布を盗むたびに、銀貨がチャリンと音を立てている。
「俺も見つけた。3人いるよ」
「捕まえますか?」
「うん。冒険者ギルドの脇道に追い込めばいい」
4人が簡単な打ち合わせをして、按摩さんが始まりの合図を出した。
「あれぇ!? 俺の財布どこいったぁ!?」
按摩さんが、酔っぱらったような、なんとも間抜けな声を出した。一瞬、今か今かと聖女を待っている見物人から笑い声がする。
按摩さんの声で一番先に動き出したのはスリたちだ。
「ちょっとそこの! 待ちな!」
シズクが野太い声で威圧すると、スリたちは一斉に駆け出した。
ただ行く手には、ジョーとセキが待ち構えていて、逃げ道は冒険者ギルドの脇道だけ。方向転換して逃げていくスリの3人に気づいた剣闘士たちと衛兵が動き始めた。
ジョーとシズクは指を差して、剣闘士たちに指示を出す。日頃、コロシアムで教官をしているだけあって、剣闘士たちは二人の意図に気が付いた。
「待て!」
ジョーの声が脇道に響く。
待てと言われて待つ奴はいない。逃亡しているなら、むしろ走る速度を上げる。
スリたちが脇道に一歩入った瞬間、丸太のような剣闘士の腕が喉元をぶつかった。馬車にでもはねられたかのような衝撃があり、スリは一回転して昏倒。後ろを走っていた2人のスリも剣闘士たちに組み伏せられていた。
スリの懐を確認すると、財布袋が4つ出てきた。
「なにがあった?」
衛兵たちも少し遅れて到着。
「スリです……」
ジョーが事情を説明した。
「あんたら隣町の山賊崩れだろ? 靴についた獣と山椒の臭いがきつ過ぎる。頭目が死んでカプリに流れてきたんだよ。きっと……」
セキがスリたちに言った。
「本当のことをベラベラ喋るな」
「おっと、そうだった。口は災いのもとだ」
「彼は?」
衛兵がジョーに聞いた。
「うちの見習いです。山から出てきたばかりで、なんでも新鮮に見えるようで。失礼があったらすみません」
「いや、勇者の知り合いなら大丈夫です」
衛兵はスリたちに縄をかけた。
「この町で好きに仕事ができると思うな」
「町の勇者がなんでも聞いているからな」
なぜか剣闘士たちがスリを脅していた。
「聖女が通るぞぉ!」
按摩さんの声が聞こえてきた。
広場に聖女が現れて、一斉に広場中から歓声が上がる。
衛兵も剣闘士も、スリを組み伏せたまま、にこやかに聖女に向けて手を振っていた。
ジョーたちも満面の笑みで手を振る。
笑いながら捕り物をしている衛兵たちが面白かったのか、聖女は「まぁ」と驚いた顔をしてから手を口に当て笑ってくれた。
「聖女はやっぱり人だな」
セキがそう口にした。
「いえ、聖なる乙女です」
シズクが応える。
「緊張してるのかと思ったら、髪を隠してたんだな」
「ん? どういうことです?」
「いろいろ事情があるんだよ」
「ジョー兄の言う通り。明かさない方がいい真実もあるんだね」
ジョーたちは聖女一行が見えなくなるまで手を振って、帰ることに。いつの間にか按摩さんはいなくなっていた。
「あれ? 餃子の袋どうした?」
「私が持ってます」