第2話「山からの来訪者」
山から下りたセキは浮足立っていた。
ようやく薬草まみれの山暮らしから解放され、自由を獲得した。
少年時代に一度だけ訪れたことがある遠くの町が、いつでもいける場所になり、本でしか読んだことがない人種や職業を見られるのかと思うと、どうしても気が逸る。
しかも自分も自由に職業を選べるのだ。
「冒険者が一番なんにでもなれる」
以前、山小屋で療養していたジョー兄が教えてくれた言葉だ。
セキはずっとその言葉を信じて、薬効のある野草採取や魔物の狩猟及び解体をして、冒険者になる訓練を続けてきた。
まずは山を下りて、ジョー兄の家へと独り立ちしたことを報告しに南の港町へ向かった。
いくつかの山を越えて、河を船で下る。河船に乗るのは初めてだった。
途中で回復薬を売って銀貨にし、馬車に乗ってみたりもした。普通に歩けばいいものの馬車に乗るという体験がしたかったのだ。
「揺れているだけで辿り着くのだから、やっぱり楽だなぁ」
当たり前の感想しか出てこない。
本を読んで思い描いていた通りの現実にセキは、調子に乗り始めていた。
思っていた通りのことが現実になるのなら、冒険者になる前に一発かましてやろう。
そう思って、ある港町の裏手にある大きな山に入っていった。山育ちなので山道に迷ったところで野宿をすればいい。草木も生い茂っているので食料に困ることもないだろう。
そんな軽い気持ちで山道を進み、坑道や廃坑、遺跡などを見て回った。
目的は強そうな魔物。討伐して死体を解体せず担いで冒険者ギルドに入会すれば、それなりに評判になるのではないか、という算段だった。
魔物に出会わなくても、ここでどういう商売が成り立つのか、考えることは新鮮だ。故郷の山では薬草ばかり育てていて、ほとんど商売などしてこなかった。
幾度か町には出たことがあったし、いろんな商売があることも知っている。鍛冶屋や薬屋ならわかるが、娼館、両替屋なんてもあるのだから、世の中はどこで利が出るかわからない。
人の流れを見て、自分にあった商売をして生きていく。
これが、セキの当面の目標だった。冒険者になることは、その目標への第一歩だ。
目標があれば黙々と歩き続けるのは苦ではない。魔物の廃坑に入った頃には、日が暮れ始めていた。魔物を仕留めて食べればいい、とセキは思っていたのだが、廃坑にいたのは犬ほどの大きさがある蜘蛛の魔物だった。
「虫は労力の割に食べる部分が少ないからなぁ」
虫はじっくり焼かないと腹を壊すことが多いので、ほとんど食べない。蜘蛛の方も大型なのに不用意に襲ってはこないので、廃坑をじっくり回ることができた。奥まで行かなければ大人の蜘蛛は出てこないだろうし、野生の魔物ほど警戒心が強い。
隙間風があり、違う出口があるらしい。薬に使える苔やキノコを採取してから、外に出てみるとすっかり月が空に浮かんでいた。
ガサゴソ。
廃坑を出たところで蜘蛛が誰かを襲っていた。
「こらぁ!」
大声を上げて手を振り上げると、蜘蛛が散るように逃げていく。
襲われていた人を確認すると、ズボンの尻辺りを破られているものの息はまだあるようだ。外傷はほとんどないように見える。
セキは被害者を担ぎ上げて、町へと降りていく。
夜のとばりが降りているとはいえ、月明かりはある。山道に沿って行けば、人がいるところには出るだろうと思い、とりあえず坂道を全速力で下っていった。
ほどなく街の明かりが見えてきた。思わず足に力が入り、山道から逸れて藪を一気に突っ切った。
町の外を巡回していた衛兵に走り寄る。
「なんだ? どうした?」
「廃坑の外で……人が蜘蛛に襲われていて……」
息も絶え絶えにそれだけ説明したが、焦りすぎて声が上ずってしまう。
「とにかく、落ち着け。いや、そんな大男を担いで大丈夫なのか?」
衛兵にそう言われて、セキはようやく自分が担いでいる男の重さに気が付いた。押しつぶされそうになり、衛兵に助けられた。
「わかった。とりあえず、詰め所まで運ぼう」
衛兵と一緒に大男を詰め所まで運んだ。
「廃坑を探索していて……」
「君は冒険者なのか?」
大男を運び込むと衛兵たちが集まってきて、セキの事情聴取が始まった。それよりも大男の手当てが先だと思うのだが、息もしているし目立った怪我もしていないため衛兵たちは呑気だ。
「いえ、まだ。でもなるつもりで探索して……」
「お父さんとお母さんはどこにいるんだい?」
「父親はいません。母親は家にいますが、自分はひとり立ちして、世話になった冒険者のジョー兄に会いに行くところで」
「そうか。それで廃坑というのはどこの廃坑だい?」
「あの山にはいくつも廃坑があるんですか?」
「そりゃあ、鉱山もあるのだから、廃坑とはいえ許可なく入れば不法侵入だよ」
罪になるとわかると、口籠ってしまう。
「魔物がいたのでちょっと様子を見ようとしただけです」
「冒険者でもないのに?」
「それほど強くはありませんし、野生の魔物ですから」
「野生だから危険なのだろう。一度冒険者ギルドの訓練を受けた方がいい!」
怒られて話しても意味があるようには思えなくなると、途端に疲労が襲ってきた。
「それで、どこの冒険者に会いに行くって?」
「カプリという港町です。近くまで来てると思ってるんですが……」
「カプリなら隣町だ。運がいいよ。最近になってようやく街道も通ってね」
複数の衛兵が話しかけてきて、頭が混乱する。
セキは仕方なく、感情を殺し、情報を処理するためだけに脳を使うことにした。
「そこの大男は蜘蛛に尻を襲われているので、腹に卵を産み付けられている可能性がある。早急に対処を。調書を書いている人は香水の匂いがキツイので仕事中に娼館に通っていて、壁際の人はポケットの中で小銭とダイスの音が鳴っている。博打のし過ぎで指にタコができているが、安物の下着をつけていて稼ぎはないらしい。入り口付近にいる人の腰にはなぜか木製の模造刀。借金のかたに持っていかれたとしたら問題あり。そちらで座っている人は自分の毛髪を気にしすぎて、余計に女性から距離を取られている。その証拠に顔中にニキビ。時刻は夜中で事件はほとんどない。仕事らしいことをしないと昇進にも響くのか、寄ってたかって調書を取ろうとしているが、この事件が昇進に関わる可能性は低い。この場にいる衛兵はこの町から出たことすらない」
セキは一息で喋り倒した。
「当たってますか?」
ボコボコにされた。
◇ ◇ ◇
ジョーの家にカプリの衛兵が訪ねてきたのは、翌日のことだった。
「町の勇者であるジョーさんにこんなことを聞くと変に思われるかもしれませんが、セキという名前の青年に心当たりはありますか?」
以前、海の王者とも呼べるクラーケンという大きな魔物を倒してから、ジョーはこの町の勇者と一部で呼ばれている。
「あります。弟みたいな奴ですが、どうかしましたか?」
「あー、残念なことに隣町の詰め所で捕まっています」
「えっ……!?」
「どうやら詰め所で暴れたらしく……」
「すぐに向かいます」
ジョーは取る者もとりあえず、財布袋と身分証明書代わりの冒険者カードだけ持って表に飛び出した。
「馬車の方が速いですよ」
隣町まで歩くと半日近くもかかるが、馬車なら2時間だ。
衛兵のアドバイスを聞いて、コロシアムまで向かった。駅馬車も通っていたが、できるだけ急ぎたい。
コロシアムでシズクに会い、事情を説明する。
「すぐに向かってください。こちらのことは私がやっておきますから」
「いつも、すまない」
「いえ、女房ですから」
シズクはそう言って胸を張っていた。
「コザック、悪いけど馬車出してくれ。金なら弾むから」
「バカ。町の勇者から駄賃なんか貰ったら、評判が落ちるわ。ちょうど任期明けの連中もいるから、連れていってやるよ」
勇者にバカと言えるのもコロシアムの人たちくらいだ。
剣闘士や職員としての任期を終え、晴れて自由の身になった者たちは冒険者ギルドで身分証明書を発行してもらう。
任期明けに、そのまま商人として引き抜かれることもあるが稀だ。これからは自分たちで仕事を取ってこないといけない。貴族たちの護衛に就ければ給料が出るが、ほとんどが冒険者や傭兵として再起する。
冒険者ギルドから4人の元剣闘士が戻ってきて、馬車が出発。御者はスタンだ。
「うちの勇者様が急ぐみたいだから、坂を上って真っすぐ隣町まで行くぞ。文句があるなら、勇者様に言え」
「悪いな。皆」
荷台の中でジョーが謝った。
「今から根無し草なんで、別にどこに行ったって構やしません」
「教官も仕事があれば、我々を指名してくださいよ」
「わかった」
ジョーは剣闘士たちから筋トレの教官と呼ばれている。
「コロシアムを出たんだから、負ける戦いはするなよ」
「ええ、わかってます」
「試合だけで通じる戦いばかりじゃないってことですね」
「わかってるならいい」
「そういや、この前、妙な按摩さんが来て、皆の怪我を言い当ててたんですが、教官の知り合いですか?」
「いや、お茶を出してやっただけだよ……」
昼下がりの街道を馬車がゴトゴトと音を立てながら走る。
スタンの馬の扱いは正確で、程よくスピードに乗っているのに揺れが少なかった。
ジョーは隣町に辿り着くと、すぐに元教え子たちと分かれ、詰め所へと急いだ。
「すみません。うちの者が世話かけたみたいで、引き取りにまいりました!」
ジョーを見た衛兵たちが戸惑いながらポケットに手を突っ込んでいる。
「あのセキという青年が暴れませんでしたか?」
ジョーは衛兵に銀貨を握らせた。
「あ? ああ、今牢に入れている。暴れたから痛めつけたが、もう少し教育しておくように」
「すみませんね。山育ちなもんで、町の常識を知らないんです。申し訳ない」
地下牢を見ると、数人床で眠っていた。
セキは顔を赤く腫らして、腹を擦っていたが骨が折れたりはしていないようだった。
「ジョー兄!」
「おう。立てるか?」
「すまねぇ」
セキが立ち上がると、ジョーの背丈を超えていた。筋肉も少年時代よりすっかり逞しくなって、剣闘士としてもやっていけるだろう。ただ、顔のあどけなさは少年時代のままだ。
「うん。話は後だ」
衛兵たちに目立った怪我はないから、反撃はしなかったのだろう。ポケットに手を突っ込んで隠している衛兵たちは拳を痛めただけだ。
「よし、出ろ!」
衛兵に言われ、セキは釈放された。
「兄貴に薬草でも貼ってもらうんだな」
衛兵のひとりがそう言って見送ったが、セキは牢に残された大男を気にしているようだ。気になってジョーも大男を見てしまった。
過敏すぎるジョーの耳に、大男の腹に何かがいる音が聞こえた。
「その大男が、どこの誰かは知りませんが、急いで下剤を飲ませるか、酒を飲ませてください。腹の中で虫が湧いてます」
「え? ああ、わかった。やっておくよ」
ジョーとセキが詰め所を出ようとしたところで、衛兵が走り込んできた。
「やっぱり山賊長のひとりだ。もうひとりやられたぞ!」
「何を言っている!?」
「あの青年が運んできた大男のことだ。お山で内部分裂が起こってるみたいだぞ!」
走り込んできた衛兵は仲間たちに、なにか報告しているようだが、ジョーたちにはよく理解はできなかった。
「やられたっていうのは?」
「里廻りで小銭稼いでいた奴隷商の子飼いだな。首がぽっきり折れてた。牢の奴は運がいい」
ゴトゴトと音を立てて、詰め所の前に荷台が運ばれてきた。荷台には大きな男の死体が乗っていて毛布が掛けられているが、息をしていないのはわかる。
町の人たちも遠目で見ていた。
「野次馬が来る前に後ろに持っていけ。山賊長たちだけか? 部下たちは?」
「部下たちはその辺で昼から酒飲んでるよ。呑気なもんだ」
「おかしいじゃねぇか……」
確かに自分たちの頭目が死んでるっていうのに、呑気に酒など飲んでいる場合ではないだろう。
ただジョーにもセキにも関係がない。セキがたまたま大男を拾ってしまっただけ。
「ギャー!!」
地下牢から叫び声が聞こえてきた。
「今度は何だ?」
衛兵が面倒くさそうに後ろを振り返った。
「「腹が裂けたな」」
ジョーとセキが同時につぶやいた。
「蜘蛛の魔物が腹を裂きやがった!」
牢にいた衛兵が入口まで上がってきた。
その場にいた衛兵たちは、なぜかジョーとセキを見てきた。疑っているのかもしれない。
「昨夜からずっとここにいましたし、事情は説明した通りです」
腫れた顔のセキが言った。
「もう行ってもよろしいですか?」
今度はジョーが衛兵たちに聞いた。
「あんた、カプリのジョーって男か?」
衛兵が聞いてきた。
「ええ、ジョーで間違いありません。カプリで『くず屋』をやっております」
冒険者カードを見せながら答えた。
「ウェアウルフの一党を知っているか?」
ウェアウルフという狼男に変身する人攫い盗賊団にシズクが誘拐されたことがあった。
「妻を攫った盗賊を捕まえる時に見たかもしれません」
「恨みはあるか?」
「ないです。捕まった後のことは知りませんよ」
「そうか。行っていい。また話を聞きに行くかもしれん」
「いつでも家に訪ねてきてください。最近、仕事がなくてほとんど家にいますから」
ジョーとセキは詰め所を出た。
「いいのか? 行かせて」
「俺たちがアリバイを作っちまったからな。それに山賊を捕まえるのは本来俺たちの役目だ」
「しかし、お山の事情は……!」
衛兵たちの声を聞きながら、ジョーとセキは町の広場へと向かった。
カプリと同じような噴水があるが、今は水が噴き上がっておらず水が溜まっているだけだ。
「ジョー兄ぃ、すまない」
「いや、謝るな。事情があるんだろ?」
「少し功を焦ったというか……」
セキは昨夜からのことを洗いざらいジョーに語った。
「あぁ、セキらしいな」
ジョーは笑って、セキの背中を叩いた。
「世の中には知られると恥をかく事実というものがあるんだ。なんでもかんでもしゃべってはいけないということさ」
「それはわかってるんだけど、ああやって囲まれるとどうしても慌てちまうよ」
「町に住めば、慣れてくる。さ、冒険者ギルドで登録してから帰ろう」
「うん」
広場に隣接している冒険者ギルドの建物に入り、セキの冒険者登録を済ませる。裏庭でちょっとした訓練もあるらしい。
カプリではないので、ジョーのことは知っていても顔を見たことがない職員のほうが多く、冒険者たちからも指をさされることもない。
セキが訓練をしている間、ジョーが掲示板を見ていると、カプリとは違う依頼が多かった。薬草採取や仕事の人足などではなく、行商人の護衛や坑道の調査依頼、遺跡発掘などである。
「遺跡があるのか……」
暇そうな職員に聞いてみると、山には国ができる400年以上前の遺跡が眠っているが、山賊や魔物に荒らされているのだとか。王都の大学から調査団がやってきても強盗や野盗に狙われてしまい、遺跡があるのはわかっていてもほとんど調査されないという。
「20年前にも大掛かりな調査されたのですが、山賊に襲われて中断。そのあとすぐに王族の保養所の建設地としても注目されていたんですけど、今度は火事でとん挫。今じゃスラムに人があふれるばかりでさぁ。だからカプリとの街道が復活してよかったですよ」
職員は冒険者ギルドよりも、カプリのコロシアムで働きたいと言っていた。
「コロシアムはコロシアムで厳しいかもしれないよ?」
「いやぁ、この町ではどんなに稼いでも、貴族に商売を取られてしまいますから……」
さらにおしゃべり好きの職員に話を聞いてみると、町の東にある貴族街には、保養所の建設時に王都から男爵や騎士たちが大勢やってきていたという。ただ、中止されたというのに王都に帰らず、居残った貴族たちが、鉱山や奴隷商の利権を無理やり奪った。
「材料と奴隷に規制がかかると、商売が発展しません。貴族に嫌われた鍛冶屋は潰れ、娼館も数軒を残すばかり。新しい商売も貴族に利権を奪われかねません。この町は西と東で景色が違うんですよ」
表に出て散歩してみると、貴族街がある東側では噴水の水が空に向かって勢いよく噴き出ていた。娼館街も昼だというのに、娼婦たちが窓から上半身を出し、桟に大きな胸を載せて若い貴族の青年を誘っている。
ジョーが昼飯を買って冒険者ギルドに戻ると、セキの訓練は終わっていた。
「どうだった?」
羊肉が入った饅頭を渡しながら、ジョーはセキに聞いてみた。
「ルールが多かった。暗黙のルールとかがあるらしくて、武術や剣技で倒さないと一人前とは認められないんだって。魔法で倒そうなんて思わない方がいいとか言ってたな」
「そうなのか?」
「後、罠で魔物をしとめるのは運次第でどうにでもなるから、報酬も少ないって決められていたよ」
「そんなバカな話あるのか? 罠猟師だっているだろうに……」
「取り決めを作ったのは貴族だから、あんまり教官も逆らえないらしいけどね」
首をかしげながら、昼飯を食べて、ジョーとセキはとっとと町を去ることにした。