第1話「祭りの香」
風が吹いた。
空から死体が落ちてきた。
桶屋が儲かる。
~~~~~~「祭りの香」~~~~~~
枯れ葉が舞う森の中を馬車が走っていく。補修を繰り返した石畳は、車輪を噛まずに伸びていた。
見上げれば秋空が広がっている。
カプリの町では祭りの準備でにぎわっていた。今年は祭りを主催する教会に聖女が来るという。
いつもはコロシアムが盛んで、昼でも酔っ払いが噴水に頭を突っ込んでいるこの町も、どこかよそよそしく、街角にドライフラワーの花が飾られ、娼婦たちが新しいドレスを新調している。
『くず屋』のジョーは賑わいから離れ、坂を上っていた。
割れた皿を修復する生業をしているジョーだったが、最近は仕事がない。町の家々を回り、割れた皿はないか聞いて回るが、町の人たちは教会で売られている白い皿に夢中だ。
「あれで飯を食うと、なんだか聖女様の加護があるみたいで普段の焼き魚がうまく感じるんだ」
馬飼いで御者のスタンも言っていた。
祭りで盛り上がるのはいいことだし、教会の皿が売れることもいいことだ。
いずれ皿が割れればジョーに仕事が回ってくるはず。
そう楽観しても今の懐は寂しいばかり。
妻のシズクも今日は『くず屋』の仕事をせずにコロシアムで、剣闘士たちに魔物との戦い方を教えて日銭を稼いでいる。
シズクは元コロシアムの英雄で上背が高くジョーよりも腕っ節が強い。カプリと隣町の道中に巣くっていた大蛇の魔物を倒したのもシズクだ。
頬に傷痕があるものの、目は大きい。どんなに疲れていても立ち姿は凛としている。
なにより声音に嘘がない。
コロシアムで剣闘士をしていたためか、誰か男に媚びるという経験が少ないため、夫であるジョーにもほとんど甘えることがない。
仕事があった時は喜び、仕事がなかった時は悔しそうに「ただいま戻りました」という。
ジョーにはそれがわかりやすくて生涯聞いていたいと思う声だった。
坂を上りきり、町外れ。
青い屋根の家がある。ジョーとシズクが住む家だ。
夏の初めに町の人たちから贈られた家だが、至る所から隙間風が吹いていて目の前の馬車道と同じように補修を繰り返している。
家の庭先に、椅子とテーブルが置いてある。夏の暑い盛りに、夕涼みをするため作ったのだが、今はほとんど使っていなかった。
そんな庭先の椅子に杖を手にした爺さんが額の汗を拭いながら座っていた。
「こんにちは」
「ああ、こんにちは。ここはお茶屋ではないのかい? いくら呼んでも店の人が来ないんだ」
爺さんの両目は潰れていた。
按摩の爺さんが、お茶屋と間違えてジョーの家に来たようだ。
「すみませんね。ここは『くず屋』という皿の修理屋でございます」
「なんと、それは申し訳ない」
「ですが、さぞ長い旅だったでしょう。お茶を用意いたしますので、少しの間、お待ちください」
ジョーは家に入り、すぐに薬缶に水を入れ、お湯を沸かした。
茶葉は海の向こうから船で来たもので、香りがいい。
「按摩さんはどこから来たんですか?」
ジョーは世間話に聞いてみた。
「俺は王都の近くからだ」
爺さんと思っていたが、顔の血色がよく意外に若いのかもしれない。杖はしっかりしたものだが、荷物は少ない。
ジョーがお茶を出してやると、美味しそうに飲んで「はぁ、落ち着いた」と、ほっと溜息を吐いていた。
「坂を下りたところに港町があるのかい?」
潮風でも嗅いだのか爺さんが聞いてきた。
「ええ、カプリというコロシアムが盛んな町ですよ」
「コロシアムで戦う魔物は海の向こうからもやってくるっていうのは本当かい?」
爺さんもカプリの噂は聞いているらしい。
「そうですね。夏頃まで街道が閉鎖されていたので、大型の魔物は海の向こうからしか来なかったようです」
「おや『くず屋』の旦那はこの町の出身じゃないのかい?」
「冒険者だったんですが限界を感じて、伝手を辿ってここまで流れ着いてしまいました」
「俺も随分、流れ者をやっているが、居場所を見つけた人が羨ましい。大事にすることだ」
「ええ、本当に……」
そのあと、二人は秋に獲れる魚の話や王都で処刑された罪人の話なんかを話し合い、いつの間にか半刻ほど過ぎていた。
「あいや! ちょっと長居をし過ぎた。そろそろ町で宿を取る時分だろう」
「いえいえ、大したもてなしもできず」
「そうだ。お茶のお礼にマッサージをしてやろう。なにせ按摩にはこれくらいしか売るものがない。よければ手を貸していただけるかな?」
凝っている背中などではなく、手だけでいいのかと思ったが、ジョーは按摩の爺さんに従い、手を差し出した。按摩は手を揉みながら、「ほうほう!」と頷いている。
「その耳はいつから?」
按摩の爺さんは手しか触っていないのに、ジョーの耳のことを言い当てた。実際にジョーの耳は、昨年の海難事故と海賊からの逃走で、音に過敏に反応してしまうようになっていた。
「去年、事故に遭いましてね。そこから近くの音が大きく聞こえるようになってしまいました」
「そうか。それは災難だ。少し触らせてもらっても?」
「ええ、お願いします」
按摩の爺さんの手に触れられるよう、ジョーは頭を傾けた。
「やはり気の流れが耳に集中している。これはなんでも聞こえていろいろ大変だろう」
事実、ジョーは町の音という音が聞こえる時がある。誰の声でも聞こえてしまうというのは、良いことだけではなく言い争う声も聞くことになる。
「そうですね。せめて、自分で調節できるといいんですが……」
「耳が蓋をしてくれるといいのだが、人間はそうできてないからなぁ」
「調子が悪い日に町に行くときは耳栓を使ってます」
「それがいい。力を抜いてうまく自分の身体と付き合うことだ。さて」
按摩の爺さんは立ち上がると、杖を叩きながら馬車道に下りた。
「お茶をありがとう。世話になった」
「いえ、安宿で良ければ冒険者ギルドの宿を使うといいですよ」
「うむ、そうする。そろそろランクを上げてもいいか」
按摩の爺さんは懐から冒険者の証であるカードを取り出して、ジョーに見せた。目が見えないのに冒険者が務まるくらいだから、よほど強いのか、仕事ができるのだろう。
「坂の下は賑わっているようだな」
「ええ、秋祭りに聖女様が来るんだそうです」
「そりゃいい。少し稼がせてもらおう。では、また」
「ええ、また」
しばらくカプリに滞在するなら、再び会うこともあるだろう。
按摩の爺さんは目が見えないとは思えない速度で坂を下っていった。
すれ違いに、ジョーの妻であるシズクが背中を真っ黒にして坂を上ってきていた。コロシアムでの仕事の後に、炭焼き小屋から燃料屋へ木炭を運ぶアルバイトをしていたらしい。
「ただいま戻りました」
「おかえり」
ジョーは湯飲みを片付けながら、シズクを迎えた。
「誰か来ていたんですか?」
「ああ、按摩さんだ。街道を歩いてきたみたいでね。疲れたんだろう」
「そうですか。背中が汚れたんで、井戸にいます」
「うん。新しい石鹸使っていいぞ」
「はい」
今日の稼ぎは、そこそこだったようだ。シズクの声音が落ち込んでいない。
シズクが稼いできたので、今日の夕飯はジョーが用意する。
外で仕事をしてきた者のために家にいる者が家事をしておくというのは、夫婦で取り決めたわけでもないのに、なんとなくそうなっていた。
コロシアムで死んだ魔物の肉と野菜のスープ。それからスクランブルエッグを挟んだパン。もしかしたら腹が減ったとき用にサバの一夜干しも焼いておいた。
「旦那様も外に出たのに……」
麻のラフな服に着替えたシズクがジョーに言った。
「俺が食いたいものを買ってきたんだ。シズクが遠慮して食べないんだったら、俺が食うよ」
「いえ、私もいただきます」
結局、テーブルに並んだ食事は二人でぺろりと平らげてしまっていた。
食後のお茶はシズクが淹れる。最近、飯処の女将連中がシズクに教えているらしい。
「ところで、旦那様は何を取りに行ったんです?」
シズクが言うようにジョーは冒険者ギルドに呼び出されて、町に出ていた。夕飯の買い物だけしてきたわけではない。
「昔の恩人から手紙が届いていたんだ」
ジョーは嬉しそうに笑った。
「あら、よかったですね」
「ああ、冒険者時代に怪我をしたって言ったのを覚えてるか?」
「ええ、山で療養していたとか」
「そう。その山小屋で一緒に暮らしていた少年が成人してこっちにやってくるってさ」
「それはもてなさないといけませんね」
「弟みたいなものだが、人より少し賢いんだ。どうなっているか楽しみだ」
ジョーがなにかを自慢することがないので、シズクは驚いていた。
「よほど賢いんですね。旦那様の弟さんは」
「ん~、あれは、あいつがまだ10歳にも満たない少年だった頃の話だ。山を下りて回復薬を売らせたら薬屋ごと買い取れるくらい稼いできたことがあった。利に聡いんだよ」
「商才があるということですか?」
「うん。ただ、親は心配してる。本人が商人じゃなく、冒険者になりたいそうだから」
「それ、旦那様の影響なんじゃ……?」
「え……? そうなのかな。それで俺に世話をしろと言ってきたのか。まぁ、人にまみれたら嫌でも自分の才能に気が付くだろう」
「でも、才能が人生を決めるわけではありませんよ」
戦う才能があるシズクが『くず屋』の女将をやっているのだから、説得力がある。
「確かにそうだ。……うん、なるほど」
「何がなるほどなんです?」
「いや、俺の役割がわかっただけさ」
先に山から下りた先輩として、あれこれ言うのは止めて見守るだけだ。そうジョーは決めた。