傲慢な女性がモテる国だと聞いたので、全力でわがままに振舞いたいと思います!
「貴族社会では見栄は絶対。決してへりくだることなく、相手に対して傲慢にふるまいなさい。立場の違いを見せつけなさい」
それが我が国の利益になります。くれぐれも泥を塗ることのないように。そう王妃様、つまり私の継母は告げた。
「それに隣の国ではね、わがままでどうしようもない女性ほど、男性にとって魅力的とされる文化なの。愛想をつかされないため、そう振る舞うことね」
そういわれて、この国に嫁いだ身だった。婚約し、隣国に出向いてはや半年。
私ことレティア姫は、できるだけ傲慢に振る舞うことにしていた。
「ねえ、私ここのドレス、全部着てしまったの。もう着る服がないわ。急いで仕立てさせてちょうだい? それとも、私に何度も同じドレスを着させる気なのかしら」
元王女の私に、恥をかかせる気? 目の前にいる婚約相手の公爵様に、そう揺すった。
ただひとつ問題があるとすれば、そう。
……私の婚約者は、めっちゃ強面系の大男だったということだ。
「ほう……」
公爵様は黙りこみ、思案顔になる。
それを見た私はもう、内心ビックビクであった。
公爵様、名をゴルトというらしい彼は、それはもう武闘派そのものな男であるのだ。
かつては従軍経験があり、大変な武功を上げた。この国での人脈に乏しい私ですら耳にするほどの噂だった。
それを裏付けるように、常人の頭ひとつ分は高い背丈に、筋骨隆々とした体格、極め付きは厳しげな顔立ち。
いや、イケメンではある。イケメンではあるが、断じて優男の類いではない。険しい目付き、彫りの深い顔、常に引き締まった表情。
接頭辞に「氷の」がつくタイプの男である。間違いない。
そしてそんな男相手に、私はわがまま放題ふるまっているのである。やべーぞ。
「そうだな。明日は私の懇意にしている仕立て屋を呼ぶから、好きに使うといい」
顔を上げて、私の要望を聞き入れたゴルト様。ゆ、許された……!
冗談ではなく、この男相手にわがままに振る舞うとき、私は常に死を覚悟していると言いたい。
それでも高慢に振る舞うのは、ひとえに祖国の名誉のため、そしてこのゴルト公を脈絡し、私の立場を確実にするため。
虎穴に入らずんば虎児を得ず、である。
「ふん! 感謝しておくわ」
「そうだな」
顔色ひとつ変えず、めっちゃ高圧的に感謝を述べる私。自分で言ってて、何といけすかない女なんだろうと思う。
それこそ、私がゴルト様なら今ごろガチ切れしてるレベルだ。
耐えろ私、ここで怯えを顔に出したらすべてが無意味になるぞ。
そんな風に思ってると、でもなんかゴルトは、私の頭を撫でてくる。これで正解らしい。
あの、この国の魅力的な女性像、ちょっと歪みすぎてませんかね!?
それか駄々っ子扱いされてるだけかもしれん。どっちにしろ、……納得いかない、うん。
その後しばらくして、ゴルトが場から去って。
「ゴルト様とお会いできてよかったですね」
「私は元は王女よ。そんなこと当然だわ。それに私、ゴルトにお願いしたいこと、たくさんあるのに、普段は全然会えないんだもの。配慮が足りないのではなくて?」
「レティア様ったら、本当にゴルト様がお好きなんですね」
そんな風に不満を垂れ流す私に対して、のほほんとした反応を返すのは、侍女のリナだ。
こちらに来てからつけられた、元々公爵家つとめの侍女。今は私の専属侍女をやってくれている。
散々わがままを言っている私は、ただ一介の侍女からしたら腹が立つだけだろうに。表面上は不満ひとつなく、身の回りのこと一つできないということになっている、私の世話をしてくれている。
いつもニコニコしてるこの子を前にすると、小心者の私は、余計罪悪感が重くのしかかるのだ。
……いけない。安易な感情に流されては。
こんなときわがままな女の子なら、例えば祖国でやりたい放題やっていた私の義妹なら、どうするだろう。
「ねえリナ。私紅茶がのみたいわ。今すぐ用意しなさいよね。当然、イェーナのものよ?」
イェーナとは、私の故郷にある、最高級と名高いブランドのものだ。そうそう手に入る代物でもないが、そんなことは関係ない。
実際公爵家の財力ともなれば、まあ買えないことはない程度の高級品である。
「もちろんです、今お持ちしますね」
しかしこれもリナは普通に受け入れて、茶の用意をしに行く。
薄々気づいている。ここの人は誰も彼も、こんな私に対しても心底親切なのだ。
……本当は私は、紅茶の味の違いなんて、全くわからない。イェーナだって、数ヵ月前はじめて知ったブランドだ。つまり意味のないことに付き合わせて、リナの誠意をこけにしてるのだ。表情を崩さないようにしながら、内心はボロボロで、泣きそうだった。
それでも私は、ここで演技をやめるわけにはいかない。もし王家に泥を塗り、あるいはゴルトの関心を引けなければ、祖国に送り返される。そうしたらあの暗い座敷牢に幽閉され、今度こそ一生出られない。
「くじけないぞ、私、頑張れ、私」
一人残された部屋のなかで、小声で呟く。
ここにいることが、千載一遇のチャンスなのだ。王妃に疎まれ、妾の子としてなんの後ろ楯もなく、城で捨て置かれ。教育一つ受けられなかった私。この婚約のお陰で、花嫁としての教育を受けて、いまここにいる。
そう思えば、どんなことでもできる。なんでもして、ここに居座ってやろう。
「今お持ちしましたよ。お気に召されるとよいのですが」
「……ありがと」
強く生きようと誓い直したのに、帰ってきたリナをみて、また思わず泣きそうになった。
あくる日。いつものように、リナを連れ添って屋敷を歩いていると、事故があった。
がしゃん。ぱりーん。
屋敷に飾られた壺が落ちて、割れた音。
「レティア様、お身体に怪我はありませんか!?」
「え、ええ……」
不幸な事故だった。私は実はこんな着飾ったドレスで歩くのに慣れていなくて、ふらついてしまった。
それに煽られて、リナが避けようとして、思わず壁の端にぶつかってしまった。そしてその衝撃で、花を生けていた、壁際の壺が落ちた。
「おい。こっちから大きな音がしたが。……大丈夫か」
当然、回りにも聞こえていた。駆けつけてくる人がいて、それは間の悪いことに、ゴルト様だった。
今回の事故、誰が悪いかといえば、私なのだと思う。でも最後に壺を落としたのはリナなわけで。こういう場面だと、リナの不手際になってしまう。
当主のゴルト様にみられた以上、今回のことはごまかせない。また迷惑をかけてしまった。
……! そのとき、私のなかに天啓が下った。これを、利用できないか。
「これは……どうしたんだ?」
「この侍女が、私に不敬を働いたのよ? 少し見せしめに脅してやるため、そこの壺を叩き落としてやっただけ! ほんと、困っちゃうわ!」
つまり、私が落としたこと作戦だ。私はわがまま少女になれてプラス、リナも罰を逃れられてプラス。誰も損しない神の一手である。
リナがぎょっとした顔で私をみてくるが、気にしない。
だけど、次の瞬間、私はその選択を後悔した。
「レティア姫。」
たった一言、私の名前を呼ぶゴルト様。
穏やかな顔と、静かな声色。決して激昂しているわけでもなく、完全に理性的で。なのに一瞬で、彼が本気で怒っていることが、わかってしまった。
「慣れない隣国で、私のような男に嫁いで、色々と心苦しいことはわかっている。だから私もできる限り、あなたの願いを叶えてあげたいし、尊重したいとも思っている。……でも」
これは駄目だ。
そう告げたゴルト様は、私の行動を完全に拒絶していた。
っ、まずい。今すぐ謝ろう。真摯に謝るべきだ。
わかっていて、喉から言葉が出てこない。胸がきゅっと締め付けられる気がした。
「この壺だって、職人さんが丹精込めて、一つ一つ作ったものだ。見る人を楽しませよう、そう思って頑張って作ったものだ。それを粗末にするのは、その人の思いを踏みにじること。よくないことだ」
ゴルト様は一呼吸おいてから、出来の悪い子供に言い聞かせるように、それは優しく説き始めた。
そして次に、割れた壺の欠片を片付けてるリナの元にいって、その手を優しくとった。その手に切り傷ができていることに、今気づいた。
「それに、リナ……この侍女の手のひらに、血が出ているのがわかるか。あなたが壺を割らなければ、彼女の手はこうならなかった。あなたがやったのは、人を傷つけるようなことだ。あなただって、痛い思いをするのは嫌だろう? それは身分が下の人も、誰だって同じだ」
ぐうの音も出ない、正論である。ロジカルすぎて困るくらいじゃないか。私の頭のどこかにいる、まだ冷静な部分の私がそう主張している。
だからこんな状況で、やるべきことはわかってる。わかっているのだ。
ごめんなさいと、ただ一言言えばいいだけ。
なのに。
「あ、あ……」
「レティア姫。わかってくれるか?」
言わなきゃ言わなきゃと思うほど、言葉がでなくなってくる。
呼吸が荒くなり、心臓がばくばくするのが自分でもわかる。
そのうち私のほうに視線を合わせて、覗き込んでくるゴルト様の瞳と目があって。いつも通りの穏やかな目が、私のすべてを見透かすかのように、おそろしく見えたら、もう駄目だった。
「ひ、ひっぐ……うわああん」
熱くなった体と裏腹に、脳だけは覚めていて、その思考に、自分でも笑ってしまうくらいに。喉からは声にならないうめき声が、目から大粒の涙がボロボロとこぼれてしまって、自分がパニックになっているのがわかった。
私の反応にとたんにおろおろし始めるゴルト様。はじめてこんな姿を見たと、どこか放心気味に思いつつ。そのまま回りを見渡すと、何が起こったのかと人が集まってきているのがみえた。
それでその場にいるのも辛くなって、ゴルト様もリナも置いて、一人自分の部屋に逃げ帰った。
服もそのままに、はしたなくベッドの布団の中にくるまって、体が震える。自分では涙も声も止められなかった。これじゃ叱られて癇癪を起こす幼児と何も変わらないじゃないか。
……でも。それほどつらかったのだ。
ゴルト様に、自分のわがままを拒絶されるのが。
ずっと気づいていた。見ないふりをしていた。
傲慢に振る舞うのは、祖国の王家の品位を保つため。それにその方が魅力的な女性だから。……そんなのは、ただの言い訳だった。
単に、こんな私のわがままを受け入れてくれる。私の全てを受け入れてくれる、この生暖かい環境に浸っているのが、楽しかっただけなのだ。
故郷にいた頃は、信頼できる人なんて一人もいなくて、自分の要求が通ることなんて、一つもなくて。好き放題に生きていた義妹が羨ましくて、その妬ましさを押さえ込むようにして、その感情をみないふりをしていた。それがはじめて無条件に甘えられる存在が出来て、それで内心舞い上がって、ずっと我慢していた感情が止まらなくなっていただけなのだ。
だから親の愛を試す幼い子供のように、ゴルト様にわがままを繰り返した。それが楽しかった。困ったような雰囲気を出しつつ、それでも常に全力で私の理不尽な要求を叶えようとしてくれるゴルト様の姿に、内心喜んでいたのだ。それが見たくて、欲しくもないものをねだり、持ってもいないプライドを振りかざした。
本当にどうしようもない人間だ。
でも、それでついに一線を越えてしまった。とうとう愛想を尽かされた。私は終わりだ。お似合いの末路だ。
身体の表面だけ熱いのに、中の方はどんどん冷えていって。心まで寒くなって、布団を握りしめながら、意識を暗い底に落としていく。このまま布団のなかに隠れて、消えてしまえばいいのに。
* * *
「俺は、やってしまったのか……?」
婚約者のレティアが、泣きながら逃げ出していったのを見つつ、俺はぼやいた。
思った以上に、ダメージが大きくて。俺にあるまじく、その場に放心状態でたたずんでいた。
数ヵ月前に隣国の王家から嫁いできた彼女は、お姫様らしく可憐な容姿と、お姫様らしく少しばかり我が儘な性格をした、無邪気でかわいらしい女の子だった。
数才年下で、それ以上に儚く見えるレティアは、つい守りたくなるような子で、こんな子をこんなところまで嫁がせてしまったことへの罪悪感を感じつつも、特にそれ以上に思うことはなかった。
彼女の我が儘は、むしろかわいらしいと思わせるようなものが多かった。
だけど今日は毛色が違って、驚いてしまって、つい冷静さを欠いてしまった面があった。……これは言い訳か。
とにかく侍女を傷つけることは、許容できなかった。民を守ることが貴族のつとめ、我が家の誇りだと思っている。
だから納得してもらおうと、そう思って説得したのだが。ちょっと語気が強めだった自覚はある。その場で泣かせてしまった、それで逃げられてしまった。
「そういえば、彼女が泣いた姿、初めて見たかもしれないな」
その事実は、レティアのイメージからすると、少し意外に思えた。
ただそれだけ、誰かに怒られることが辛かったのだろう。レティアは奔放な子で、おそらく故郷にいた頃は、大切に育てられたのだろうと感じさせた。
あまり怒られることに慣れていなかったとしても、不思議ではない。
自分自身、その容姿と風貌が人を、特に女性を怖がらせるのはわかっていた。出来るだけ優しくしようとしたが、失敗してしまっただろうか。
レティアに怖がられてしまっただろうか。……嫌われてしまっただろうか。そう考えると、なんだかとても心が痛むような気がする。
俺は彼女の自由な姿に、とんでもなく絆されていたみたいだった。それを自覚した。
「……、ゴルト様! どうかお聞きください、誤解なのです……!」
そんな私の印象は、我に返ったように俺に必死で主張する、レティアの専属侍女のリナの言葉で、覆されることになった。
「レティア様は、私を庇って壺を割ったと言っただけです。本当は完全な事故で、私がぶつかって落としてしまったのです!」
なん、だと。虚を突かれたような心地だった。
「私も突然のことで気が動転して、口を挟むことが出来ず、本当に申し訳ございません!」
主を庇って嘘をついているようには見えない。
しかしあのレティアが、侍女をかばったと言うのは……
「レティア姫はそのようなことをする女の子なのか?」
思わずそう言葉をこぼす。
すると彼女の専属侍女であるリナは、その言葉に本当に怒ったようだった。
「ゴルト様相手でも怒りますよ! 確かにレティア様は一見高飛車で性格もきつそうで、確かにわがままも多いですけど! でも私の体調が悪いときは、そっと気遣ってくださるし、なにかがあれば感謝の言葉も忘れないですし、本当に無理なことはなにも要求しないですし! ……そんな、悪い子じゃないんですよ」
そう言うリナの顔には、本当に親愛の感情を感じさせた。真実なのだろうと確信する。
だとすれば、間違っていたのは俺の方ではないか。
まともに状況を省みることもなく、知ったように年下の女の子を威圧して、説教をしていい気分になって、それで怯えさせた。クズ男といわれても、なにも言い返せないくらいの行いだ。
そもそもそれだって、俺が婚約者のことを知ろうとせず、放置していたからなのだ。
少しでも理解しようとする努力をしていれば、それこそ目の前にいるリナを怒らせてはいなかったはず。
「すまん、これからやる予定だった書類仕事はあとで行う。明日には間に合わせるから、このあとの時間を少し開けさせてくれ」
領地経営の書記官を呼び寄せて、これからの予定を変えてもらう。
俺がいま行くべき場所は、……レティアのところだろう。
* * *
ふと意識が覚めて、自分が誰だか、わからなくなったような心地になる。それでも、すぐに何があったかを思い出した。
夢だったらよかったけど、残念ながら夢じゃなかった。
自分の着ているものは、布団のなかにいるには似つかない、外行きのドレスのままで。そしてなにより、額に涙の乾いたような感触があった。
そう、さんざん泣きわめいたあとだった。……私、泣いたの何年ぶりだったろうと思う。
最後に泣いたのは幼い頃、母が亡くなったときだ。それからずっと、弱味を見せないため、そう言い聞かせて、絶対に泣かないと思って生きてきた。母が死んでからは辛いことばかりだけど、泣いたら負けだ、その心だけを支えに生きてきたのだ。
でも一度泣いてしまえば。泣くと言うのも、そう悪くないものだと思えた。
……あそこにいたゴルト様とリナには迷惑をかけてしまったけど。
それでも頭がスッキリして、今までの思い詰めた感情も、ずっと溜め込んだ鬱屈としたものも、すべてすっきり整理されたような、雨上がりの晴れ空のような心地だった。
落ち着いて、考えて。
「やっぱり私って本当に最低な人間だなあ」
笑いながら。自虐とかでもなく、前向きに受け止められた。
少し叱られただけで、あそこまで幼児のように癇癪を起こしたのだ。我が儘が魅力的な女性とか、そう言う次元も越えている。さすがに呆れられただろう。
婚約破棄もあるだろうと思っている。
でも。少し前みたいに、無理を言って執着する気持ちは、無くなっていた。やってしまったこと自体は、いまさら嘆いても仕方ない。
ここ数ヵ月が恵まれ過ぎていただけで、別に元々、私はどんなところでも生きてきた女じゃないか。別に、故郷に戻ったって死ぬ訳じゃないのだ。
「それに、楽しかったしね」
そう。実に自分勝手で申し訳ないけど、ここでの生活は、私にとってかなり満足だったのだ。
当たり前に、私が一人の人間として尊重されて、悪意に晒されることもなく生きていけた。こんな自分でも、それこそ母親がいなくなって以来、はじめて人間の暖かみに触れられた。それだけで、宝物のような日々だった。
ゴルト様もリナも、屋敷の他の人たちも、本当に優しい人しかいなかった。
この記憶さえあれば、きっとどんなところでも生きていける。自分が人間だということを、忘れずにいられると思う。
そう思えば、決して私の未来は、暗くないと思えた。
コンコンと控えめに、ドアの音が鳴り響いた。
「レティア姫。どうか俺と話をさせてほしい。聞いてくれないだろうか」
続くのは、ゴルト様の声。説得しようとする、優しげな声だ。……そろそろ幕切れか。
ドレスは皺だらけで、はてどうしようか、皺取り用の道具の場所も知らなければ、かける時間もないと思ったけれど。
よく考えれば、今さら取り繕う必要もない。必要なのは、笑顔ひとつだけだ。ちゃんと私は、笑えているだろうか。
ゴルト様を部屋のなかに呼び入れる。リナが二人分の椅子持ってきてくれたけど、自分の分は持ってこなかったみたいで、だから私はベッドに腰かけることにした。
無礼な振る舞いかもしれないけど、あんな事のあとだし、誰も気にしないはず。それにこっちのほうが柔らかいしね。
「ええと、思ったより、質素な部屋なのだな」
「はい。……その。」
ゴルト様はなんとなく居心地悪そうに、なんと言えばいいのか迷っているようだった。部屋の事も、世間話のつもりだったんだろう。
彼はいつだって冷静沈着で、決して惑わない人だと思っていたから、失礼だけどなんだか、かわいいと思ってしまった。
それでもここは、私から切り出すべきことだろうと思った。
ゴルト様と、それからリナのいる方に向き合った。そして、頭を下げて、謝った。
「いままでご迷惑をおかけしたこと、本当に申し訳ありませんでした」
こっちの国でも頭を下げることが礼を示すのか、無知な私は知らないけれど、これが私に出来る精一杯の謝罪のつもりだ。
「わかったよ、レティア姫。頭をあげてくれ」
言われた通りにすれば、目の前のゴルト様は、いつも通りの落ち着き払って、理性の塊のような、氷のゴルト様だった。
「今回の一件について、確かにあなたの行いは誉められたものではなかったと思う。でも、ここにいるリナから経緯は聞いたし、たぶん、あなたにも事情があってそうしたことをしたのだと思う」
だからまず私に話してくれないか。私とあなたの間には、きっと理解の相違があり、誤解があるのだと思う。ゴルト様はそう言った。
婚約破棄をすれば私たちの関わりももう無くなるだろう。その上で、わざわざそう言ってくれるゴルト様は、やはり冷たくても優しい人なのだと思う。
誠実に相手に向き合おうとする相手を、これ以上虚仮にするのは、私には無理だったから、すべて包み隠さず話すことにした。
継母から、家のため傲慢に振る舞うべきだと言われたこと。最初はゴルト様に魅力的に思ってもらいたかっただけだったこと。それがこの家の人たちの優しさに付け上がって、わがままが止まらなくなったのだということ。ずっと悪いと思っていて、でも楽しくて、自分では止められなかったのだと。
罪の告白をしながら、言葉にして整理して、心が軽くなったような心地がする。
「そうか……よく頑張ったな。言ってくれて、ありがとうな」
全部言い切った私に、ゴルトさまは優しく声をかけてくれた。
びっくりした。今度こそ、激怒されても何も文句が言えないと思って、覚悟していたのに。
「ずっと、無理をさせてしまったんだな……。俺は全く気づいてなかった。本当に申し訳ない」
そうこちらを気遣うゴルト様の姿が、ふと潤んだ。自分がまた涙がでていることに気づいた。
私、こんな脆くないのに。一度崩れたせいで、泣きやすくなってしまった。
「俺もここに、あなたに謝りに来たんだ。それなのに女性のあなたに先に言わせるなんて、駄目な男だ」
もっとあなたを知ろうとするべきだった。心からもてなすべきだった。
全く気遣いが足りていなかったのに、それにも気づいていなかった。本当に、悪いことをしたと思っている。
そう主張するゴルト様に、私は真っ向から否定した。
「いえ、十分です。十分すぎるほど、もらいました。本当に、ゴルト様にも、他のみんなにも、抱えきれないほどの好意を頂いたのです」
心からの本心だった。だから今度は違和感無く、素直に笑えたのだ。
「そんなことはない。俺が悪いんだ」
「いえ、私が……」
謝罪合戦を繰り広げていると、さっきまで端で座っていたのに、いつの間にか立ち上がってこちらによってきたリナが、間に入って制止してくる。
「はい、そこまで。ようやく本心で語り合えたんだから、いいじゃないですか。」
その通りだ。続いてこっちを向いて、リナが言うことには。
「ふふ、本心ついでに、私からひとつ。ツンケンした感じのレティア様も可愛らしかったけど、いまの素直なレティア様も、大好きですよ!」
だ、大好き……。そんな好意を久しく向けられたことがなかったので、たじろぐ。
でも私も、リナのことが好きだ。変な意味じゃなく、人間として。
「でもって、どうなるかと思ってここにいたんですけど、大丈夫そうですね。私なんか邪魔でしょうから、ここから先はお若いお二人に任せます」
さっきみたいな謝罪じゃなく、ちゃんと大切なこと、話し合ってくださいね。老婆心ながら、ここで全部ぶっちゃけることをおすすめしますよ。リナはそう言った。
……別にリナだって、私たちと同年代じゃないかと、くすりと笑う。
それでも言葉通り、リナは部屋から出ていくようだった。部屋を去り際、ゴルト様のところを通りがかった際に、リナは真剣なトーンでゴルト様に話した。
「今後のことについても、レティア様としっかり話してくださいね。さすがに、責任とらなきゃだめですよ」
……さっと血が引いて、からだが冷えた。あまりに夢見心地すぎたのだ。本題はなにも話していなかった。
この暖かい空気から、婚約破棄の話になって。やっぱり、私の心が、耐えられるわけがないじゃないか。じわりと瞳が潤んだのを感じた。
二人きりになって、ゴルト様がこちらに向かい合い、居を正した。
「レティア姫。私たちの婚約のことについて、確認したいことがある」
「……はい」
口のなかが乾いていくのがわかった。大丈夫。今度こそ絶対に泣かない。……これ以上迷惑をかけるわけにはいかない。
「私たちには、婚約を破棄するという選択肢もある。」
「……はい」
「先程はあなたを怖がらせてしまった。いやそれ以前から、私はあなたに対して不誠実だった。あなたの婚約者たる資格は無いのかもしれない。あなたのような素敵な女性には、もっと良縁があるのかもしれない」
彼は自分に責があるといいきった。それは私を気遣うための台詞だろう。
この数ヵ月、至らぬ点があるとすれば、私の側こそ問題だらけだった。
それでも婚約破棄になれば、付随する責任を請け負うといってくれているのだ。ああ、これ以上、もう甘えられない。
「でも」
まだ続きがあるみたいで。そこでゴルト様は一呼吸おいて、なんだか緊張したように間をとった。そして決心したように言う。
「私としては、あなたとともに歩む未来を、諦められない。婚約の破棄をしたくないのだ。どうか至らぬ私に、もう一度だけチャンスをくれないだろうか」
……一瞬、何を言われているのかわからなかった。
言われたことを飲み込んで、でもまだ信じきれず、都合のいい勘違いをしているのではないか、私が誤解しているんじゃないかと思った。
とまどっている私の姿を見て、再び問いかけてくれた。
「あなたが泣いているのをみて、今まで生きてきてこれまでにないくらい、目の前のあなたを悲しませたくないと思った。」
その言葉は、真摯だった。
「あなたの話を聞いて、あなたを守りたいと、本気でそう思った」
今度は、ゴルト様の言葉がすっと頭に入ってきた。
「私はあなたが好きだ。私との婚約を、続けてほしい」
「……はい!」
もう迷うことはない。私は即答した。
間違えてしまったことはたくさんあった。それでもまだ、間違えずにすむ道が残っているのならば。
私はもう一度やり直そう。喜びとともにそう思った。
ここで、幸せになるのだ。