MUKHTABAR/Harwerth ハーヴェルの研究室
木製の玄関扉を開けると、薄暗い屋内に朝陽が射し込んだ。
片手で日除け布をばさりと外しながらハーヴェルは扉を閉めた。
砂漠でユーセフの出現をしばらく待った後、酒場にいた。
朝になっちまったかと思う。何となく髪を掻き上げつつ作業スペースに入る。
ふと違和感を覚えて顔を上げた。
いつもこの辺りで聞こえて来る、「どーん」だの「じゃーん」だのいう能天気な声がない。
「フェリヤール?」
屋内を見回す。どこにもいない。
「おい、フェリヤール」
道具棚の向こうの書き物机と寝台のあるスペースを見やる。
いない。
早足で短い廊下の方へと進む。書庫の扉を開け中を覗くが、いなかった。
狭い家の中だ。四六時中薄ぼんやりと光っている姿で、そう隠れられはしない。
「おい」
日除け布を椅子の背もたれに掛けながら、ハーヴェルは屋内をもう一度見回した。
外に出たのか。河に続く裏口の扉の方を眺める。
カルツァ・クライン粒子のある所以外は今のところ安全だろうが、出たとしたら急にどんな理由だ。
もう一度フェリヤールの潜んでいそうな場所を見回す。
玄関扉に無造作に貼られた紙に気づき、眉をきつく寄せた。
つかつかと玄関に戻り、貼り付けられた紙を引ったくるように剥がす。
「うちのじゃねえか、これ」
テープをまじまじと見て目を眇める。
道具棚に置いていた治療用テープだ。紙は、書棚にあった白紙の診断書。
フェリヤールを実験に連れ出した旨が書いてあった。
下方にエトルリアの文字で書かれた「アンジェリカ」との署名と、よく分からん尻のようなマーク。
「あの糞……」
ハーヴェルは更にきつく眉を寄せた。診断書を指先で軽く折る。無断で他人の家に侵入し、勝手に他人のものを使った訳だ。
顔を上げ、厨房の上方にある明かり取りの窓を見た。
あそこから入ったのかと舌打ちする。鳥の姿なら簡単そうだ。今度から窓には鳥黐を付けておくかと思う。
はっと目を見開き、つかつかと作業スペースの方に移動する。
アンジェリカの伝言を作業台の上に叩きつけるように置き、隣の小部屋の扉を開けた。
部屋の一角に置いてある衣服用の長持に歩み寄り、屈んで開ける。
雑に突っ込んである服を床に放り投げると、その下からきちんと折り畳まれた服が出てきた。
イハーブの服だ。
勝手に使わせてもらっているものも何枚かあったが、そうでないものは行方知れずになったときのまま置いてある。
雑に一枚ずつ捲り、無くなっている服はないか確認した。
鳥の姿でここに侵入したとすれば、伝言を書くため元の姿に戻った際には服を着てなかったはず。
そのままフェリヤールを連れ出したのなら、ここから服を盗んだ可能性がある。
あのストーカー糞魔女のことだ。盗むとしたら絶対にイハーブの服だと推測した。
家にある衣服をすべて把握するほど服に関心がある訳ではないので、消えている服があるかどうかは結局よく分からなかった。
忌々しさを感じながら息を吐く。
今頃イハーブの服を着てキャッキャはしゃいでいるのかと思うと気分が悪すぎる。
作業スペースに戻り、ハーヴェルは機嫌悪く椅子に座った。
身体を反らすようにして背もたれに背中を預け、天井を眺める。
何気なく天井の梁を目で辿った。
イハーブといえば、と顔をしかめる。
十五歳の頃に付けられた左耳のピアスは、本当に位置情報装置なのか。
目線をピアスの付いている左側に向けた。
推測通りのものだとすれば、微弱な電波か何かが出ている可能性がある。逆探すればイハーブの居場所を見つける手がかりになるだろうか。
……確認するのが怖すぎる。
十五歳の頃からずっと師匠に行き先のすべてを把握されていたかもしれないとか。
十五歳以降に行った場所をあちらこちら思い浮かべる。
天井の梁を見詰めながら、ハーヴェルは「やべえ……」と呟いた。
内緒にしていた行き先の一つや二つは当然ある。
きゃははは。
びかー。
突如、空中から強烈に光る物体が湧いて出た。
フェリヤールだ。
背もたれに身体を預けた格好で、ハーヴェルは目を見開いた。
びかびかー。
フェリヤールが作業台の上で半回転する。
背中に生える二股の放射体が強く光り、真っ白に見えた。視界を覆うほどに時おり大きく広がり、純白の羽根が羽ばたいているように見える。
ハーヴェル、
いたよー。
どこかに向けてそう言うと、フェリヤールは再び空中の見えない穴に入るようにして消える。
静かになった室内で、ハーヴェルはしばらく空中を眺めていた。
「おい……」
何だ今のはと目を見開いたまま空中を凝視する。
「……実験してたのか?」
作業台の隅に置いた伝言に手を伸ばす。確かに「実験に連れて行く」と書いてあるが。
「アクシオンで確定か……?」
もう一度空中を見上げハーヴェルは呟いた。
強い磁場で光る物質は他にもある。別の角度からの検証も必要ではあるだろうが。
きゃははは。
びかびかー。
またもやフェリヤールが姿を現した。二股の放射体を屋内いっぱいに広げ、真っ白く光らせる。
びかー。
「おい」
ハーヴェルは天井を見上げ呼び掛けた。
「糞魔女と一緒なのか?」
フェリヤールが半回転して振り向く。
じじじーって
なって、
あっちも
じじじーってなって、
アンジェリカが
入ってみてって言って、
入ったら、
びかびかー!
「……分かんねえ」
ハーヴェルは眉を寄せた。
しばらくするとフェリヤールが発していた光は弱まり、いつもの薄ぼんやりと光る姿になる。
あれ、
消えた。
自身の両手を見てフェリヤールが呟く。
「磁場を作る装置、誰かに借りたのか。どんな奴だった。魔術師の界隈の奴か?」
しわ
くちゃくちゃな
顔してた。
フェリヤールが自身の顔を両手で歪ませ、皺を作ってみせる。
「高齢の魔術師か」
ハーヴェルは、
元気かー
言ってた。
「……俺の知ってる奴か?」
やふやって
言ってた。
ぐっ、とハーヴェルは喉を詰まらせた。
「ヤフヤー……」
光の薄まったフェリヤールを見上げる。
「あの糞、人の師匠の弟子仲間に迷惑かけてやがんのか?」
まえに
なかよくなったって
言ってた。
まえは、
やぎ乳の
みるくてぃ
ごちそうさまでしたぁ。
フェリヤールが、空中で手足をそろえお辞儀をしてみせる。魔女の仕草を真似ているのだろう。
猫被りやがってとハーヴェルは舌打ちした。
機械専門のヤフヤーなら、確かに磁場の実験に使う機材くらいはそろえているだろう。かつては師匠のイハーブも治療に関わる検査装置を借りていたのだ。
子供の頃に自身も世話になったらしいことを思い出し、ハーヴェルはにわかに頬を強張らせた。「やべ……」と小声で呟く。
「おい」
再び空間に消えようとしたフェリヤールを引き止める。フェリヤールは、顔半分が消えた状態で振り向いた。
「糞魔女と実験やってるのは、どこの場所だ」
ううん、
どこかなぁ。
フェリヤールが首を傾げて宙を眺める。
どこかと言っても無理かと思い至る。土地勘が無いのだ。
「周囲に何がある」
お砂、
いっぱい。
フェリヤールが両手を広げる。ハーヴェルは作業台に手をつき、がくっと項垂れた。何度もやってる遣り取りでは。
他の機材に影響がない場所、不測の事態に備えて周囲に建物のない場所であろうことは見当がつく。
そこから砂漠地帯なのは容易に予想できるが。
しかしなぜよその土地の人間は、砂漠地帯に来ると砂しか認識できないのか。
「……砂の形は?」
地味にデジャヴに捕らわれながら、ハーヴェルは尋ねた。
さんかくー。
フェリヤールが両手の指で三角を作る。
うんざりとしながら、ハーヴェルは考えを巡らせた。ヤフヤーの自宅を訪ねて弟子か家族に聞いた方が早いだろうか。
アンジェリカに、
きいてくるねー。
フェリヤールがそう言い空中に消える。
「あ……待て」
引き止めたが、空間に呑み込まれるようにフェリヤールはするりと姿を消した。
眉を寄せしばらく待つ。思ったよりも早くフェリヤールは戻って来た。
びかー。
びかびかー。
再び強い光を放ち、空中ではしゃぐ。
「……それはもういい」
ハーヴェルは、腕を組んだ。
「糞魔女は何か言ってたか」
ううーん。
フェリヤールが首をかしげる。
実験、
するよー。
「その後だ」
ううーん。
フェリヤールが再び首をかしげる。おもむろに両手を頭部に当てると、頭を抱えるかのような仕草をした。
うそまじ、
らぶらぶらぶらぶな
理由じゃない。
くそむかつく。
「……それだ」
ハーヴェルは顔をしかめた。
「糞魔女に、くだんねえ情報が流れやがったな」




