MUKHTABAR/Harwerth ハーヴェルの研究室 2
喉がかわいた。
干し魚をひたすら噛っていれば、あたりまえか。
ベッドから起き上がり、厨房に向かう。
薄暗い土間に置いた陶器の壺のフタをとり、麦酒を柄杓ですくって直接口をつけ飲む。
またこれで夕飯は終了になりそうだ。
イハーブが知ったら健康に悪いとしつこく叱られそうだが。
そういや薬の調合の仕事があったと思い出し、ハーヴェルは薬棚を見た。
イハーブは医師の仕事でおもな生計を立てていたが、自身はあまり患者と向き合うのは得意ではない。
イハーブが診療していた患者はそのまま引きついだが、それ以外は薬の調合や機械整備などをおもな仕事にしている。
しばらくぼんやりと麦酒を飲み、机のある小部屋に戻ろうとしたとき、玄関のドアをノックする音が聞こえた。
「先生」
品のある発音で呼びかける声。若い男性のようだ。
「先生、ご在宅ですか」
ハーヴェルは玄関に向かいながら返事をした。
木製の内開きのドアを少し開けると、玄関まえに童顔の青年が立っている。
生成色の外套で中の服装をおおいかくしているが、言葉の発音からして王族につかえる官僚か上級の軍人か。
十代後半ほどに見えるが、その年齢で屋敷に仕えることはあまりない。じっさいはもう少し年齢は上と思われた。
玄関のドアを開けてはじめて、外がずいぶん暗くなっていたことに気づいた。チラリと月を見上げる。
青年は簡略的な礼をした。
「カリル・アル=シャムス殿下の屋敷に先日から武官として仕えておりますナバート・エルナトフと申します」
「ええ、はい」
ハーヴェルはややてきとうな返事をした。
はじめて来る人間だ。また側近を変えたか。
師匠のイハーブが家庭教師をつとめていたことのある王甥のカリルは、若いころはこの家に遊びに来ることもあった。
イハーブがとくに説明しなかったのもあって、子供のころは近所に住む庶民の青年だと思いこみ、かなり生意気に接していた。
王族であるアル=シャムス家は、親戚の者同士の関係はさほど悪くはないようなのだが、周りにつかえる者のなかにはいろいろな方面からの間者がちょくちょく紛れていたりする。
間者を突き止めてはやんわりと更迭をくりかえすので、カリルは一部ではやたらと気難しい人だと思われているようだった。
つぎに訪ねてくる側近は、またべつの人物かもしれん。
そう思うと、いちいちていねいなあいさつをするのも面倒なのだ。
「先日の件かな……」
ハーヴェルはついそう口にして、さりげなく口をつぐんだ。
墓荒らしの件はカリルに頼まれて調べていたものだが、こいつも間者の可能性がある。不用意にカリルの内情につながることを言うのはやめたほうがいい。
「お二人のあいだの問題ですので、私はお話の内容まで感知するつもりはありませんが」
ナバートが、嫌悪を覚えているともとれる表情で返す。
おふたり。
意味ありげな言いかたに、ハーヴェルは軽く眉をひそめた。
「本日は、カリル様が急な腹痛とのことで、ぜひとも先生に往診に来ていただきたいのだと」
「腹痛」
ハーヴェルは復唱してドアのたて枠に背をあずけた。
「様子は。腹のどのあたりをおさえていました。吐いたりは」
「しずかにイスにお座りでした」
淡々とナバートが答える。
間違いなく仮病だろう。この武官も分かっているようだ。
冗談好きな人ではあるが、とうとつに何を考え出したのやら。
ハーヴェルは腕を組み、夜空をながめた。
「……あの、こういったことは、暗黙の了解ですんなりと済ませるものではないのですか。か、からかっておられるのですか」
ナバートがイラついた口調で言う。
タキオンのランプで顔の影が濃く出ていたが、どういうわけか赤面しているようだ。
「……往診の準備をするので、待っていてもらえますか」
非常に複雑な気分でハーヴェルはそう答えた。
ドレッド状の髪をばさばさと解しながら道具棚に向かう。
カリルとはじっさいの年齢は五、六歳ほどしか離れていないのだが、ハーヴェルが不老不死になり外見の年齢が止まってしまったので、いまでは親子ほどの年齢差に見える。
気難しい王甥が、夜にたびたび屋敷の私室に呼びだす息子ほど年下の女顔の青年。
屋敷内でも、かなり誤解している人間がいるのは知っていた。
そのなかでも面倒くさそうな態度をとるやつが来たなとハーヴェルは思った。




