SUQ 市場 1
自宅からごく近い場所にある市場は、ハーヴェルが引き取られて間もない頃から一人で行っていた場所だ。
始めの頃こそイハーブに付いて行っていたものの、ハーヴェルの金銭の勘定の細かさにイハーブが疲れ、「お前の裁量で買っておいで」と財布を預けられるようになった。
子供とはいえ引き取ったばかりの相手に財布を預けるなど、研究以外は無頓着なイハーブらしい。
俗っぽくどぎつい性的な話も、ここで年配男性たちの会話に混じって覚えた。
イハーブは性に関することは極力教えたがらなかった。
教えなければならないとは思っていたようだが、何か気恥ずかしかったらしい。
早朝の混み合う時間はとっくに過ぎているので市場は人が疎らだった。
市場の入口近くにある茶飲み場で、それぞれの飲み物をテーブルに置き、ハーヴェルと魔女は向かい合い椅子に座った。
石造りの建物にテーブルと椅子が数組ほど置かれた、簡素な休憩所という感じの場所だった。
入口に扉はなく、ただ長方形の出入口が開いている。
中には特に灯りは無いのでやや薄暗いが、入口からの陽光で困るほどの暗さではない。
生鮮食品を売りに来る農家の中には、副業で飲み物を提供している者がいくらかおり、それぞれの売り場で茶や動物の乳、酒類などを買うことが出来た。
駱駝の乳を一口飲み、アンジェリカは切り出しす。
「共通してた物質の一つに、カルツァ・クライン粒子があったわ」
「ああ……」
ハーヴェルは相槌を打ち麦酒を口に含んだ。
いわゆる「魂」を物質として説明したものだ。
器を少し口から離し、続ける。
「他には?」
「共通するものは勿論もっとあったけど、五次元と往き来できそうなのは、それと重力子くらいよ」
アンジェリカは、花柄の可愛らしい封筒を差し出した。
麦酒の器を持ったまま、ハーヴェルは顔を顰める。
「いちいち嫌がらせしないと気が済まねえのか、お前」
「前も聞いたけど、あんたって可愛いものアレルギーでもあんの?」
ハーヴェルは、無言で花柄の封筒を睨んだ。
「見たくなきゃいいのよ。このまま持って帰るわ」
舌打ちしてハーヴェルは受け取った。
中身を取り出しがさがさと開く。
二つの場所の物質を分析したデータが表記されていた。左右に目線を動かし、ざっと見る。
「あたしの家は前の住人も魔術師だったから、人工魂魄で使い魔を作ったときのものがいくらか残ってたんだと思う」
可愛い子ぶった仕草でテーブルに両肘を付き、アンジェリカはそう説明する。
「で、あんたの知り合いの家の近くは、大昔に戦で死者が多く出た場所」
アンジェリカはデータの書かれた紙を指差し、眉を寄せた。
「道理であそこに行くたび、気分が優れないと思ったわ」
イハーブの元恋人の家の近くだからじゃねえのか、とハーヴェルは内心で突っ込んだ。
「これを利用してたのか」
データの表記された紙をかさかさと弄び、ハーヴェルは呟いた。
「むしろ向こうの次元の方がメインだと言われてる物質よね。こちらで認識してるのは実は「影」だけとも。向こうの人の方が使いやすいのかも」
「影か」
ハーヴェルは言った。
「三次元の三角錐が二次元からは円にしか見えないとかいう、あれな感じか」
「そう。それ」
アンジェリカは駱駝の乳を飲んだ。
「となると、例えばあっちと同じレベルで利用しようとしたら不利か」
「あっちの方が、この物質をより知ってる可能性があるわね」
アンジェリカは頬杖を付く。
「何も同じように使いこなす必要はないと思うわ。ユーセフが現れていた場所のこの物質を追ってみるとかすれば、すんなりあちらに辿り着くかも」
「ああ……」
ハーヴェルは麦酒を口に含んだ。成程と思ったが、口にはしたくない。
「さっきから気になってたけど、あんたって昼間っからお酒飲んでんの?」
アンジェリカが顔を顰める。ハーヴェルは無視して飲み干した。
「自宅に麦酒の甕なかった?」
アンジェリカが更に顔を歪ませ言う。
一、二回入っただけで置いてあった物を覚えてやがる。つくづく油断ならねえ奴だなとハーヴェルは思った。
「よくお肌荒れないわね」
無視して指先で口を拭う。つまみが欲しかったと思い、ハーヴェルは出入口を眺めた。
出入口の外は強い陽射しで照らされ、先程よりももっと人が減っていそうだ。
つまみを出してる店はもうない時間帯かと思った。
何気なくイハーブに拾われた時のことを思い出す。
十五歳年上の兄に連れられ村を出て、辺境の兵営の近くに置き去りにされた。
兄を待って砂漠の岩陰にいたが、話しかけて来たイハーブに兵営に来るよう言われた。
兄が来るからと答えると、兄の友人だから大丈夫というようなことを言われた。
だいぶ後になって気付いた。
あの時は、砂漠の陽が上がりかかっていた時間帯だった。
そのままいては危険だと思い連れ出したのだ。
ふと、イハーブが今居る場所も、同じ粒子のある場所なのかと思った。
少なくとも攻撃を受けた場所はその可能性が高いか。
アンジェリカが席を立つ。
「とりあえず自宅の粒子を追ってみるわ」
「ああ」
「ちゃんと三割、忘れないでよ」
ハーヴェルは適当に頷いた。
立ち去ろうとするアンジェリカを、おい、と呼び止める。
「鍵置いて行け」




