ALQASR ALMALAKIU DIRASA 王甥の屋敷 書斎 3
「移植ということで、よろしいでしょうか」
「そうだね。それでお願いするよ」
カリルはそう言い、椅子の背もたれに背を預けた。
「わたしの方からは、これくらいですが。あとお聞きしたいことは」
アンジェリカは言った。
意外なほどまともな商談の進め方に、ハーヴェルは内心面食らっていた。
アンジェリカの顔を思わず凝視する。
「先生からは何かあるか」
カリルがハーヴェルの方を見てそう尋ねる。
「いえ」
ハーヴェルは、話し合いの内容を反芻した。
「今のところは何も」
「後で何かありましたら、問い合わせてくださって結構ですわ」
アンジェリカがこちらを向かずに言った。
「見積りを出してもよろしい?」
「そうだね。出してくれるか」
アンジェリカはポーチから花模様の入ったカードを取り出した。
テーブルに置くと、携帯用のインク壺からピンクの羽根ペンを取り出す。
カードにいくつもの項目をサラサラと書くと、金額を書き加えていった。
全て書き終えると、計算機を手にする。
合計金額を書き込み、カリルに差し出した。
「多少前後する場合はありますが、大きく変えるようなことはしませんわ」
再び横からハーヴェルが受け取った。
全項目を念入りに目で追い、暫くしてからカリルに渡す。
「特におかしな金額ではありません」
「では商談成立ということで宜しい?」
ハーヴェルは、カリルの方を見た。
「そうだね。わたしは構わんよ」
カリルは言った。
「早速作業に入りますが、出来上がった死者の受け渡しは、どちらですれば」
アンジェリカは言った。
「ああ」
カリルが少し考え込むように周囲を見回した。
確かにこの屋敷内では、少々まずいだろう。
「俺のところで」
ハーヴェルは言った。
「近くまで連れて来て貰えば、受け取りに出向くので」
「いいえ」
アンジェリカはこちらを向き、にっこりと笑った。
「大事な商品ですもの。そちらの研究室内まで、間違いなくお届け致しますわ」
「手数を掛けなくて結構。近くまで連れて来て貰えば」
ハーヴェルは言った。
「そんないい加減な納品をするつもりはありません」
「こちらも扱いを知っている専門家だ。自宅の手前で委ねてくれて結構」
「無事商品をお手元にお届けするまでが商売ですわ」
「注文主かその代理人に指定された場所に納品するのが本来では」
「自宅の手前か玄関口かの違いが何かあるのか」
カリルが口を挟んだ。
アンジェリカが姿勢を直し、脚を揃えた。
「いいえ。彼は過剰に気を遣っていらっしゃるのですわ」
ハーヴェルは、舌打ちしたいのを抑えた。
「受け渡し場所として自宅を提供するのは構いませんが、研究内容等を見られては困るので」
表情を抑えハーヴェルは言った。
「成程」
アンジェリカはハーヴェルの方を向くと、歯噛みしているような表情をした。
「だが納品など、玄関先での僅かな時間で済むものなのでは。研究内容まで見られるほど時間のかかるものなのか」
怪訝そうにカリルは言った。
「常識的にはそうですが、彼女の場合は」
「ええ。僅かな時間で済みますわ」
アンジェリカが台詞を遮り言った。
「玄関先でお渡しして、すぐにおいとましますのに、心配性でいらっしゃるわ」
ハーヴェルは目を眇めアンジェリカを見た。
「では、受け渡し場所は問題ないかな」
カリルは言った。
「問題ありませんわ」
アンジェリカは、猫を被り上品な口調で言った。
「では宜しく」
そう言うと、カリルは席を立った。
入り口近くにいた警備兵が扉を開ける。
「先生」
書斎を出る間際、カリルがこちらを振り向いた。
僅かに屋敷奥の方向へ顎を動かす。
このあと私室で話を、ということか。
ハーヴェルは立ち上がり、アンジェリカの方を向いた。
「あとは一人で帰れ」
「あの、アンジェリカ殿」
ナバートが割って入る。
「よろしければ、ご自宅までお送り致しますが」
だとよ、という風にハーヴェルはアンジェリカを見た。
後ろ暗いことがあり過ぎるので、王家に自宅を知られるのは嫌がっていたはずだ。
城壁内の住み処など、王家がその気になればすぐに探られるとは思うが。
「いいえ」
やや間を置いて、アンジェリカはにっこりと微笑んだ。
「王家の大事なお仕事をなさっている方の、お手を煩わせる訳にはいきませんわ」
手袋を嵌めた手を揃え、礼をする。
「ではご機嫌よう」
書斎を後にするアンジェリカを、ナバートは目で追った。
「去って行くときの香りまで麗しいな……」
「死体臭いのを誤魔化すための香水だがな」
ハーヴェルは顔を顰めた。
「一緒に帰る訳ではないのか」
「カリルが私室で話がしたいらしい」
「今からか」
ナバートは、明かり取りの窓の方を見た。
これから太陽が中天に昇り、暑くなる時間帯だ。
「昼間から」
そう呟くと、ナバートは顔を極端に横に逸らし、口を手で覆った。
「……あんた、さっきもなに想像してた」
ハーヴェルは眉を寄せた。
「し、失礼した」
「大きなお世話だが、少し息抜きした方がいいんじゃないか」
「いいいい、いや。充分している」
あっそ、と返してハーヴェルは踵を返した。
「待ってくれ」
ナバートはそう言うと、ハーヴェルの肩を掴んだ。
「何だ」
「この前のことだが、その後身体の変調はない」
何の話だっけと思い、ハーヴェルは暫くナバートの顔を見た。
「ああ」
「だが、あのあと思ったのだ」
続きを聞かなければならないのか。ハーヴェルは、ややうんざりとしながら目線で話を促した。
「カリル様が、眠ってしまった相手に合意もなくそんなことをするような方だろうかと」
起きてても実は野郎相手にやらないけどな、とハーヴェルは脳内で返して腕を組んだ。
「幼少の頃から憧れていた方を、こんなことで疑うなど、どうかしていたのだ」
「解決したのか」
ハーヴェルは言った。
ああ、とナバートが頷く。
「それは良かった。診断書の手数料を請求していいか」
「とっ……取るのか」
ナバートは僅かに後退った。
「この前、言いそびれたんで、カリルに請求するか迷ったんだ」
ハーヴェルは、指で麦酒一杯程度の金額を示した。
「がめついんだな」
ナバートは懐から財布を取り出した。
「民間はこうして食ってるんだ。知らないなら覚えておいた方がいい」
ハーヴェルは言った。
「あなたは、王宮から相談役の手当てが出ているんじゃないのか」
「お礼金程度だ」
小さな銅貨をハーヴェルに渡すと、ナバートは不満そうに眉を寄せた。
「アンジェリカ殿は、取ることばかり考えたら客は付かんと仰っていなかったか」
「海千山千の婆のやり方なんか知るか」
ナバートは、大きめの目を丸くしてハーヴェルを見た。
「……何だ」
「アンジェリカ殿の方が年上なのか?」
ナバートはアンジェリカの去って行った方向を見た。
「女性の年齢は分からないものだな」
本当のことを言ってやった方がいいだろうか。
無言でハーヴェルは考えたが、結局黙っていた。




