MUKHTABAR/Harwerth ハーヴェルの研究室 1
おかえりー。
自宅の作業スペースに移動すると、フェリヤールが両手を広げて迎えた。
こちらに近づこうとしたが、素粒子がデータ通りに再生されるのを待てと教えたのを思い出したのか、途中で止まってふわふわ浮いていた。
「ユーセフは……」
こちらには来ていないかとハーヴェルは言いかけた。
薄暗い屋内を見回す。
強すぎる陽光を避けるために、太陽光がなるべく入らない間取りにしているのが砂漠の家の特徴だ。
そのため昼も薄暗い。
ユーセフが現れていないのは、フェリヤールの様子を見れば分かるか。
無駄に怯えさせることもないと思い直した。
ハーヴェルは日除け布を取り椅子にかけると、ハーフアップにしていた髪を解いた。
作業台の椅子に座り、背もたれに身体をあずけて大きく息を吐く。
ドレッド状の長い髪が、背もたれにザラリとこぼれる。
いつどこから襲撃されるか分からないというのは、えらい緊張感だ。
いつまでも続くわけはない。
急ぎの仕事を片づけたら、今日も観測か。
いまのところ解決する糸口はそれしか思いつかない。
「とりあえず飯……」
そう呟いて髪を掻き上げる。
作業台の上を見回し、放り投げてある紐を見つけて手を伸ばす。
髪を雑に一つにまとめた。
薄暗い厨房に立ち、とりあえず甕から麦酒をすくって器にそそぐ。
最後にまともな食事をとったのはいつだったかと思ったが、べつに怒る人もいない。
麦酒の器を持ったまま、スタスタと作業スペースを横切った。
「暦、計算できたか」
フェリヤールにそう声をかける。
やっぱり
書かなきゃ
わかんないよぅー。
部屋の上部で横に転がりながらフェリヤールが声を上げる。
背中の羽根のようなオーラが、転がるのに合わせて身体を巻物のように覆う。
「帰ってきたら、また腕貸してやる」
かんそく
いってらっしゃいー。
フェリヤールが空中で大きく手を振る。
ハーヴェルは、麦酒を口に含みながら作業台に置かれた計算用紙を手に取った。
腕だけ入らせてフェリヤールに貸し、書かせた五次元の数式だ。
向こうの世界の月が一個から二個、三個になる間隔と、それぞれの月の月齢の間隔を計算させた。
五次元とこちらでは時間の進み方は連動していないと思うが、これと同じ間隔で引力に変化がある箇所を見つけられれば、ユーセフがいる五次元の域の座標が割り出せるかもしれない。
そこから調整していけば目的の場所に狙いをつけて影響を与えることも可能かと考えた。
文字も書式も違うので、このままではまったく意味が分からないが。
あとでこちらの数式に翻訳する必要があるなと思う。
「むこうは十進法が一般的なのか?」
計算用紙を眺めながらハーヴェルは尋ねた。
用紙一枚ていどなので長い式ではない。
だがところどころ式が回転して表記されていたりする。
かなり奇妙な数式だ。
フェリヤールが言うには、途中で半円形になったりグラフや図を挟みこむこともあるらしい。
じっしんほ?
フェリヤールは、色の一定しないオパールのような瞳を見開いた。
フェリヤール、
おそわったとおり
書いたから、
あとは
分かんないよ。
こんどは部屋の上部で腹這いになり、ハンモックに揺られてでもいるかのように前後にゆれる。
「衛星の数が複数ある惑星に生まれた知的生命体は、不十進法が発達してる可能性があると聞いたことがあるんだが」
ふじっしんほ?
フェリヤールは、大仰な仕草で首をかしげた。
「まあいいか。それはあとだ」
ハーヴェルは軽く溜め息をついた。
「ちなみに太陽みたいなものは上空にあったか?」
たいよ。
「あの空の上でギラギラしてるやつ」
ハーヴェルは、麦酒の器を持った手で明かりとりの窓を指した。
恵みの象徴として太陽に感謝する地域もあると聞いたことがあるが、砂漠地帯に住んでいれば、あれはきつい殺人光線だ。
「恒星は、連星か複数の兄弟星と生まれるのがこちらの世界では多数派だ。あの太陽ももともとは連星の片割れか兄弟星があったのではという説があって」
こうせ。
「ああ……つまり核融合で……いや」
説明の面倒臭さにハーヴェルは眉をよせた。
イハーブなら嫌な顔もせず分かりやすい説明をしてやるんだろうが、自身は説明の必要な相手は苦手だ。
「つまり、自分から光ってる星」
星はみんな
ひかってるよ?
「だから、自分から」
フェリヤールは首をかしげた。
「いやそこはいい。太陽はいくつあった?」
軽いイラつきを抑えながらハーヴェルは尋ねた。
フェリヤール、
たいよは
見てないよ。
月しか見てない。
「ああ、そうか」
五次元では隔離されてたらしいということを忘れていた。
「そっちの暦は、太陽みたいなものが基準じゃないのか? 月か?」
きじゅんはねー、
神さま。
「それは神話か何かの話だろ。実際は?」
フェリヤール、
こよみと
同化したら、
神さまにあえるよって
いわれてたあ。
「……それはまえにも聞いた」
ハーヴェルはさらなるイラつきを覚えた。
でもね、
にげるときに、
暦の中じゃないのに
神さまに
あったんだー。
またわけの分からん話がはじまったとハーヴェルは眉をよせた。
麦酒を作業台の上に置き、無視して外出の準備をする。
しこうの
機械いっぱいの
おへやに
にげたらねー、
ひといたの。
でも触れなかったの。
フェリヤールです
って言ったら、
こっちに来るかい、
って言われたの。
「……それが祭祀か?」
フェリヤールは嬉しそうに首をコクコクと上下に動かした。
フェリヤール、
神さまですかって言ったら、
祭祀のかけい
だから、
うれしいねって
言ったの。
「祭祀の家系?」
ハーヴェルは片手に外出用の荷物を持ち麦酒を口に含んだ。
「本人が祭祀にたずさわってたわけじゃなくて、家系がそうだって話か?」
そう
言ってたよー。
フェリヤールは空中で円を描くように一回転した。
「うちの師匠もそうなんだが……」
呟きながら麦酒の器に目線を落とした。
ししょ。
「師匠だ」
空になった麦酒の器を作業台に置く。
「まあ、そんな家はどこにでもあるけどな」
ハーヴェルは呟いた。




