MUKHTABAR/Angelica アンジェリカの研究室 1
アンジェリカの棲み家は、中心地に近い良家や富豪の子女の家の密集した地域にある。
令息令嬢が結婚まえに社会性を身につけるべく、わずかな使用人とともに親元を離れ青春期を暮らす界隈だ。
静かながらもお洒落で品のよい界隈として通っていた。
魔女や錬金術師は、研究や作業の過程で大量の水を使うことも多いことから、たいていは河のそばに住むものなのだが、この魔女は単なる好みでこの界隈に棲みついていた。
作業用にはべつの家があるらしい。
死体をあつかう作業が圧倒的に多いと思われるので、ここを作業所にするわけにいかないのは当然だ。
作業用の場所はよく知らんが、往き来ご苦労なこったとハーヴェルは思う。
服装に関しても同じだが、見映えのためにわざわざ手間のかかることをしている性格が子供のころから嫌いだった。
玄関扉についた真鍮のドアノッカーを叩く。花のレリーフがデザインされた派手なものだ。
目線のやや下にある長方形の小窓が開き、大きな青い目がこちらを覗きこんだ。
「留守でぇっす」
「鍵壊すぞ、糞魔女」
パタンと小窓が閉じる。
ハーヴェルは懐から携帯用の工具セットを取りだした。屈んで鍵の形状を確認する。
中細のドライバーで目立つネジから外しはじめる。
機器の修理がおもな収入源の一つなので、分解は慣れている。
外したネジを片手にまとめ、次々と外していく。
大きめのネジを外し終えると、極細ドライバーで奥の構造を分解しはじめた。
「ちょっと、なにしてくれてんのよ!」
アンジェリカが扉を開ける。
「ふざけた居留守の使い方してるからだろうが」
「あんたたしか十歳くらいのときも同じことやったわよね!」
「あのときは十一歳だ」
イハーブにスパナやドライバーの使い分けを教わったばかりのころだっだ。
分解しても良いものはないかと、ウキウキしながら周りを見回していたころだ。
「あのころに潰しておくべきだったわ。あんたがお師匠さまのご寵愛さえ受けてなければあああ!」
「入るぞ」
アンジェリカの大仰な嘆きにかまわず、ハーヴェルは勝手に玄関口から中に進んだ。
「ちょっと! なに女の子の家に無断で入ってんのよ!」
「フェリヤールを先に使いにやっただろうが」
きたあー。
手前の部屋のまえでフェリヤールが大きく両手を振る。
「どうでもいいが」
いちばん奥のメインらしき部屋を覗き、ハーヴェルは顔をしかめた。
夜間の保温と飾りを兼ねて日干し煉瓦の壁を覆うように掛けられた垂れ布は、どぎついピンク色。
床には、赤に近いピンクの敷物。
ピンク色に塗られた小物棚と机には、毒々しいほど主張の強い色彩の瓶が並ぶ。
「色覚がどっかおかしいのかおまえ」
部屋全体に香水と蜂蜜と焼き菓子のような匂いがただよい、ハーヴェルは気分が悪くなりそうだった。
思わず口をおさえる。
「あんた女の子の可愛らしいお部屋に入ったことないわけ?」
「香水くっさ」
「あんたに関係ないでしょ!」
口元をおさえながら周囲を見回す。べつの部屋の扉を開けた。
「ああ、違うか」
パタンと閉め、またべつの部屋の扉を開ける。
「なっ、なに家捜ししてんのよ」
アンジェリカが背後でわめく。
「ああ、ここか」
そう呟きハーヴェルは扉を大きく開けた。
窓のない薄暗い部屋。
狭い部屋の中央。やや高い位置に、何本もの配管につながれた大きなカプセル型の機器がある。
配管は、酸素や栄養の注入、老廃物の除去を担うものだろう。
床を這っている細い配線は、おもに温度調整のものか。
いわゆる人工子宮だ。
カプセル内部の三層の人工卵膜の中は合成羊水で満たされ、アンジェリカそっくりの肉体が赤ん坊のように丸まって浮いている。
「充分育ってんな」
ハーヴェルはカプセルを見上げた。
アンジェリカのつぎの転生用の身体だ。
「ななななにじっくり見てんのよ!」
機器との間にアンジェリカが割って入る。
顔を真っ赤にして、スペアの肉体を隠すように両手を振った。
「おまえが服着てようが着てまいが、興味ねえよ」
ハーヴェルは眉をよせた。
フェリヤールを顎で指し示す。
「これ、フェリヤールに貸してやれ」
「は?」
アンジェリカは一瞬ポカンとしたが、ややしてから内容を理解したようだった。
「えっ、やだ。やだやだやだやだ」
「俺としてはおまえが二人に増えるのは反吐が出るほど不快だが、まあ、後からのほうは中身だけまともなわけだし」
「なにそれ。なんであたしよりもフェリヤールのほうがまともって扱いなのよ」
「言わせんのか」
「ともかく、それだけはイヤ!」
「構うな。フェリヤール、これに入れ」
ハーヴェルは、カプセルを指差して指示した。
「ここここの状態で入ったら、溺れるわよ。人工羊水抜かないと!」
ハーヴェルは、腕を組んでアンジェリカを睨んだ。
「抜け」
「抜くわけないでしょ」
アンジェリカが睨み返す。
「先に使っても減るもんじゃないだろうが」
「新品の可愛い服をほかの女が先に着るみたいでイヤ」
「わけの分かんねえ例えするな」
アンジェリカは、フェリヤールをチラッと見上げた。
「死体じゃ駄目かしら。なるべく綺麗なの選んであげるけど」
「それで支障なく動けるのか?」
「上等な仕様のやつだと人工魂魄仕込むから、理屈はほぼ同じでしょ?」
アンジェリカが、にっこりと笑い「ど?」とフェリヤールに問いかける。
ハーヴェルは目を眇めた。
「おまえに使役されかねんから却下」
アンジェリカは目を逸らして小さく舌打ちした。
「いいからさっさと人工羊水抜け」
「イヤ」
「じゃあ勝手にやるぞ」
ハーヴェルはカプセル型の機器を見上げた。
錬金術師の使うものとは仕様が違うが、あちこち見ればだいたいの操作の見当はつくだろう。
「ちょっ、ちょっと待ちなさいよ!」
アンジェリカは、ハーヴェルの腕にがっしりとしがみついた。
「あ、あたしの姿してると、いろんなのに目をつけられてヤバいわよ。あたしの可愛らしさに狂ったストーカーとか、頭脳に嫉妬したマッドサイエンティストとか」
「おまえがつけ回されてんのなんか見たことねえよ」
「いまだと王家関連施設の半径百メートル以内にいるだけで、警備兵に職務質問されるし」
「あ」
ハーヴェルは小さく声を上げた。
「それがあったか……」
「そ、そうよ」
ようやく説き伏せられた達成感からなのか、アンジェリカは勝ち誇ったように笑んだ。
勝ち誇れることかとハーヴェルは突っ込みたかったが、この魔女に倫理観なんかとっくにないだろう。
「くっそ」
ハーヴェルは舌打ちした。
「どっちにしろ一時しのぎじゃない」
アンジェリカが言う。
「それが分かってんなら貸せ」
「一時しのぎに貸すなんて、ますますイヤ」
アンジェリカは声を張った。
「だいたい、フェリヤールの面倒どこまで見るか考えてる? 仮にこれで時間稼ぎして、あんたが仮の身体とか作ってやったとしても、メンテとかずっとやってあげるわけ?」
そう言ってから、「あれ」と呟いてアンジェリカは眉をひそめた。




