ALQASR ALMALAKIU 王甥の屋敷 3
「けっきょく罠じゃないですか━━!」
ナバートが大きな声を上げる。
「……だからおまえ、会話が廊下に漏れたら人払いしてる意味もないと何度いったら」
カリルが眉をよせる。
ナバートはいったん口をつぐみ、自身の胸元に手を添えた。
「べ、べつの時間軸って何ですか、べつの次元とは?」
「そこ説明必要か?」
ハーヴェルは酒を口にしながらそう返した。
「わけの分からない専門用語で煙に巻こうとしてもムダです!」
「必要なら説明してもいい。家捜しにはあまり関係ないと思うが」
ナバートはしばらくこちらを睨んでいた。
「……説明してもらいましょう」
「まず転送装置は、いちど素粒子をバラバラにして受信器でデータを元に組み立て直すという装置だ。この素粒子ってのが複数の場所にいちどに現れたりアブジャド地点からハウワズ地点に一瞬で移動したり、一部はべつの次元を行ったりきたりなんて運動をする。んで、べつの時間軸というのを説明すると、おもに多世界解釈という理論で説明されるんだが、これは時間は常に分岐しているという理論で、思考実験の一つとして有名なのが」
「……わざとややこしく説明してませんか?」
「してない」
ハーヴェルは酒をひとくち口にした。
計算式を抜いて理論だけを説明しているのだ。家庭教師にひととおりの学問を教わった相手なら解るだろうと認識している。
「基本的に教えるのが下手なのは認める。きっちり分かるように説明して欲しかったら、改めてうちの師匠に聞け」
「お師匠……」
つぶやいてから、ナバートはきつく眉をよせた。
「あなたのお師匠って、いま議題に上がってる裏切り者じゃないですか!」
ああそうだったとハーヴェルは思った。
むかしからのクセで、面倒くさい説明をイハーブに丸投げしてしまった。
「いずれにしろ、その鍵があったらいつでも来られるだろ。何でも勝手に見て行け」
「そんな従順そうなふりをして、お師匠どのと共謀して私をアルフルシュに寝返らせる作戦では?」
何か面倒くさくなってきた。ハーヴェルは無視して酒をひとくち口に含んだ。
「鍵渡しちゃっておまえいいの? 帰りは」
カリルが問う。
「合鍵があります。家の中なので帰るときだけ同行してもらうことになりますが」
ハーヴェルは答えた。
「だと。おまえ帰りいっしょに行け」
酒を注ぎつつカリルが指示する。
黙って酒を飲む様子を見ていたナバートが、しばらくしてから顔を赤くして慌てはじめた。
「え? いえ、それは。別室で待機しておりますので、お帰りのさいはお声がけを」
何言ってんだこいつとハーヴェルは顔をしかめた。
「何で別室なの。せっかく酒以外も用意したのに」
カリルが果実汁の飲みものをナバートの器にそそぐ。
「いえ、その、私も朝までべつの仕事が」
「何か命じてたか?」
カリルが問う。
「ままま毎回言っておりますが、先生とそそそそういうことのさいには、席を外して別室でたた待機いたしますので」
カリルが「あ、それか」という顔をする。
ハーヴェルも毎回のそれかとやっと理解した。
「部下の帰りがおそくなっても何でしょうから、俺はもう帰りますか」
そう言い、ハーヴェルは席を立った。椅子の座面に置いていた上着を手にする。
「すまんな」
「あなたも毎回これなら、こっちと飲んだら良くないですか?」
ハーヴェルは言った。
「特定の部下一人だけを私室に呼んで酒盛りなんてしてたら、それこそ誤解されるからな」
カリルが答える。
それもそうかと思う。
このド天然な側近を何やら息子のような感覚で気に入っているらしいが、自分という緩衝材があってこそ親しく話す時間を作れるということか。
「……分かりました。これからもご用命のさいはいつでもどうぞ、ただしできれば昼間」
ハーヴェルは上着をはおった。
「昼間はムリだな、忙しい」
カリルが肩をゆらして笑う。
「言ってみただけです」
ナバートがこちらの動きをじっと見ていた。
「何してんだ、鍵持っていっしょに帰るぞ」
「……分かりました」
ナバートが椅子から立つ。
「そのまま家捜ししてこい。許可する」
カリルが酒を口にする。
「よろしいのですか?」
ナバートがカリルに問う。
「家の隅から隅まで案内してやるから、納得できるまで何なら何泊でもしてろ」
ハーヴェルは言い放った。
「何泊でもというお覚悟なのですね。分かりました。こちらも念入りに……」
とたんにナバートは、顔を真っ赤にして後ずさった。
「何泊って」
こんどは何を想像した。
激しい面倒くささを覚えて、ハーヴェルは顔をしかめた。




