MUKHTABAR/Harwerth ハーヴェルの研究室 3 ♚
「おい、動けるならそろそろ出ろ」
自宅玄関口のすぐ横にあるせまい厨房。
ハーヴェルは、自身の心臓のあたりに向かって呼びかけた。
心臓というのにとくに意味はない。何となくだ。
もと巫女や神官も多い魔女や魔術師とちがい、こういうのは慣れていない。
鳩尾から白い手がニューっと突きだし、つぎに黒いショートカットの頭が飛びだす。
なかにいても音声は通じるようだ。
身体を押しだすような感じでフェリヤールが出てくる。
背中の羽根のような二股のオーラは復活していた。
陽当たりを避けて薄暗い台所では、フェリヤールの姿はさらに光って見える。
「動けはするんだな?」
ハーヴェルは尋ねた。
見た感じ、ケガの痕跡はないようだ。
こちらの生物と同じようにケガをするのかどうか不明だが、拷問を受けていたように見えた人物がいたとなると、身体の破損というものはあると思われる。
途中でスルッと身体をねじる感じに反転させ、フェリヤールは足まで抜け切った。
脳内に無限のエリアが出現したような心地の悪い状態からやっと解消された。
ハーヴェルは石の竃に両手をつき、息を吐いた。
「あー、気持ち悪かった」
三次元の人間の身で、高次元の認識を体験できるのだ。
研究熱心な者であれば進んで利用したがるかもしれないが、いまのところそこまで身体を張る気はない。
空中で一回転したフェリヤールは、途端にはしゃぎはじめた。
頭のなかに
祭祀いたー。
二重人格かこいつ。ハーヴェルは顔をしかめた。
先ほど知り合いのえらい様子を見て動揺していたばかりでは。
無言で水瓶の蓋を開ける。
蓋の上に置いた柄杓をとり、汲み置きの水をすくった。
「頭の中に」と言ったかと、ふと思う。
身体の中に入った状態だと、こちらの記憶や思考を覗くことができるのだろうか。
それとも自分が慣れていないだけで、ある程度そういったものを共有することでもできるのか。
まあ、どちらでもいいがと思った。そこまで研究対象を広げる気はない。
ね、
頭のなかに、
祭祀いたねー。
「おまえ誰でもそいつに見えてんだろ」
ハーヴェルはそう返した。
祭祀はね、
かみさまですか
聞いたら
かけいなの。
「何だそりゃ」
ハーヴェルは顔をしかめた。
「何とかこっちの次元で隠れられる方法考えてやるから、あとは腐れ魔女のところに帰れ」
くされ
まじょって?
「……あのアンジェリカとかいうやつ」
名前を言うのすら不快だ。ハーヴェルは眉間に皺をよせた。
もう
いっかい
はいっちゃだめ
「俺はそういうのに慣れてないし、ノウハウもない。とっさの隠れ場所にするなら、糞魔女のほうがまだ慣れてると思う」
ここにいるのは、
だめ
フェリヤールは両手を広げ大きく上下に振った。
この家にという意味か。
「いちおう男の独り暮らしなんだ。目のまえで四六時中うすい服装でヒラヒラされても困る」
ハーヴェルは水瓶から水をすくうと、柄杓に直接口をつけて飲んだ。
口元からしたたった滴を親指でぬぐう。
祭祀は
いないの?
フェリヤールは家の中を見回した。
「だから、こんどは誰がそいつに似てるんだ」
ここでなにか
座ってたりー、
フェリヤールは作業台の上で両手を大きく上下させた。
いっしょにご飯
ぱくぱくー、
ちゅー。
きゃははははは。
フェリヤールは空中で転げ回って爆笑した。
何だこいつは。笑い上戸なのか、それとも酔ってんのか。
うんざりしてくるなとハーヴェルは眉をよせた。
「イハーブのことか?」
ハーヴェルはそう尋ねた。
頭の中にあった記憶と室内を照らし合わせてるのかと理解した。
確かに師匠で養親のイハーブは、スキンシップの過剰なところがあった。
ある程度の年齢になってからは毎回拒否してグチグチ言われていたが。
いるでしょ。
「いまはいない」
いつ来るの?
「分からん。帰らないかもしれん」
ふうん、とフェリヤールはうなずいた。
あのねー、
むこうのそうち
捕まったんだから、
むこうが
めんどう
見るべきよねって。
「向こうの装置?」
ハーヴェルはふたたび柄杓に口をつけた。
フェリヤールが、
てんそう
そうち
まぎれこんだから、
助かったって。
ハーヴェルは柄杓に口をつけながら顔をしかめた。
あのとき転送装置にまぎれた白い異物はこいつか。
「……引きずりこまれたのか?」
そうハーヴェルは尋ねた。それなら詫びるところだが。
おもしろそう
だから、
入ってみたー。
「あっそ」
ハーヴェルは素っ気なく答えた。とりあえずこちらの責任ではない。
「妨害される感覚はなかったか?」
ぼう
がい。
「あの転送装置は、よけいな物質が入らないよう設定してある」
フェリヤールが、
先に
入ったから
だって
「単純にそういうことか」
ハーヴェルはもういちど柄杓に口をつけ、水を飲み下した。
タイミング、
よかったって。
「あ?」
タイミング
わるく
ったら、
フェリヤールと
混じってたんだって。
「ああ、可能性はあったな。できる限りないように調整はする機能はあるが」
あのやろう、
それでも
構わないとか
おもってたのよ
ぜったいって。
「……あっそ」
分かってんじゃねえかと思った。
ハーヴェルは、もう一杯水を飲んだ。
「こんど俺が転送装置を使うときは邪魔すんなよ」
ハーヴェルはそう告げた。
どれなら
じゃましていい
「……どれもするな」
口からしたたった水を指でぬぐう。
手元を二、三回見渡して、食材籠に置きっぱなしの短い紐を取りだす。
長いドレッド状の髪を束ねて結わえた。
みみ、
なんかついてる。
フェリヤールが顔の横まで降りてきて、左耳を覗きこんだ。
「耳?」
なんか
ついてる。
触れられないが、耳朶のあたりをつつくようにした。
オリハルコン製の小さなピアスがついている。
「ああ」
ハーヴェルは自身の耳朶をつまんだ。
「むかし師匠に御守りだといってつけられた」
ししょ。
「おまえがさっき祭祀に似てるだの言ってた」
フェリヤールは顔を近づけ、ピアスをまじまじと見た。
祭祀も、
うちのこに
おまもりつけてる
だって。
「へえ」
ハーヴェルはそう返事をした。
「祭祀ってのは、子供いたのか」
「祭祀」という呼び名から神官か何かと想像してたと魔女がわめいてたが、子供がいるなら神官ではないのかもしれんと思う。
もっとも神官が生涯独身かどうかはその土地の風習によるだろうが。
おまもり
あるから、
うちのこの
ばしょ
いつも
分かるって。
「そうと信じてるとか?」
ハーヴェルは苦笑した。
「ずいぶん信心深い人なんだな」
じつは
おまもりに
見せかけた、
位置じょうほうそうちなんだって。
ないしょ
なんだって。
フェリヤールが、口のまえでバツの字をつくってみせる。
ハーヴェルは無言で眉をよせた。
おもわず自身の耳朶をつまむ。
まさかな。
これはただの御守りだよなとなかば無理やり思うことにした。
子供側の立場で聞くと、行きすぎた執着を感じて怖いんだが。




