QASR/Alfurshu 王宮/アルフルシュ 3
イハーブは、死体の間者の生気のない顔をじっと見た。
「……ほう」
もういちどそう声を漏らす。
ナハル・バビロンで軌道衛星が打ち上げられたのは、もう百年近くまえだ。
アルフルシュはあちらの国ほど錬金術師の数は多くはないが、技術的にはまあ同じことをやるのは簡単だろう。
肥沃な土地が多いナハル・バビロンをアルフルシュは昔からたびたび狙っていたが、軌道衛星が上げられてからはあまり派手なちょっかいは出せずにいた。
だが同じように衛星を持てばどうなるのか。
ナハル・バビロンは今のところ、一部の学者の観測や通信用にしか衛星を使っていない。
だが、衛星は使いようによっては一国を簡単に更地にするほどの武器にもできる。
「軌道衛星のことを進言してやったのもわたしなのにな。製作と開発に手を貸せとは言わないのか」
イハーブはククッと笑った。
さすがにそこまですんなり信用はしないか。
幼少期のカリルにも、折に触れてスパイの見抜きかたを教えた。
身分や地位を持った人間には必須だ。
イハーブは、死体の間者の両の頬に手を添えた。無表情な顔を覗きこむ。
「きみは? 笑う機能はさすがにもうないのか」
ククッと口の端を上げた。
「笑ってごらん」
死体の間者は、ぎこちなく口の両端をひきつらせた。
「声を出して」
「はは。はははははは」
死体の間者が棒読みのような「笑い声」を上げる。
イハーブはふたたびククッと笑った。
「やっぱりうちのハーヴェルがいちばんかわいいな。あんまり笑ってくれないけど」
スッと手を離し、見張りの兵士のほうをうかがう。
あまり話しこんで怪しまれたら面倒だ。
死体の間者で遊んでいるのは楽しいが、早々に切り上げるかと思う。
「ハーヴェルも子供のころにはニコニコしてたんだけどね。大きくなったら、いっしょに寝ようって言っただけでムッとするようになって」
懐からタキオン動力のライトを取りだす。
「オスのネコもそうだよね。子猫のころは甘えてくるのに、おとなになると一人で大きくなったような顔をしだす」
死体の間者の目にライトを近づけ、チカチカチカッと点滅させた。
「……まあ、そこが身悶えるくらいかわいいんだけどね」
「わかるかい?」とイハーブは死体の間者に話しかけた。
死体の間者は、ふたたびぼんやりと宙を見上げる。
「いまここでわたしに聞かれたこと、わたしに答えたことは、一歩あるいたらすべて記憶から消去すること。きみはわたしに差し入れの菓子を渡した。その場でいっしょに食べて別れた。いいね」
死体の間者が、コクリとうなずいた。
だらしなく別棟の壁によりかかる見張りの兵士たちの元に戻る。
「ごくろうさま」
そう声をかけると、二、三人が面倒くさそうに目線をこちらに向けた。
酒を飲んでいるのもいる。
見張り中の多少の飲食は容認されているらしいが、兵士たちにはすでにすっかり「信用」されていると思っていいのか。
イハーブは、わずかに視線をおとし、兵士たちが携帯する武器を見た。
幅の広い剣が一本、ナイフが一本。
剣はナハル・バビロンで使われているタイプのものとほぼ同じだ。
故郷で鞭の動きから発達したよくしなる剣を使っていた自身としては、ただの鉄板という気がして好きではないなと思う。
子供のころのハーヴェルが、あんな無骨な力技だけの剣をカディーザに教わっていたと知ったときにはゾッとした。
あわてて自分の故郷の剣技を教えることにしてしまったが。
部屋を用意されている王宮の別棟に入るまえに、夜空を見上げる。
軌道衛星の光が、小さく見えた。
ナハル・バビロンは軌道衛星を四機上げている。
いまは自身が一機故障させてしまっている状態だが、四機すべてを故障させるのも案外と簡単にできそうだなと感じた。
その気になれば、ここにいなから機能を乗っ取ることもできそうだ。
背後を振り向くと、酔っぱらったのか地面に寝転んでしまった兵士もいた。
バカ笑いまで聞こえる。
抵抗も脱走もするわけのない人間の見張りならそうなるか。
王宮の女中が、別棟の扉を開ける。
イハーブは松明で照らされた入口ホールへと入った。




