ALQASR ALMALAKIU 王甥の屋敷 4
「暗号にしては、今のところ面白くないな」
カリルが肘かけに頬杖をつく。
「面白いとか面白くないとか、そういう問題ではないでしょう」
ナバートがイライラと口をはさむ。
「何なんですか? そのシャリフ・ウルマス・ナティリという輩は、こんな緊迫した状況を招いておきながら、いちいちウケ狙いを仕込むような人間なんですか?!」
「あの先生ならやる」
カリルが平然と答える。
「否定はしません」
ハーヴェルはそう答えた。
「生命や金銭よりも好奇心に目が行きがちな人間なので、次に考えることの予測ができない。研究馬鹿に多いタイプですが」
そうハーヴェルは続けた。
ナバートが、自身の主人と錬金術師の顔をポカンと見つめる。
「……そんな方に育てられたのですか? 先生」
「そうだが」
ハーヴェル自身は、そこは関係あるのだろうかという感覚で酒を口にした。
「私は、先生とそこまでの価値観の乖離があると感じたことはありませんが」
「俺は研究馬鹿のタイプじゃない」
ハーヴェルは答えた。
グッと酒を飲み干す。カリルが酒瓶の口をこちらに向けた。酒噐を差し出し注いでもらう。
「まあ、こいつはそうだな。その辺はイハーブ先生よりも幸いまともなんだが」
カリルが言う。
「そんなまともでない方を慕っているあなたも何なんですか?!」
ナバートが声を上げる。
「価値観がふつうと違ってまともじゃないから、余計な先入観を取っ払って簡単に真実をつかんでたりする。まあ、言い方を変えれば恐ろしく合理的な人なんだが」
「よく分かりません」
ナバートが眉をよせる。
「そのまともじゃないところが頼りになる人でもある」
言いながらカリルは酒を飲み干した。
「ともかく暗号にしては、第二、第三のヒントでもないと暗号と認識もできない感じだが、ヒントを送るような連絡手段がイハーブ先生側にあるとは思えん」
カリルが自身で酒を注ぎ、口にする。
「そうですね」
ハーヴェルは酒噐に口をつけた。
「連絡手段があったら、こちらに見つけられるまで音沙汰なしの状態を続けてはいなかったでしょうから」
「あちらからの連絡手段はないと思われるか……」
顎に手を当て、カリルが呟く。
ハッとハーヴェルは目を見開いた。
“お前の居場所は、すべて把握しているよ”
反発される可能性をあえて無視してもそのメッセージを伝えて来たのはなぜなのか。
イハーブが行動できる範囲内までこちらが出向けば、会うことは可能という意味だろうか。
ハーヴェルは、ゆっくりと酒を口に含んだ。
もしそうだとすれば、イハーブの真意が何であれあちらの国に行かなければ事は動かないのか。
相手がイハーブでなければ即座に罠を疑うところだが。
「飲むか」
カリルが酒瓶の口をこちら向ける。
酒噐が空になっていたことにハーヴェルは気づいた。
トクトクトクと酒が注がれる。
ゆっくりと半分ほどまで飲んでから、ハーヴェルは切り出した。
「折りをみて、アルフルシュに行ってきます」
カリルがこちらを見る。
「大きな仕事を抱えているところなので、それを済ませてからになると思いますが」
ハーヴェルは言った。
こうなると、フェリヤールのことはさっさと片づけた方がいいか。
感傷に浸って遅れさせているうちに、こちらも五次元側も事態が変わることはあるかもしれない。
「そうか」
カリルがそう返事をする。
「な……!」
ナバートが声を上げた。
立ち上がろうとしたように見えたが、さすがに主人の私室でそこまで大仰にふるまうのは失礼だと思ったのか、座ったままこちらに身を乗り出した。
「本音が出ましたね、先生。お師匠殿と連絡をつけるつもりですか」
「そのつもりだ」
ハーヴェルは残りの酒を飲んだ。
「カリル様! やはりこの方は裏切る気……!」
「こんな敵陣のド真ん中で今後の行動バラすスパイがいるか。落ち着け」
カリルが肘かけに頬杖をつく。
「わたしはお前にあまり危険なことはして欲しくないが。そのためにお前の知り合いの美少女とお茶したのだし」
「あれはあれで結構です。いざとなったら盾でも囮としても使える」
ハーヴェルは酒噐をテーブルに置いた。カリルが酒を注ぐ。
「その上で、どうしても必要か?」
「イハーブの俺に対してのあの伝言は、通信手段として来いと言っているのではと。今のところの思いつきですが」
「お師匠殿の側につくための大嘘では? 先生」
ナバートがこちらを睨む。
「まあ、イハーブ先生の精神構造は周囲の限られた人間にしか解読できん。お前の行動はお前に任せるよ」
カリルがそう答えた。




