MUKHTABAR ALTAKHAFIY/Harwerth ハーヴェルの研究室 御忍びの場 2
ヤーンスーン茶の癖の強い香りが漂う。
カリルは茶に浮いた豆をしばらくポリポリと噛んでいたが、おもむろに口を開いた。
「イハーブらしき人物がいるらしいと情報があったのは、隣国のアルフルシュだ」
「アルフルシュ……」
ハーヴェルは復唱した。思い当たることがあり目を見開く。
「酒場でカリル様を襲った刺客の出身地とあなたが見当を付けた国です」
ナバートがそう解説した。
「僭越ながら、その際にウイルス検査などさせていただいたのは、わたくしですわ」
アンジェリカが口を出す。
あのときのデータを書いた紙のくどい花模様を思い出し、ハーヴェルは眉根をきつく寄せた。
「つまり、死体の間者を送り出した先です」
ナバートがそう続ける。
身分を隠してまで話をしに来た理由はそれだろうか。
「名乗っている名前が、この辺りの名ではないと聞きましたわ。話を聞いた魔術師は、馴染みのない名前なので覚えられなかったと」
カリルが頷く。ゆっくりと口を開いた。
「名乗っている名前は、シャリフ・ウルマス・ナティリ」
ガタッとハーヴェルは椅子から腰を浮かせた。
イハーブのかつての名だ。
アラル海の近くにあった国の良家出身だったイハーブは、こちらの国に捕虜として連れて来られた際、イハーブと名を変えられた。
攻め込んだ国の良家の子を拉致して自国の官僚に育てる。この辺り一帯の国で、百年ほど前まであった慣習だ。
見目が良く優秀な子が特に選ばれたと歴史書では読んだ。
「たまたま同名の……」
そう言いかけ、ハーヴェルは口を噤んだ。
今さら滅んだ国の言語で名前を付ける者が、どれくらいの割でいるのか。
偽名だとしても偶然がすぎるだろうか。
「それよりハーヴェル師」
ナバートがヤーンスーン茶をひとくち飲む。険しい目付きになり口を挟んだ。
「問題は、あなたの師匠と思われる方が、カリル様の命を狙うような国側に付いているということです」
ハーヴェルは軽く眉を寄せた。
シャリフ・ウルマス・ナティリの名を聞いた時点で、二人のどちらかがそこに言及しそうだとは思った。
「私としては、あなたはまずどちらに付くのか……」
「ナバート」
カリルが言葉を遮る。
「そんな話をしに忍んで来た訳じゃない」
「私はそのつもりです。深く知る仲であっても、そこは冷静になってください」
ナバートの台詞に、ハーヴェルはつい「おい」と口を挟んだ。
アンジェリカが口に指先を当てニヤニヤしているのが鬱陶しい。
「まずは、そこをはっきりさせていただかないと、こちらも方針を決めかねる」
ナバートが眉間に皺を寄せる。
「死体の間者から情報を引き出せるのは、ハーヴェル師だけなのですから」
ハーヴェルは無言でナバートの顔を見返した。カリルを裏切る気など毛頭ないが。
「イハーブがどんな事情でいるのかまだ分からん。本人という確証もまだない。今日のところは取りあえずこいつへの情報提供と、そのついでの散歩だ」
カリルが茶を口にする。
「ですがイハーブお師匠様とやらは、王家と何か確執があったのでは?」
ナバートが言う。
カリルは、無言で茶を飲んだ。
「王家を害しようとする国と結託して復讐を企てるなどということは?」
ナバートは言葉を続けた。
「……あなたを酒場で襲った刺客が、彼の情報提供によりあの場に来たのだとしたら?」
「……息子の前で言うことか」
そう言い、カリルは茶を飲み干した。
すでにカリルの脳内では、そんなことは検証済みなのだろうとハーヴェルは推測した。
「イハーブ先生が王家に遺恨を残すような出来事があったのは確かだが、三代前の話だ。関係者はすでに全員死去してる」
カリルは答えた。
「……復讐心というのは、そういう問題ではないのでは? カリル様」
ナバートが真剣な表情で進言する。
「まあ、豆でも食って落ち着け」
カリルが豆の入った袋をナバートに差し出す。
ハーヴェルは、ちらりとアンジェリカの方を見た。そわそわと目を左右に泳がせている。
自身以上にイハーブ側に付いてカリルを裏切りかねない。
「裏切るなよ、魔女。何かしやがったら、こっちも手段は選ばねえからな」
ハーヴェルは低い声で脅した。
「あ……あたしが?!」
アンジェリカが作り笑いをする。
ナバートが目を丸くした。
「アンジェリカさんが何かする訳ないでしょう。か弱い女性が、自国の王家に歯向かうなどと大それたことなど」
「……あんた、マジで警戒心が中途半端なのな」
ハーヴェルはやや温くなった茶を口にした。
とはいえ、イハーブとカリルのどちらに付くのだと言われたら、戸惑いがあるのは確かだ。
アルフルシュの王家に仕えているのがイハーブ本人なのだとしても、自発的に向こうに付いている訳ではないのを祈るしかない。
「一緒に住んでて王家への怨み言なんて聞いたことなかったですよ。イハーブも今更なんでしょう」
そう言い、ハーヴェルは茶を口にした。




