ALQASR ALMALAKIU 王甥の屋敷 1
街の中心地のなかでも静かな界隈。
カリルの屋敷は、王家の子息や上級使用人や武官、官僚の屋敷が集まる地域にある。
数棟に分かれた建物すべてを合わせれば、そこらの良家の屋敷三件分ほどの大きさにはなるか。
華美さはあまりなく、造りのがっしりとしている印象が強い建物だ。
玄関ホールから等間隔にならぶ太い柱と、高いアーチ型の天井。
装飾よりも建物の頑丈さと通気性を重視していた。
豪華さよりも実用性をとるアル=シャムス王家の価値観をよく表している。
大理石の壁にかこまれた玄関ホール、そこからつづく長い廊下をハーヴェルは女中に案内されていた。
屋敷の主人であるカリルの私室のまえまで来ると、ふいに女中がうつむく。
手にしたロウソクに照らされた頬は赤くなっていた。
「ど、どうぞごゆっくり」
いそいそと立ち去ろうとする小柄な女中を、ハーヴェルは目で追った。
「べつにいてもかまいませんが」
女中が「えっ」と声を上げて、弾かれるようにこちらの顔を見上げた。
「そ、そんな。邪魔をするなとお叱りを受けてしまいます!」
女中が両手をブンブンとふる。
ハーヴェルは、無言で女中の顔を見下ろした。
反応を妙に感じたのか、女中が動作を止める。
「なにか」
「……いえ」
言いたいことはあったが、みじかく答えて重厚な大理石の扉を自ら開けて室内に入る。
うすい絹の布でしきられた部屋の奥に、肩幅の広い男性のシルエットが見えた。
火をともすタイプのランプをつかっているため、つねにユラユラと影がゆれる。
タキオンの明かりを使い慣れたハーヴェルにはかなり暗く感じられたり光のゆれが気になったりするのだが、錬金術師や魔女以外はこちらのランプが一般的だ。
「毎回陽が暮れてから呼びだして、完全に人払いするのはやめませんか。仕えてる方々がだいぶ誤解してるようなので」
ひろいカリルの私室内、ハーヴェルは勝手知ったる足どりでつかつかと進んだ。
カウチの背もたれにどっしりと背をあずける感じで、カリルが酒器を口にしている。
壮年といえる年齢だが、長身で肩幅がひろく威圧感のある外見と、目つきの強さが衰えを感じさせない。
一級の武人としてなんどか紛争に出張ったこともある偉丈夫だ。
「女中のひとりくらい控えさせておきませんか。あなたも自分で酌をするより楽でしょう」
「その女中から私的な会話の内容が脚色されて流れるくらいなら、男色の相手といちゃつくために人払いしたと思われたほうがましだよ」
カリルが落ちついた口調で返す。
うすっぺらい人間不信の言葉ではなかった。
一般とは違う立場に生まれた者が、その立場に合わせて構築してきた価値観だ。
「いちいち誤解されて、おかしな反応されるこっちの身にもなってくれませんかね」
ハーヴェルはドレッド状の髪をかき上げた。
「おまえがそう言うから、今回は腹痛という口実を作ってみたわけだが」
ハーヴェルは眉をよせた。
口実だったのか。
呼びだしに来た武官にさえもバレバレだったようだが。
「典医がいるのに俺を呼んだら、誤解したい人間はさらに誤解しますよ」
「ああ、なるほど」
カリルが、どうでもよさそうな口調で返す。
「まあ、座れ」
そう言いテーブルにもう一つ酒瓶を置くと、自身の器に酒をそそいだ。
甘味のある果物の匂いがただよう。果実酒かとハーヴェルは見当をつけた。
「夜しか時間が空かないんだよ。わたしだって暇なわけじゃない」
カリルが言う。
暇でないのは知っているが、その暇ではないあいだをぬってよく分からん企みをするのもまた好きな人だ。
ハーヴェルは向かい側のカウチに座った。
「しかし不粋なやつらだねえ。ただ恩師の息子と飲みたいってだけなのに」
カリルが眉をよせる。
「酒の相手をさせるために呼びつけられる人間なんか、ほかにいくらでもいる立場だからでしょう」
「政治抜きで話せる人間は少ないよ」
カリルが器をもうひとつテーブルに置き、そちらにもにも酒をそそぐ。
「うかうか酔っぱらってはいられない相手のほうが多い」
「だからといって酔っぱらったら、俺は女中に押しつけて帰りますよ」
ハーヴェルは脚を組んだ。




