第五話 残った悪癖
放課後を迎えると、教室は瞬く間に喧騒に包まれる。
この後の予定を立てる奴。すぐに荷物をまとめて帰る奴。部活に向かうため準備をする奴。
そして、一緒に部活に行こうと誘う奴。
「柊木ぃ。部活行こうぜー」
気の抜けるような間延びした声。
一周目のこの物語ではその他大勢として名前も出てこなかった、陸奥陸だ。名前考えた奴適当すぎんだろ。お前に言ってんだよシナリオライター。
一応陸奥について説明しておくと、中学からの同級生で同じバスケ部。うん、それくらいだな。彫りの深い顔してんのにおとめ座って情報は無くてもいいだろう。
俺は一周目でバスケ部を辞めたが、それまでは結構仲が良かった。実は最後の方まで俺を気にかけてくれた仲間想いの良い奴だ。
だから今は同じバスケ部でありクラスメイト。俺の友達ってところか。ちゃんと友達が居たようで少し安心した。
陸奥に軽く手を挙げて逡巡する。果たして部活に行っている余裕なんてあるのか、と。
何度も言うが、この物語が本格的に動き出したのは九月。夏休みを挟めばヒロインと接触する時間はあって無いようなもので、イベントの発生が早まっていることを踏まえれば猶予はもっと短いだろう。
今後のことを考えりゃ部活なんてすぐにでもやめちまった方がいい。だが、そう簡単な話でもない。
同じ部活に所属するヒロインとの接点は部活動の時間でしか得られない。学年が違えば尚更だ。
二周目ではまだ登場すらしていないヒロインの話だ。一つ下の後輩ということを鑑みれば、部活を逃せば登場すらせず物語が終わる可能性すらある。
となると、辞めるタイミングは少なくとも今じゃない。
急かす陸奥の背中を追いかけ、体育館へと向かった。
バスケ部は第一体育館で男女に分かれて練習している。
新入生含む一部の男子部員は女子に見られて緊張すると言うが、女子も女子で練習しているのでこちらを見る余裕は無いと思う。
それに、男バスと女バスはそこまで仲良くないから諦めた方がいいぞ後輩よ。
軽くウォームアップを済ませ、いつも通り──俺にとっては久々の部活が始まった。
これがまあ、きついのなんの。
体育館周辺の長距離ランニングから始まり、往復ダッシュ、パス練習にシュート練習。ひたすら走って飛んでの繰り返しだ。
二周目の俺にとっては毎日やってることでも、一周目から飛んできた俺にとっちゃ久々の運動でついていくのがやっとだった。
もしかすると俺は、記憶だけじゃなく体ごと二周目に連れてこられたのかもしれない。まあ、どちらでも構わないか。
問題があるとするなら、体力は日々努力しなければ簡単に落ちるってことだ。大学の単位みたいですね。知らんけど。
果てしない運動量を乗り越え、最後のミニゲーム前の休憩時間を迎える。
へとへとになった体を引きずり屋外の水道で顔を洗ったところで、ようやく奴が登場する。
一周目で俺を散々振り回した三人目のヒロインが。
「アッカリーン!」
甲高く明るい声と共に、疲れ果てた俺の背中にダイブ。俺は支えきれずにアスファルトにダイブ。ぐへぇ、と情けない声が出る。
「三雲お前、殺す気か」
ギャグパートじゃなかったら今頃俺の顔は無かったぞ。アスファルトで大根おろしだ。
その当人、三雲燈は悪びれる様子もなく、あははー、と笑っている。
「アカリ先輩の姿が見えたので飛んできちゃいました!」
「マジで飛び込んでくる奴がいるかよ」
「アカリ先輩、汗の匂いがしますね」
「そりゃそうだろ。散々動いた後なんだから」
「すぅー。これはアカリ先輩の匂いですね」
今の会話からもわかる通り、三雲はバカだ。
イマイチ会話が噛み合わない。そしてすぐおかしな行動に走る。
悪い奴じゃない……と言うか、むしろめちゃくちゃ良い奴なんだが、頭のネジをどこかで落としたらしくたまに奇行が目立つ。早く落し物センターに取りに行け。
呆れてため息をつく俺に跨ったまま、三雲は突如ひどく神妙な顔つきを見せる。
「アカリ先輩、今日こそ一緒に帰りましょう!」
「ああ、いいぞ」
「ええっ!?」
三雲は俺に跨ったまま目を丸くして呆然としている。何をそんなに驚くことが……
ああそうか。一周目の俺は、いつも三雲を軽くあしらっていたんだ。
こうして誘われても、適当な理由をつけて断っては、三雲が口を尖らせてぶーぶー言っていたもんだ。
それが急に二つ返事で快諾したもんだから、三雲も困惑しているんだろう。
「アカリ先輩、今の衝撃で変なところぶつけました? なんか変ですよ?」
なんだこいつめちゃくちゃ失礼だな。俺を何だと思ってんだ。
一周目での三雲の置かれた状況を知っているからこそ、三雲との距離が大きく縮まったからこそ三雲の誘いを受けたわけだが、やっぱこいつは適当にあしらうに限る。
「嫌ならいい。俺は一人で帰る」
「嫌じゃないです! 嫌じゃないですから!」
「つか重いから退いてくれ。いつまでこの状態で話すんだよ」
「女の子に対して重いって失礼ですよ」
眉間に皺を寄せてそんなことを言う三雲。今日のお前が言うなスレはここですか?
「先輩が一緒に帰ってくれるなら退いてあげます!」
「そんなことしなくても一緒に帰るっての」
「……今日のアカリ先輩、やっぱりおかしいです。優しすぎます」
「お前は一緒に帰りたくないのか」
なんでバカにされなきゃならないのか。優しいことがおかしいとはこれ如何に。
体を起こしてもなお、三雲は俺に跨っている。そして何故か心配そうにこちらを見る。俺って三雲に意地の悪い奴だって思われてたの? いや間違ってないんだけどさ。
「先輩、本当に嫌なら無理しないでくださいね」
「嫌なら断るだろ。何がそんなに心配なんだ」
「えっと……何ででしょう?」
聞き返されても俺が知るはずがない。
ただ、三雲が困惑するのもわからなくはない。
俺は一周目で三雲と過ごすうちに幾度となく彼女の優しさに触れ、彼女の温かさに救われた。
そんなことを知る由もない三雲にとって今の俺は、急に改心して優しくなった先輩でしかない。何なら三雲を狙っているとすら思われても仕方ない。
こいつならむしろ喜びそうだな。そんな事実は無いけど。
決して下心はないが、一周目のせいでどうも三雲に甘くなってしまう。
「俺が三雲と一緒に帰りたいからそうするだけだ。珍しいだろ。甘んじて受け入れとけ」
俺は自然と三雲に手を伸ばし、その頭を撫でていた。汗で少し湿った髪を指が梳いていく。
さらりと流れる指は彼女の頬に触れたところで止まった。
その手に収まってしまいそうなほど小さい顔が赤面するのを見て、俺は咄嗟に手を引っ込めた。
やっべー、普通にやらかした。
彼女が喜ぶからと一周目にはよく頭を撫でたものだが、まさか無意識に手が出るようになっていたとは。癖ってのは治らねえもんなんだな。手癖が悪いってのはこういうことか。
困惑する目。どんどん赤く染まる頬。きゅっと結ばれた薄い唇。思い出される濃厚なキス。
やめろやめろ。変なことまで思い出すな。連想ゲームじゃねえんだぞ。マジカルなんとかじゃねえんだから。
三雲と言ったらキス、キスと言ったら、暴走した幼馴染の前で見せつけるように舌を交えた数十秒に及ぶ熱いキス! じゃねえんだよ落ち着け俺。
「せ、先輩……? さっきのは……」
「あー、なんだ。手が置きやすそうだった」
一周目でも思ったけど、その言い訳はどうかと思う。
しかし三雲は嬉しそうで、満面の笑みを見せた。
裏表のない本当に嬉しそうな笑顔。一枚絵なんかじゃ表現出来ない本物の笑顔。
これが創作の世界じゃなけりゃコロッと落ちていたと思う。
「それなら仕方ないですね! もっと置いてていいんですよ?」
「うるせえ。調子に乗るな」
「酷いです! 先輩から手を出したのに!」
「やめろその言い方」
三雲につられて俺も笑う。
ああそうだよ。こういうのを求めてたんだ。
こういう、小さな幸せの時間を。
これこそラブコメに相応しい。
「柊木ぃー、どこだー! ミニゲームやんぞー!」
体育館から聞こえる先輩の声。
部活のことをすっかり忘れていた。休憩時間とっくに終わってんじゃねえか。
「悪い、俺そろそろ戻る。部活終わったら校門前に集合で」
「わかりました!」
三雲は俺の膝から降りて、俺に手を差し出す。西日のせいか、三雲がやたら輝いて見える。だからさぁ、そういうのは男がやるもんじゃないのかよ。
三雲に手を引かれ、俺も立ち上がった。
「先輩の勇姿、ちゃんと見てますね!」
「いやお前も部活」
頑張れよ、というセリフは咄嗟のところで飲み込んだ。
この二周目が一周目を大まかになぞっているのなら、三雲は既に部内でいじめを受けている可能性が高い。
このセリフの後に彼女がどんな顔をするのか、想像できない俺じゃない。
三雲はきっと笑うだろう。笑顔で活気のある声で「はい!」と応えるだろう。
だが、それは先程見せた笑顔じゃない。気持ちを心の中に押し込めて、俺に辛い顔を見せないようにと頑張って作った笑顔に過ぎない。
部活をやれとか、楽しめとか、頑張れとか、今の三雲にそんな安易な言葉を掛けていいはずがない。
三雲は「どうしました?」と首を傾げる。
「いや。活躍してやるからちゃんと見とけよ」
「はい! かっこいいプレイ、期待してます!」
三雲の応援を背に、俺は体育館に戻った。