第四話 笑顔を守るために
結局俺は汐留と共に体育の授業をサボることにして、その時間をまるまる密かな勉強時間に充てた。
彼女の勉強に対する姿勢は前向きで、一度教えた内容はしっかりと自分のものにしていて教え甲斐があった。むしろ俺の学力で足りるのかと心配になったくらいだ。
これからも時間を合わせて勉強会を開く約束をして、俺の特別授業はお開きとなった。
そして、時間は飛んで昼休み。
「灯、一緒にご飯食べよ」
花柄の包みに入った弁当箱を手に、紗衣が声をかけてくる。
そういやモブになるまでは紗衣と一緒にご飯を食べることも多かったなぁ、と遠い過去に目を細める。
次は紗衣のターンかぁ。そっかぁ……。
過ぎるトラウマを頭の奥底に仕舞い込む。
過去は過去だと割り切るべきではないが、一周目の紗衣と目の前の紗衣を同一視すべきでもない。
トラウマの元凶が目の前に居るとなれば内心穏やかではないものの、どうにか平静を装い変わらぬ態度で応える。
「弁当持って来てないから学食でいいか?」
「うん、わかった」
できる限りの笑顔を作ったつもりだったが、紗衣の表情から見るに微妙だったんだろうな。こんなことなら生徒会長様に笑顔の作り方教えてもらえばよかった。
しかし彼女に突き詰めらることもなく、少し不安そうに眉を寄せる紗衣と共に食堂へ向かった。
食堂には多くの生徒が集う。
今日もそうだ。一年生から三年生まで、なんなら先生も含めて多くの人がごった返す中、俺たちはなんとか席を確保し、向かい合わせに座った。
とりあえずここまででわかったことが一つある。
一周目でモブとしての時間を長く過ごしてきたせいか、俺のコミュニケーション能力が著しく下がっている。
おかしいなぁ。昔は常にクラスの中心に居るほど明るい性格だったのに。交友関係にも微妙なズレが生じているのはそのせいだ。
交友関係が変わったわけじゃない。ただ、俺の態度がそうさせている。
相手からすれば昨日まで友人だった相手が急に素っ気なくなったように見えるのだから、距離を置かれるのは当然のことだ。
俺が気をつけるべき問題ではあるが、慣れとは怖いもので去るもの追わずの精神がこびり付いた俺には以前の関係を保とうという意識が低く定着してしまっている。
友人らには悪いが、俺にも事情がある。あまり多くの関係を抱えても消化しきれないのは目に見えている。
物語が本格的に動き始める九月までにヒロインたちと関係を築いておかなければならない。あまり寄り道をしている余裕はないんだ。
タイムリミットは四ヶ月ほど。夏休みも鑑みれば使える時間はもっと少ない。
自分のことは物語が終わった後にでも考えりゃいい。
それでいいはずだ。
「灯、何か悩みでもあるの?」
俺の様子がおかしいことは紗衣にも伝わっているようで、不安そうに首を傾げている。
まあ他の連中から見たら急にコミュ力が急低下したようにしか見えないもんな。そりゃ不安にもなる。というか気味が悪いまである。
それでも心配して話しかけてくれるのは紗衣の優しさからか、俺に対する好意から来るものか。
どちらにせよ、不審に思われるのは良くない。あくまで俺は一切自覚のない一般生徒、柊木灯を演じるべきだろう。一周目の記憶を持った主人公の時点で一般生徒ではない気がする。
「悩みなんてないな。悩みがないことが悩みかもしれねえ」
「なにそれ。なんか変だよ、灯。いつもよりつまらないもん。やっぱり悩みがあるんじゃない?」
即バレた。一周目の時から思ってたけど、俺って嘘隠すの下手じゃない?
「悩みがあるなら教えて。私が力になるから」
そう優しく微笑む紗衣。バレバレとはいえ嘘をついた手前、その優しさが胸に突き刺さる。
ああそうだ。紗衣はこういう奴なんだよ。お節介で優しくて、いつでも俺の心配をしてくれる。
一周目で多少暴走を……多少? いや違うな。ブレーキが壊れた列車並みに大暴走したのは事実だが、本来の彼女は思いやりと慈しみを兼ね備えた少女なんだよ。
そんな紗衣を救うために作者に頼んできたんだ。そしてこの二周目を与えられたんだ。
この世界はただのラブコメ。人は死なない。紗衣は優しい幼馴染系ヒロインだ。
認識を改めろ。今目の前にある現実を見ろ。まずはそこからだ。
俺は大きく呼吸をして、改めて先程の質問に答える。
「そうだな、悩み。このパンあんま美味しくないんだよな」
「そういえば灯がクリームパン食べるの珍しいよね」
「これしか残ってなかったんだよ」
「良かったら私のお弁当少し分けようか? 唐揚げとウィンナーと枝豆、どれがいい?」
「いや枝豆ってチョイスはどうなんだ」
「隙間が出来ちゃったから仕方ないじゃん」
なんとか普通の会話が成り立つ。紗衣が合わせてくれているだけな気はするが、一先ずこれでいいだろう。
紗衣は弁当箱をこちらに寄せて、どれがいい?と首を傾げる。
その三択ならまず間違いなく唐揚げなのだが、紗衣は料理が絶望的に下手なんだよなぁ。最悪枝豆が一番美味しい可能性まである。
「唐揚げは冷凍のやつだし」
「唐揚げでお願いします」
「……灯、冷凍なら安心って思ったでしょ」
図星を突かれて目を逸らすしかない。もう少し悩むフリでもした方が良かったか。
と思いきや、紗衣は怒る様子もなく「仕方ないなぁ」と笑って唐揚げを差し出す。
一周目とのギャップに心臓が跳ねる。一周目だったら刎ねられるのは首の方だったかもしれない。本当にそれくらいの差があるんだ。阿修羅と菩薩くらい違う。
箸に挟まれて油が染み出ている。香ばしい匂いが鼻孔をくすぐり、食欲をそそる。
辛抱たまらず、唐揚げにかぶりついた。口内に肉汁と先程の香ばしい匂いが広がっていく。衣はしっとり、中は肉厚。最近の冷凍食品ってすげえな。
そんな俺の様子を彼女はにこにこと眺めている。
「灯って美味しそうに食べるよね」
「美味しいからな」
「これが冷凍食品じゃなかったら嬉しいんだけどなぁ」
はぁ、と息を漏らしながらも紗衣はウィンナーを口に運ぶ。
ふとその箸に視線が行き、一周目の記憶が蘇る。屋上に続く昇降口で後輩の少女と一緒に弁当を食べた記憶。
小悪魔のように「間接キスですね」と笑う彼女の顔。思わず顔が熱を帯びる。
首を振って甘い記憶を振り払う。
女の子の前で他の女の子のことを考えるなんてあまりに失礼じゃなかろうか。
それに、まだ彼女は部活内のいじめに一人耐えている時期だ。俺だけがそんな甘い思い出に浸っている場合じゃない。
下心に脳内を侵食される俺を他所に、紗衣は何を気にするでもなく不思議そうに目を丸くする。
幼馴染だけあって間接キスなんて度々あったことだし、あまり気にしていないのだろうか。俺のことが好きだという割に反応は薄い。
「やっぱり、何か悩みがあるんでしょ」
「いや、大丈夫。紗衣が気にすることじゃ……」
そこまで言って、続く言葉を飲み込む。
今の件は紗衣には関係ないというのは事実だが、俺のことを一番に気にかけ俺のためなら何でもしてしまう彼女にその言葉を突きつけてしまうのは、一周目の繰り返しになってしまう気がした。
「まあなんだ。今は話せない。でも、いつかちゃんと話すよ」
「そっか」
紗衣は寂しそうに眉を寄せて微笑む。俺を心配しながらも詮索はしないでいてくれる。
やはり紗衣はどこまでも優しい。これが本来の結城紗衣なんだ。
それを歪めてしまったのは、この世界の理と俺の無頓着さ故。だから、今回こそは失敗しない。
「紗衣は優しすぎるからな。つい甘えそうになる」
「灯は抱え込み過ぎちゃうからね。誰かが甘やかしてあげないと」
「本当にダメになったら紗衣に甘えるよ」
そう言うと紗衣は嬉しそうに微笑んだ。ああ、紗衣の笑顔は安心感を与えてくれる。守りたい、この笑顔。
いや、守らなきゃならない。それが俺の使命であり、罪に対する清算だ。
一周目は一周目。全てがあの通りになるわけじゃない。つまりは俺の行動次第。ギャルゲーみたいだな。
ひとつ違うのは、その選択肢をミスれば人が死にかねないところだ。ホラゲーでしたか。
一周目の記憶はあくまで情報源。そう割り切った方が良さそうだな。たった半日過ごしただけでも一周目とは違うことが多発している。
ただ一周目のミスを回避していくだけじゃダメだ。それで救えたヒロインも少なくないが、それだけじゃハッピーエンドにはならない。
ハッピーエンドなんて簡単に言っちゃいるが、強くてニューゲームな俺でも難しいことだとはっきりわかる。
ラブコメの主人公ってホントにすげえんだな。