第三十八話 程よい距離
「よう、どこ行くんだ?」
てっきりトイレにでも向かったのかと思ったが、汐留を追いかけた先はレストランの外。上着は置いたままだったはずだし、帰るということはないだろう。
それにしたって外へ出るのは不自然だ。電話かとも思ったが、彼女は何をするでもなくブロック塀に腰をかけたままこちらに首を向けていた。
「別に。ちょっと休憩」
「何だ、帰ろうとは思わないんだな」
「そこまで空気読めない人じゃないから。あんたと違って」
「一人にしてほしかったのか?」
「わかってんのに隣に座るのも空気読めないよね」
そう小言を貰いながらも隣に腰をかけるが、彼女は嫌そうな態度を見せずに人が行き交う路地をぼーっと見ていた。
突然のメンバー変更。不慣れな状況。嫌悪感のある相手。空気を壊すまいと彼女なりに我慢していたらしいが、とうとう限界が来たらしい。相当前から我慢出来てなかったけどな。
「来なきゃ良かったって思ってるだろ」
「まあね。でも、人数に穴開けるのも何か違う気がするし」
「そういうところは真面目なのな」
「事の発端はあんたでしょ。感謝くらいしてくれてもいいんじゃない?」
「感謝してるぞ。おかげでこうして話す機会も出来たしな」
素直にそう述べると、汐留はこちらを見て目を瞬かせた。
「え、あんたってうちのこと狙ってんの?」
「何でそうなる」
話が飛躍しすぎだろ。特急列車並のすっ飛ばし方だったぞ。
かと思えばどうやら冗談だったらしく、汐留は声を上げて笑った。何だかこうしてちゃんと笑う姿は久々に見た気がする。
「俺以外の前でもそうやって笑えばもっと人も集まるんじゃねえの」
「無理無理。そういうのキャラじゃないし、男に言い寄られても気持ち悪いだけだから」
「俺も男なんだが」
「柊木はほら……童貞だし、結構無害って知ってるから」
「童貞は関係無いだろ」
チクリと棘を刺してくるところはいつもの汐留だな。その表情を除けば、の話だが。
安堵や不安、それに無心。あるものないものが一気に押し寄せたような不出来な笑顔を作っている。
特に、ふらっと口にした『気持ち悪い』という言葉には強い怒りの感情が見えた気がする。
この物語のヒロインは皆何かしらの問題を抱えている。その仮定が正しいとするなら、汐留の悩みの種はそこに根付いているのだろう。
ともすれば、彼女の過去を知り嫌悪感を払拭しなければ、彼女の幸せは訪れない。まあ、全ては俺と鮮華の想像でしかないが。
「ま、俺とだけでも話せるならそれでいい。約束も守ってもらわなきゃならないしな」
「約束って、勉強を授業を受けろって話?」
「ああ。最近は授業には出てるみたいだけどな」
「まあ……柊木には世話になったし。恩を忘れるほどうちも腐ってないから」
それは知っている。汐留はこう見えて結構義理堅い人物だ。恩と言うなら俺には返し切れないほど彼女には世話になった。
一周目のことを思い出して、ふと修学旅行の記憶が蘇る。そういやあの時の班分けも今日とほぼ同じ面子だったな。
そう思うと、今とは人間関係が大きく異なっているのが少し寂しく感じてしまう。
紗衣が友達と楽しく話していたり、桐崎が会話の中心になっていたりと喜ばしい部分もありはする。
しかし、汐留を取り巻く人間関係は完全に退化したと言っていい。あの日の汐留の笑顔を見るに友達との付き合いが嫌いなわけじゃないと思う。ただ、彼女にはそのきっかけが無いだけで。
「なあ、男子じゃなくても女子と仲良くしたりしないのか?」
どうにかそのきっかけを見つけられないかと問いかけてみるも、汐留は少し考えて静かに首を振った。
「別にいいかな。人と話すのは嫌いじゃないけど、得意でもないから」
「したいかどうかと得手不得手は別の話だろ。俺も得意じゃないが、こうして汐留と話してる時間は好きだし、授業サボってでもきっかけを作ってよかったと思う」
「……やっぱあんた、うちのこと好きでしょ」
「もう一回言おうか? 何でそうなる」
汐留はなんと言うか、全てがはっきりしていて裏表がない。好きなことと嫌いなこと。したいこととしたくないこと。できることとできないこと。それらを自分の中できっちりと線引きして、そのラインに基づいて行動している。
だから彼女には裏表がない。彼女にとっては全部が表で、裏にある感情も表に出してしまう。自制しきれず勝手に出てしまうだけか。
好みが別れる性格ではあると思うが、俺は余計な詮索をしなくて済む分、相手をしていて楽だと思う。リラックス出来る相手と言うべきか。
そういう意味での『好き』だったんだが、直線的な思考の彼女はそのままの意味で捉えたらしい。
「あんたがうちのこと好きでも別に言いふらさないけどさ。代わりに教えてくれない?」
「言いふらす相手もいねえだろ。で、何だ?」
軽く茶化してみるが汐留の反応は薄い。少しばかり声のトーンを落として問う。
「柊木さ、何でそんなにうちのこと気にかけんの?」
……薄々思ってはいたが、少しやりすぎたらしい。じとりと訝しげな視線が俺を捉える。
突然勉強を教えたいと言い出して、彼氏のフリにも付き合って、挙句こうして心配のあまり追いかけてくる。
軽薄な男に嫌悪感のある汐留にとっては下心と受け取ってしまうかもしれない。
目的のために邁進した結果、疑われてちゃ意味がないな。
あいつには申し訳ないが、理由を話したところでこの二人の関係が縺れることはないだろう。体の良い言い訳も思いつかないしな。
「……心配してたんだよ」
「心配? うち、柊木に心配されるほど弱くないけど」
「それは知ってる。俺じゃなくて杏が、な」
「杏が?」
ここでその名が出てくるとは思わなかったのだろう。汐留は虚をつかれたように大きく目を見開いた。
「杏から聞いたんだよ、お前のこと。中学から一緒なんだろ? お前がお嬢様学校の出身ってのはビックリしたけどな」
杏によると、二人は中学の頃に知り合って以来の親友らしい。
彼女たちが通っていた聖和女子学院は中高一貫のお嬢様学校だ。中学で知り合ったということは、汐留も中学までは聖女に通っていたことになる。
しかし、どういう訳か二人は高校で別の道に進んだ。エスカレーター式に高校へ進んだ杏と、共学の高校へ進学した汐留。
杏もその理由は知らないと言う。が、二人の仲を引き裂く要因があったとは思えない。
一周目ならまだしも、二周目の二人を見ていれば、まだ互いに親友だと思っていることはこれでもかと伝わってくるからだ。
汐留は自嘲するように息を吐く。
「まあ、うん。らしくないのはうちもわかってる」
「そうか? まあ、そうか」
「納得すんなっての」
脇腹を小突かれるが、あまり痛みはない。お嬢様学校の汐留……想像がつかないもんな。本人も本気でそう思っているのだろう。
「別に汐留がお嬢様学校だろうと気にしないけどな。ただ、お前が異性を嫌っている節があるのは気になるところだ」
「それも杏が?」
「いいや。杏からは異性といざこざがあったとしか聞いてない。ただ、今日の汐留を見てりゃわかる。お前全然笑わねえし。それに、お前最初に俺のこと嫌いだって言ってただろ」
「あー、そんなこと言ったかもね」
汐留は二周目で最初に言ったことなんて既に忘れてしまったらしく、本当に今思い出したように納得を示す。
裏を返せば、そんなことなど忘れてしまうくらいには今は俺のことを嫌ってはいないということだ。うん、前向きに捉えよう。全く相手にしてなかったから忘れてた、なんてことはない……はず。
「杏があんたにそこまで話すなんてね。ま、ホントのことなんだけど」
「だろうな。杏が言ってたぞ。男性が苦手みたいだから、守ってほしいって」
今日、杏が俺を早めに呼び出したのはこれが理由だ。杏とグダグダ喋っていたせいで端的にしか聞いていないが、彼女は確かに言った。
『結奈を気にかけてあげてほしい。何かあったら守ってあげて』と。
その何かが一体何を指しているのかはわからないが。
「じゃあなんで合コンなんかに呼んだとよ……」
「さあな。前に進んでほしいとかそんなんだろ」
「うわテキトー」
「仕方ねえだろ。汐留のこと何も知らねえんだから。お前も教える気無いんだろ?」
「まあ、ね」
「だったら聞かねえよ。お前がしたいようにすりゃ俺もサポートするし、杏の頼みもやり遂げるだけだ」
誰しも人に話せないことの一つや二つはある。俺もそうだしな。この世界のことなんてそう易々と話せない。
だから俺は、汐留が自分から打ち明けるまでは聞かないことにした。異性関係で何かがあったことは知っているが、それだけ。
彼女の問題の根幹に関わる部分だろうと、作られた世界のキャラクターであろうと、汐留の意志は尊重する。
その上で、ゆっくりと近づいていけばいいだけの話だ。
俺がそう決意表明をすると、汐留は小さく「ありがとう」と呟いた気がした。
それは本当に気のせいだったのかもしれない。次の瞬間には訝しげな鋭い視線に戻っていた。
「てかさ、何で杏とそこまで仲良くなってんの?」
「あー、なんだ。色々あったんだよ」
「何それ。あんたじゃ涼介さんに勝てんけんやめときよ」
「うるせえ。真実は人を傷つけるんだぞ」
俺が涼介さんに勝てるわけないだろ。顔もスペックも違い過ぎる。
俺をからかって満足気な汐留はたまに見せる柔らかい笑顔で笑っていた。
「ごめんごめん。杏は名前呼びとに、同じ学校のうちが苗字呼びってのも変やねって思っただけやけん」
「結奈って呼んでほしいのか?」
案外嫉妬心があるのか、とも思ったが違うらしい。彼女はすぐに首を横に振る。
「よかよ、そのままで。柊木とは今の距離感がちょうどよか気がするけん。今はまだ、このままがよか」
「……そうか」
その意見には同意だ。近過ぎず、遠過ぎず。でもいざという時には助け合う。そんな関係が安心できる。
その後も俺たち二人だけの時間は弾み、しばらくの間他愛ない話で盛り上がった。




