第三十一話 奇妙な契約
胃に響きそうな揚げ物の音が聞こえる。香水とは違う空腹を刺激する良い匂いが漂ってくる。
写真を見る限り注文したプレミアムカレーはトンカツが乗っているようで、今そのカツを揚げている段階なのだろう。
既にもたれてしまいそうな胃に水を流し込み、杏と向き合う。
「それで、本題ってのは?」
杏が小声で話すのを辞めないため、俺もそれに合わせておく。叔父さんに聞かれたくないなら別の場所にしたら良かったのでは。
杏はわざとらしくこほんと咳払いをする。顔が赤くなっていてちょっと可愛い。
「灯君は結奈とデートしたことを亜梨沙にバレたくない。そうだよね?」
「まあ、そうだな」
その理由については何やら勘違いしてそうだが、結果が合ってりゃそれでいい。とにかく、亜梨沙の耳にデートの一件が入らなければいいんだ。
「私も友達のお兄さんに恋人のフリをしてもらってたって叔父さん……というかお父さんにバレたくないの」
「ほう。それで?」
本題と言う割に結論が見えてこない。お互いに秘密を共有したからバラさないでねって話か?
涼介さんを友達の兄と呼ぶからには、やはり二周目でも亜梨沙と涼介さんが義理の兄妹になっているのだろう。その事実に少し安堵する。
一周目と違うことが起こりすぎているせいで、一周目と同じことというのは安心感がある。
杏は顔を伏せたり口をきゅっと噤んだり体をもじもじとくねらせたりと忙しい。交換条件でも脅しでも覚悟はしてるから早くトドメを刺してほしい。
氷をかたりと揺らして水を飲むと、意を決したように口を開いた。
「私の彼氏になって」
「はぁ?」
「ちょっと、声大きい!」と俺よりも大きい声で怒られたが、こんなの驚くなと言う方が無理がある。
今なんて? と鈍感主人公のような反応をしなくてもばっちりと聞こえた。彼氏になれ? 誰の? 杏の?
「いや待て。まだ会って二日目だろ。そもそも俺はお前の苗字すら知らん」
「あまね。甘いに音で甘音。これでいい?」
「良くないが?」
なぜ苗字を教えただけでおっけーだと思ったのか。古代の結婚制度じゃねえんだぞ。
杏の目をじっと睨みつけるが、どうも冗談ではないらしい。冗談の方がありがたかったんだけどな。
大きなため息をつき、折れる気配のない杏に現実を突きつける。
「お前も俺のことなんてほとんど知らないだろ」
「亜梨沙から聞いてるもん。悪い人ではなさそうだなーって」
「それで付き合う理由になるのか」
その点には本人も言い返せない様子だが、やはり納得はしていないらしい。どうにか断る方向に仕向けてみるものの、諦める様子もない。ここまで杏を突き動かす理由はなんだ?
「理由を教えろ。それ次第だ」
「さっきまで逆の立場だったのに……」
相手も同じ秘め事があるならその時点でそこは同条件じゃないのか。
ここからは杏が俺にものを頼む立場だ。互いに秘密を握っていて脅しとして機能しない以上、俺が納得出来なければ従うこともない。
まあいいや、と杏はため息をつき、その理由を口にする。
「私、お父さんに彼氏を連れて来いって言われてるんだ」
「昔の名家みたいだな」
ドラマとかで見た。孫の顔が見たい云々の話。杏も似たような状況に置かれているということか。
「うちは名家みたいなものだもん」
「え、そうなの?」
「知らない?甘音製菓。のびーるガムとかラムちゃんのラムネとか」
「あ、聞いたことある」
まさかの名家ではなく銘菓だった。全国的にも結構有名な駄菓子の老舗だ。ってことはこいつ、お嬢様かよ……。キャラ被りはよせって言っただろ! お嬢様キャラは鮮華だけでいいんだよ!
「私と結婚したら玉の輿だよー」
「マジかよ……」
それはちょっと……どころかもの凄く惹かれる話だ。
顔も可愛くて家は金持ち。性格は……悪そう。一周目の記憶引き摺ってんだよなぁ。やっぱなしで。
「結婚云々は置いといて、なんで俺なんだ? そのまま涼介さんに彼氏のフリしてもらえばいいだろ」
「その涼介くんが君にって言ったんだよ」
「はあ!?」
今日一の声が出た。杏は必死に「しーっ!」と人差し指を立てるが黙ってろって方が無理ある。
涼介さんが俺に? この世界じゃまだ一回会っただけだろ。
亜梨沙から話を聞いていたとしても、むしろ聞いてたら尚更俺を勧めるべきじゃないってことはあの人ならわかるだろ。
「お願い。まずはフリだけでいいから」
「またフリかよ……」
俺はこの物語で何度彼氏のフリすりゃいいんだ。読み味が同じでいい加減読者も飽きるぞ。
「そんなの、尚更亜梨沙にバレたらシャレにならないだろ」
「私たち別の学校だし、亜梨沙や結奈に会うことなんて早々ないと思うけど」
「万が一がある」
亜梨沙に会うのも汐留と遭遇するのもまずいが、何より鮮華がいる。
あいつのことだ。今日こうして杏と会っていることだって知っていてもおかしくない。
別に鮮華からの印象を下げることはないだろうけど、ヒロイン候補が複数居る以上誰の目に留まるか分からない。相手次第ではバッドエンドまっしぐら、なんてことも考えうる。紗衣とか桐崎とか……あと紗衣とか紗衣とか。紗衣にビビりすぎなんだよなぁ。
「どうしてもダメ?」
「どうしてもダメだ」
「何の話だい?」
互いに牽制するように睨み合っていると、すぐ隣から声がかかった。さっき杏と話していた初老の男性、杏の叔父だ。
すっかり色が抜けた白い髪はオールバックに整えられ、同じく白い髭は短く綺麗に切り揃えられている。ダンディやイケおじって言葉が似合いそうな紳士的なイメージを受ける。
「杏が男の子を連れて来るなんて珍しい。きっと弟も喜ぶよ」
「えっと、俺は……」
「紹介するねー。彼は柊木灯君。私の彼氏なんだー」
「おまっ」
「もー。この後お父さんのところにも挨拶しに行くんだからシャキッとしてよー」
杏は勝手に話を進めてくすくすと笑っている。この性悪め。やっぱり性格は最低だ。
「ほう……なかなかいい目をしているじゃないか。灯君、杏はわがままで苦労するだろうけど、優しい子だから長い目で見てあげてほしい」
「ちょっと叔父さん! 恥ずかしいからやめてよ!」
ホントにな。わがままどころか独裁者だ。
ただ、あんなに優しい目を向けられては「彼氏とかこいつが勝手に言ってるだけなんで」とは言えない。そんなことを言うと俺が遊んでるやつみたいで印象も良くない。なんならその手に持ったカレーをパイ投げが如く顔面に叩きつけられる可能性まである。
合わせるしかない、か。
「そういうところも好きなので。こちらこそ、よろしくお願いします」
「はっはっは。律儀で良い子だ。良い男性を見つけたね」
「え、あ、うん」
なんでお前が微妙な反応してんだ。せっかく合わせてやったのに。
杏の叔父さん──泰彦さんはカレーを俺たちの前に置いて、「ゆっくりして行ってね」と言い残して厨房に戻った。
俺と杏は揃って深いため息をつく。なんかどっと疲れた。
流れで乗ってしまったが、これはどうしよう。どうしようもこうしようもないが。もう逃げ道なんてない。俺包囲網、完成。
「あの」
杏はカレーに目を落とし、消え入りそうな声で囁く。
「ありがとう」
「おう。もっと感謝しろ」
「調子に乗んないで!」
杏はスプーンを取ろうと伸ばした俺の手をぺしぺしと叩く。感謝こそされど怒られる言われはないんだが?
「まあこうなったからには仕方ない。亜梨沙と汐留には内密にな」
「当たり前だよ。こんなこと、二人に言えるはずない」
「涼介さんにも釘を刺しておいてくれ」
「涼介くんなら大丈夫だと思うけど……わかった」
一応これだけ根回ししておけばなんとかなるだろう。
結局俺たちは奇妙な契約を交わし、とりあえずカレーを頂くことにした。今まで食べた中で一番美味いカレーだった。こんな状況じゃなければなぁ。
ガッキーが結婚してしまったので勢いで書きました。おめでとうございますのボタンは下にあります。




