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第九話 仕組まれたお題

「それで、紗衣は何か用があったのか?」


 二人を落ち着かせた俺は紗衣にそう尋ねる。

 何も知らない紗衣を問い詰めたところで何も生まれない。気になる点は多々あるが、無意味に話を掘り下げたところで紗衣を傷つけるだけだ。

 亜梨沙は借りてきた猫のように大人しくなり、シュンと眉を八の字にしている。納得とまでいかなくとも、紗衣への敵対心は薄れたようだ。


「あ、うん。えと、灯に借り物競争に出てほしくて」

「借り物競争?」


 お題に沿った物や人を見つけ、それを持ってゴールまで走る競技だ。

 しかしなぜ?


「一人欠員が出ちゃったみたいで……男子の殆どは次の騎馬戦があるから、手が空いてる人が少ないんだって」

「なるほどな」


 各競技の間にはインターバルが設けられるため連続出場も不可能ではないが、体力面を鑑みると得策とは言えない。そこで暇を持て余している俺に白羽の矢が立ったようだ。

 当初の目標のためには、出場する競技は多いに越したことはないし、俺としても断る理由はないな。


「わかった。出るよ」

「よかった。じゃあ、伝えとくね」


 紗衣は亜梨沙を一瞥し、身を翻す。その瞳にあったのは、一周目のような憎悪ではなく恐怖や心配のように見えた。

 二人が顔を合わせたことで一時はどうなるかと思ったが、どうやら危機は脱したらしい。

 想定外の事態に俺も思考が追いついていないが、何も悪いことばかりじゃない。

 紗衣と亜梨沙に生まれた軋轢。一周目では決して円満に済まなかった二人の関係にも光明が見えた。

 亜梨沙は暗い表情のまま俯いている。亜梨沙と過ごした時間は紗衣には遠く及ばないが、その濃さで言えば誰にも劣らない。

 だから、彼女の考えていそうなこともわかる。


「ま、気にすんなよ。お前も悪気があったわけじゃないって知ってるから。正直俺も同じこと考えてたし……」

「灯」


 亜梨沙は力なく体操服の裾を握る。


「その、勝手なこと言ってごめん。結城さんにも謝っといてほしい」


 亜梨沙は顔を伏せたまま、小さな声でそう言った。根拠もなくお前が犯人だと言い放ったことを反省しているのだろう。

 俺も紗衣が犯人だと思っていたため、亜梨沙を責めることはできない。そうでなくとも彼女を突き放すつもりは毛頭ない。

 この二周目で俺たちを別れさせた犯人は紗衣ではなかった。紗衣はきっと、ただのヒロインの一人なのだろう。

 たった一つの違い。紗衣がこの世界の真実を知るかどうか。本当にそれだけの違いだ。

 しかし、その違いはこの世界においては大きな分岐を意味する。

 紗衣は偏愛に溺れた殺人者ではない。一途に俺を想う女の子でしかない。この先、物語がどう進もうとも紗衣が誰かを傷つけることはない。

 去り際に彼女が見せた、亜梨沙を心配するような優しい瞳がその証拠だ。

 この事実が、たった一つの違いが、俺の中である可能性に結びつく。

 二人は良好な関係を築けるんじゃないだろうか。一周目の汐留と貴船のように、友達としてやり直せるんじゃないか。

 一周目では叶わなかった、そんな可能性に。


「断る」

「な、なんでだよ!」

「自分で謝るべきだろ」


 亜梨沙の手を体操服から離してその手を握ると、亜梨沙の体がぴくりと跳ねる。

 俺が代わりに謝っても問題は終息するだろう。しかし、このまま亜梨沙を帰らせてしまっては何も変わらない。二人の関係は拗れたままだ。

 結局は互いに負の感情を抱いたままになってしまう。そんなことにはさせない。

 負の感情は放っておいても正にはならない。マイナスはマイナスのまま。その深さが大きくなるだけだ。


「ちゃんと自分の口で謝るんだ。俺も一緒についていくからさ」


 過ぎた事実は消えない。何もしなければ、今の印象は変わらない。

 だから、亜梨沙が変わらなきゃならない。俺が変えなきゃならない。

 目線を合わせて笑ってみせると、亜梨沙は静かに俯いて、こくりと頷いた。

 紗衣も亜梨沙も元は善人だ。むしろ、人一倍優しく思いやりのある少女だ。

 それならば、関係の修復だってそう難しくない。だが、言葉にしなければ伝わらない。

 大丈夫だ。彼女らの純粋な想いはきっと伝わる。


「行こう。俺の勇姿、最後まで見てけよ」

「う、うん!」


 俺は亜梨沙の手を引いてグラウンドに戻った。


 亜梨沙と別れ、急ぎ足で待機場所へ向かう。俺にとっては午前中最後の競技、借り物競争だ。

 この競技は運が大きく絡むため、単に走力があればいいなんて単純な話じゃない。

 要はお題の内容次第だ。それが難しければ難しいほど、他の走者に遅れをとることになる。

 頼むぞ作者。簡単なお題にしてくれ。砂とかどう? 石灰までなら許すぞ。


 さて、神頼みならぬ作者頼みを終えたところで迎えた第四走。俺の番がやって来た。

 空砲と同時に走り出す。走力で言えば俺が圧倒的にリードだ。武道や陸奥の姿がなかった点からも、やはり他クラスも走力に自信のある生徒は出場していないらしい。

 最初にお題ボックスにたどり着いた俺は、選ぶことなく自分のレーンに置かれた用紙を手に取る。

 問題は運命のお題。さあ、内容は──


『常陽高校で一番美人だと思う人』


 なぁにこれぇ? 誰ぇ? これ考えたの誰ぇ?

 いや、わかった。絶対あいつだ。間違いない。

 下手すると作者よりタチの悪いあいつの考えだ。こんなこと考えそうな奴なんて一人しか居ねえもん。


 俺はすぐ近くのテントに目を向ける。その挙動すら予期したいたように、にこにこと貼り付けた笑顔を向ける人物と目が合う。

 ここ常陽高校の生徒たちを束ねる生徒会長、蓮城(れんじょう)鮮華(せんか)

 どうも俺のことを気に入っているようで、事ある毎に俺を巻き込んでくる厄介な人物だ。

 もうね、ひと目でわかる。めっちゃ楽しそうだもの。俺の様子を見て楽しんでるもの。


 どうするかなぁと頭を掻いて、もう一度お題に目を通す。何度見ても内容が変わることはない。

 一番美人な人かぁ。これ、選んだ相手次第では荒れるな。一体誰を選ぶべきか……。

 紗衣か? いや、ここで紗衣を選ぶと他のヒロインと接する機会が減ってしまう。二周目は比較的まともに見えるが、あいつはヤンデレなんだ。99%安全でも無闇に刺激すると危険だ。そうでなくとも、紗衣ルートに入ってしまえば目標は達成出来なくなる可能性が高い。今紗衣を選ぶわけにはいかない。

 亜梨沙か? いやいや、もっとダメだろ。さっきの今で亜梨沙を選べばもう取り返しがつかない。紗衣に余計な勘違いをさせるだけだ。

 三雲にしとくか? あいつバカだからそのまま付き合うとか言い出しかねないから却下だな。

 明とかどうだ? こんなお題で妹を選ぶとかシスコン全開だろ。そもそも来てるかすら疑問だ。


 他の走者は着々と目的の物や人を見つけている。

 このまま遅れると目立つ。悪い意味で。それだけは避けたい。

 非常に、全くもって不本意ではあるが、ここはこの人しかないだろう。

 俺は近くのテントに向かい、鮮華の手を握る。


「やあ灯君。どうしたのかな?」

「どうしたもこうしたもねえだろ。ニヤニヤすんな」


 計画通りと言いたげに悪い笑みを浮かべている鮮華。こうなる未来が見えててわざとやってんのがタチ悪いったらない。

 さらに鮮華はとんでもないことを言い出す。


「一体どんなお題で僕を選んだかは知らないけど、敵チームである灯君の味方をするわけにはいかないね」

「それでも生徒会長か。生徒が困ってんだから助けてくれよ」

「どうしてもって言うなら抵抗はしないよ」


 この野郎。いつもは仮面みたいな完璧な笑顔のくせに、今日はやたらと上機嫌だ。

 抵抗はしない。要は力づくで連れて行けということだ。その証拠に彼女の手には力が入っていない。そのまま手を引けば無理やりにでも引っ張れる状態だ。

 ここまで来て引き下がるわけにもいかない。あわあわとグラウンドを駆け回る方がかえって目立つ。


「ええい、ままよ!」


 俺は鮮華の隣に回り込み、彼女の首と脚に手を伸ばす。


「えっ。と、灯君?」


 鮮華はわざとらしく焦って見せる。ふん。力づくってのはこういうことだろ。

 周囲に配慮しながら鮮華を持ち上げる。お姫様抱っこの状態だ。

「おおっ!!」と歓声があがるが、恥ずかしいことこの上ない。

 そのまま鮮華を抱え、俺はゴールインした。

 結果は三位と奮わなかったが、会場は大盛り上がり。

 そりゃあ、学校一目立つ人をだき抱えてゴールしてんだからそうなる。

 当の本人は「まさかここまでするなんて……」と照れた様子をアピールしている。とんだ演技派だ。


「どうせ想定済みなんだろ。恥ずかしいったらねえ」

「ふふ、それはどうかな?」

「とぼけても無駄だ。お題も仕組んでたんだろ?」

「お題はランダムなんだ。僕に何か仕組むことなんて出来ないよ」


 絶対嘘だ。顔に書いてる。

 走力的に俺がお題の場所に一番に辿り着くのはわかっていたはずだ。それを見越して俺が走るレーンにあのお題をセットしたのだろう。

 そしてまんまと引っかかる俺。単純かよ。だから遊ばれるんだよ。


「さーて、会長をお姫様抱っこしてゴールした柊木君のお題は……なんとなんと、常陽で一番美人だと思う人!」


 放送委員により読み上げられるお題。恥の上塗り。

 湧き上がる歓声。やめろ! 勝手に盛り上がるな!


「柊木君は会長が一番美人だと判断したわけですねー。会長、いかがでしょう?」


 やめろ! その人にマイクを向けるな!

 いかがでしょうってなんだよ。なんで無駄に盛り上げ方が上手いんだよ。


「柊木君が僕をそんなふうに見ていてくれたのは嬉しいね。僕は柊木君に見向きもされていないと思っていたからね」


 ほーら余計なこと言う! 僕は君を見ているのにと言わんばかりの言い方やめろ! いや実際に見てんだろうけど!


「おやおやぁ? 会長は柊木君がお気に入りですか?」


 勝手に話を進めるな! 進行役の盛り上げ方としては正解でもこの物語としては不正解なんだよ!


「そうだね。僕は灯君が好きだからね」

「はあ!?」


 待て待て待て。そんなこと言っちゃうの? こんな公衆の面前で?

 これじゃあ一周目の文化祭と同じじゃねえか!

 キャーキャーと盛り上がるグラウンド。ふざけんな。もう一回この世界壊してやろうか。


「そんな柊木君! 会長からのご好意ですが、いかがでしょうか!」


 いかがもくそもあるか! やめろ、俺にマイクを向けるな!

 しかもやけにグイグイ来る。この放送委員、熱量が半端ない。どうするかなぁ、これ。

 いや、ここはなんとしてでも乗り切ってやる。

 この程度の困難なら何度も乗り越えた。鮮華の悪ふざけにも何度も付き合ったしな。

 俺は一呼吸置いて、マイクを握りにこりと笑顔を作る。鮮華印の作り笑顔だ。


「そうですね。"生徒会長"としてのご好意、寵愛賜ります。"生徒会役員"として、これからも会長を支えていけたらと思います」

「なるほどー! これぞ生徒会の絆ですねー! ありがとうございましたー!」


 生徒会を強調してそう言ってやった。鮮華、不服そうな顔しても無駄だ。

 ここは一発、文句を言ってやらねば。

 借り物競争を終えた俺は生徒たちの目を盗み、鮮華を連れて校内へと向かった。

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