第零話 モブから主人公へ
この世界は誰かによって描かれたキャンバス。
或いは、誰かによって創られた物語。
或いは、仮想世界のシミュレーション。
そのフィクション世界の舞台上と現実上の客席にある見えない壁。
第四の壁っていう概念の考え方だ。
バカみてえな話だな、ってのが最初にその話を耳にした時の俺の感想だった。
だってそうだろ? 俺の生活が全て誰かに作られた物だったって、考えただけで鼻で笑っちまう。
俺の行動は全て俺の意思で発生してるもんだし、俺以外の人間だって皆それぞれに意思があって、その意思に則って行動している。
舞台上と客席だってどっちも現実だ。演者と観客って違いはあれど、どちらも人間に違いない。
観客は自分の意思でその演劇を見に行って、完成度の高さに感動して拍手を送ったり、つまらなかったと肩を落とす。
役に成りきる演者だって、どう動けば観客を喜ばせられるか、間のとり方やセリフに対する感情の乗せ方を常に考えてるはずだ。
だから、第四の壁なんて存在し得ない。
そんなの、演者にリアリティを意識させるための殺し文句だろ。
なーんて、思ってた時期が俺にもあった。その存在を認知できるようになるまでは。
どうやって認知したか? そんなもん分からない。
いつの間にかその存在を理解して、いつの間にかその壁の向こう側からこの物語を客観的に見る、なんて夢みたいな力を手に入れてたんだよ。
この世界の全てが、誰かによって創られたフィクションだった。悪質なシナリオライターの手ひらの上にあった。小説みたいに文字が綴られて、俺はその通りに生きていた。
腹が立ってしょうがなかった。俺の人生が全て作られたもので、思考も感情も俺の中には一切存在しなかった。誰かの思うままに動く操り人形でしかなかったんだぜ?
だから俺は腹いせに、この力でこの物語をつまらねえ駄作にしてやろうって思った。
俺を主人公にしたこのふざけた物語をぶち壊してやろうって思ったんだよ。
だが、結論から言うとそれは失敗したんだ。
いや、『壊した』という結果だけ見りゃ成功だったのかもしれない。
第四の壁の向こう側を認知した俺は、主人公からモブへ転落する道を選んだ。
そして、転校生として登場した武道秀優に主人公の地位を押し付ける形でその役目を終えようとした。
誰とも話さず、ヒロインには冷たく当たり、俺は狙い通り一人になった。
それで終わればまだハッピーエンドとは言わずとも、ノーマルエンドくらいで終幕を迎えられたはずたった。
それなのに、あの物語の作者ってのは性格が悪いらしい。そいつは決して俺をモブとして認めなかった。
幼馴染に話しかけられたことを皮切りに、大人しいツンデレ優等生、人の話を聞かない快活な後輩、ウブな方言ギャル少女、完璧超人生徒会長……さらには、それまで関わったこともなかった可愛いの擬人化みたいなクラスメイトや他校に進学して関わることもないと思っていた元カノまで登場し、俺はいつの間にかハーレムを築き上げることとなった。
気がつくと俺の傍にはいつも誰かが居た。
ヒロインに囲まれ、俺に手を貸してくれる大人が居て、あろうことか武道までもが俺の友人役となり親しくなった。
これが作者の狙いかは知らないが、周りの支えもあって俺は主人公になることを受け入れるようになったんだ。
良い奴じゃないかって? まあ、ここまでならそうかもな。
俺だってそれでもいいかって思ったよ。作られた世界にも感情は生まれる。綴られた物語の一部だったとしても、そこに生まれた感情だけは本物だって信じたさ。
皆が幸せで終われるハッピーエンドがあるなら、俺だって受け入れたかもしれない。
でも、それで終わりじゃなかった。この世界のことを知っていたのは俺だけじゃなかったんだ。
それからは悲惨だった。凄惨だった。もう思い出したくもないくらいにな。
俺と同じく、幼馴染の結城紗衣は全てを知っていたんだ。
主人公から降りた俺とは違い、紗衣は自分をヒロインとしたハッピーエンドのために暴走。他のヒロインや友達を惨殺した。
俺が主人公から降りたせいで、彼女を主人公とした歪な物語が綴られてしまったんだ。
そして、そんな紗衣を止めるために、俺はこの手で彼女を殺した。
クソッタレな作者のせいで、俺たちの人生は狂わされた。最悪な気分だったよ。
考えてもみろ。お前が今まで歩んできた人生は全て誰かの手のひらの上。紙に書かれた文字の中のフィクションでしかなかった。
しかも、大切な人たちが死に、大切な人をこの手で殺めることになる。そんなシナリオを想像してみろ。
どうだ、耐えられるか? 俺には無理だった。
だから、全て消した。
幼馴染を殺して世界に干渉する力を手に入れた俺は、あの世界をぶっ壊してやった。
俺たちの存在が無かったことになろうと、あんな物語が残されていいはずがない。
そして俺たちは、あの世界諸共電子の海の中に消えたんだ。
消えた、はずだったんだ。