攻略対象の王子の性格が、全然違っていることについて。
所謂、トラ転なるものをした。トラック転生、それはライトノベルではよく見かける単語であり、平凡な日々を送っていた普通の人がトラックにはねられて死亡し、何故か異世界に転生するものである。
私はライトノベルが好きで、そういった類の話はそりゃあもう大好物だった訳だが、勿論トラックにはねられて本当に異世界に行けるとは思っていなかった。ファンタジーはあくまでファンタジー。現実ではないのだ。
だから私が交通事故にあったのは本当に偶然で、決して小説の影響を受けてわざとトラックに突っ込んだ訳ではないのだ。死は一瞬、即死で痛みは特に感じなかったのが不幸中の幸いか。
そして、異世界に転生したのである。意味が分からないって?大丈夫。私も意味が分からない。絶賛、混乱中である。
だが、まぁ…転生してしまったものは仕方がない。前世に未練がないのかと言われればないとは言いきれないが、新しく授かった生なのだから大切に生きていきたいと思う。
◆◆
―――――そう決意した、たった一時間後のこと。自分が生まれた世界が前世で私がハマっていた乙女ゲームの世界であり、そして私は主人公に意地悪をして断罪される悪役令嬢であることを知った。
神様、私が何をしたって言うんだ。
◆◆
綺麗な深紅の髪に、ルビーのような瞳。その鮮やかな赤色は多くの人間の視線を引き付け、まるで女王のような凛とした美しさを持ち、育ちの良さを感じさせる高貴さが滲み出る空気を纏う令嬢。イザベラ・アンダーソン。国内では四大貴族と呼ばれるアンダーソン家の令嬢である。
そして、それが私である。
…格好いいじゃんって思った?じゃあ、代わって。交代してくれ。誰か貴族としてチヤホヤしてもらえる立場から欲しいって言うのなら、私は今すぐこの席を立ってその人に譲り、自分は当分は生活できる金だけ持って逃げ出そう。
「イザベラ。どうかしたのか?」
「何でもありませんわ。お父様」
「そうか。ならばもっとちゃんとしなさい。これから国王主催のパーティーなのだ。腑抜けた顔で出て、我が家の名に泥を塗るつもりか」
そう私に声をかけてきたのは、今の私の容姿とよく似ている赤髪の男性だ。眼光は鋭く、気難しそうな顔をしている。この人が今世の私の父親。
そして、権力にしか興味がない父親失格の男でもある。転生した当時は私は赤ん坊で、母親は既に死んでいた。話を聞けば私を出産する時に亡くなったのだそう。そのため私は男手で育てられた…いや、コイツは育児に参加などしていない。育ててくれたのは、じいや、アンダーソン家の老執事だ。
そういう訳で、私はこの人に肉親の情を抱いてもいなければ、好きでもない。というか大嫌いである。毎日ベッドに入る度に、この男に次の日小さな不幸がふりかかることを願うくらいである。
スパルタ教育なんてレベルじゃない、朝早くから夜遅くまで勉強漬けの生活を送らされていた幼少期、イライラがたまって「あの父親、足の小指をどこかに強く打ち付ければいいのに」と願ったら、次の日本当に小指をぶつけたところを目撃した。ざまぁ、と思って面白かったので毎晩祈るようにしている。
そのおかげか毎日ではないが、父は転んだり、膝を打ったり、鳥に髪をつつかれたりすることが頻繁にある。個人的には彼は禿げるのを気にしているようなので、三番目の不幸がもっと起こって欲しい。鳥たちよ、頑張れ。
話を戻すと、今日はパーティーがある日なのだ。貴族や王族の十二歳になった子供たち、その親が集まるパーティー。そして、この日は私にとって間違いなく特別な日であると断言できる。
乙女ゲームの悪役令嬢であるイザベラと、ゲームの攻略対象の一人、王子のアルフレッドが初めて出会うパーティーであり、そして後々私たちが婚約をするきっかけになる出来事。
泣きたい。本当に、もう人目もはばからずに泣きたい。行きたくない。今からでも嵐か何か到来して、中止にならないだろうか。
「イザベラ、行くぞ」
「…はい」
しかし、行くしか選択肢はない。行かなかったら、課題が倍になるのだ。これ以上睡眠時間を削りたくない。
馬車に揺られながら、私はどう立ち回るかを考えていた。
(アルフレッド王子。確かゲームでは俺様系のイケメンで、主人公に興味を持ってぐいぐい攻めてくるタイプ。だけどプライドがエベレスト級に高くて、ゲームの後半になってやっと主人公によって性格が少し矯正される。うわ、面倒くさ…)
もういっそのこと、乙女ゲームの主人公を血眼になって探しだして、王子とくっつけるか。主人公はパーティーには…来てないよねぇ。ゲームではそんな情報なかったし。
(よし、取り敢えずは目立たず王子の目に止まらない作戦で行こう。イザベラが王子と婚約することになったのは、家柄が良かったことと、彼女が王子に一目惚れをしてアタックしたから。じゃあ、アタックしなければオッケー…なはず)
そうこうしている内に馬車が止まって、城についた。優雅な仕草で馬車を下り、父のエスコートで会場へと入っていく。
場所について、すぐに王子が誰なのかが分かった。蜂蜜色の金髪と綺麗なセルリアンブルーの双眼という美貌は、こんな大勢の中でもよく目立った。
「彼がアルフレッド殿下だ。あとで挨拶をしておきなさい。決して粗相のないように」
そう言うと父親は仕事の話があるからと、離れていった。一人取り残される私。一応初めての社交場なんだけど。勝手が分からない子供を放り出しますかね?普通。
誰が王子に挨拶なんかするか、ボケェ。と心の中で盛大に悪態をつき、私は飲み物を取りに端に移動する。こういうパーティーでは食べ物も用意されているが、美味しそうだからと食べ物にありつくのは、はしたないとされている。普通は飲み物を飲むくらいだ。
じゃあ、この美味そうな料理たちはそのまま廃棄処分されるのか。すごい食品ロスだな。そんなことを考えつつ、飲み物を選んでいた時だった。
「綺麗な赤髪だな」
隣から突然声をかけられたと思ったら、ぐんっと髪を引っ張られた。
「アルフレッド殿下…」
いつの間にか王子が私の横に立っていた。私の腰まである長い髪の一房が彼の手にある。
「一人で何をしているのだ?」
「飲み物を選んでおります。見て分かりませんか?」
「女は集まってお喋りをするのだろう?どうして会話の輪に入らないのだ?」
私は会場を見渡す。令嬢たちはそれぞれ身分やグループごとに集まっていて、お喋りを楽しんでいる。普通は会場に入ってすぐにその輪に入り、社交界で孤立しないようにする者が多い。そのため、会話に混ざることもなく一人で行動していた私が珍しかったのだろう。
(しまった。目立たないようにするには、他の人と同じようにした方が良かったか)
後悔するが既に遅い。
「令嬢といっても、色々な方がおります。私は人付き合いが得意ではありませんので」
「なるほど。アンダーソン家の娘か?」
「失礼致しました。イザベラ・アンダーソンと申します。挨拶が遅れてしまい申し訳ありません。アルフレッド殿下」
本当は挨拶もせずに、面識がないまま帰りたかったんですけどね。そんな本音はどうにか呑み込む。
王子はうむ、と頷いた。
「…私に用事でも?」
挨拶を終えても、王子は立ち去る素振りがない。ここにいても何も面白いことなんてないだろうに。何をしているのだろう。
「いや、お前に少し興味が湧いてな。丁度他の者たちとの会話に飽きていたところだ。少し話に付き合え」
(何だって?私は主人公じゃないんですけど。貴方が興味持つのは主人公だけですよね?ね?悪役令嬢が気になるって気でも狂ったんですか?医者呼びます?)
というか、いつまで髪を持っているつもりなんだろう。王子だからって何でも許されるとか思っていないよね?確かに貴方はイケメンですけど、私の好みじゃないんです。私は俺様系よりも可愛い系が好みなんです。この乙女ゲームを前世でやってた時も、可愛い系担当のキャラを優先的に攻略しようとしてたんです。
だから、さっさと私の興味なんて失くなってくれ!私は平穏な日々を過ごしたいんだ!!
◆◆
人生とは上手くいかぬものである。世の中とはままならぬものである。会場を連れ出され、いつの間にか城の庭で王子と二人きりというシチュエーション。そんな絶望的な状況で、私はそう思っていた。
「お前は無口だな」
「…そうでしょうか?」
「あぁ。他の令嬢ならば俺と話せると聞くと、嬉しそうにして話し出す。しかも話し出したらなかなか止まらん」
「そのような可愛いらしい方がお好みなのでしたら、今からでも戻って誘ってみてはいかがです?きっと王子がそう仰れば、どの方も望みを叶えてくださると思います」
「いや、彼女たちはいい。俺はお前と話したいと思ったんだからな」
もう何回も似たような会話を繰り返している気がする。何なのだろう。彼の考えが読めない。確かに王子である彼に媚を売らない女の子が珍しいのは分かるが、そろそろ解放して欲しい。
「そのドレスも似合っている。髪と同じ深紅のドレス、まるでお前のためだけに存在しているようなドレスだ」
「はぁ…」
王子様や、言う相手を間違えてはおりませんかね?貴方、ゲームの中じゃイザベラに塩対応だったじゃないか。しかも主人公を苛めていたイザベラの断罪イベントでは、「私のことを愛していたのではないのですか?!」と言う彼女に、「お前のことを?笑わせるな。ずっと鬱陶しい女だと思っていた」って言うんだ。
なのに、今の状況は何?チャラ男?チャラ男なのか?女好きなのか?そりゃあ、イザベラも勘違いするわ。こんなこと誰にでも言ってたら、私のことを愛しているのかも?って勘違いするわ。
私はしないけど。
「イザベラ」
「はい?」
「俺と婚約してくれないか?」
「あ、お断りです」
「え?」
「え?」
あ、やばい。考え事をしてたら、王子の話をちゃんと聞いていなかった。なんかさらっと婚約のこととか言われたけど、断ってしまった。まぁいいか。婚約したくないし。婚約しなかったら、主人公にも絡まれないよね。
しかし、そんな考えは目の前の王子の顔を見て吹き飛んだ。
泣いていた。誰が?王子が。アルフレッド王子が、その瞳からポロポロと涙をこぼしていた。
「…即答するほど、"僕"との婚約が嫌なの?」
誰だ、お前。思わずそんな言葉が出かかった。
「え?あの、殿下?」
「うっ…うう…」
「どうして泣いていらっしゃるのですか?あと一人称が変わっているように聞こえたのですが…」
「ううう…」
王子はなかなか泣き止まず、しまいにはしゃっくりまでし始めた。私は何がなんだか分からなかったが、流石に王子といっても見た目はまだ子供である彼を放っておくことはできず、頑張って王子を落ち着かせようとした。
漸く、まだ目は潤んでいるものの落ち着き始めた王子に私は尋ねる。
「えっと、ご説明を頂いても?」
「あぁ、うん。ごめん。急に僕の態度が変わったから君も困ったよね」
聞き間違いじゃない。"俺"が"僕"に、"お前"が"君"になって、言葉遣いが変わっている。
「僕はこっちが素なんだ。さっきまでのは王子としてなめられないための演技でね。パーティーでずっと気を張っていた上に、君がすごく簡単に王子の婚約を断るからびっくりしちゃって」
ごめんね?驚かせたよね?と首を傾げつつ、申し訳ないとふにゃりとした顔をする。…少し、可愛いと思ってしまった。
「普通王子との婚約ってなると、利点が多くてまず断られないからさ。そんな利点なんてどうでもいいくらい、君は僕のこと嫌いなのかなって思って…。ごめんね。髪とか触られるの嫌だったよね。僕、ああいうやり方しか知らなくて…他の子なら喜んでくれたんだけど君が嫌だったなら謝るよ」
「あぁ…はい…」
「それで…できればなんだけど。僕の性格のことは言わないでくれるかな?次期王がこんなんじゃ皆も不安になるもの。城でも両親と家庭教師くらいしか知らない秘密なんだ…」
先ほどまでの威圧的な態度が嘘のように、王子は自信無さそうにちらちらと上目遣いでこちらの様子を伺ってくる。
「どうしよう…」
「え?な、何が?また僕、君の機嫌を損ねるようなこと言っちゃった?」
「超、ドストライク…」
怯えたようにビクビクしながら、小声で話す王子。ぶっちゃけ、好み。私の性癖にクリーンヒットしているのだ。胸が高鳴る。可愛い。乙女ゲームの可愛い担当キャラは可愛かったけどあざとくて、あんまり好みではなかったんだけど、王子のこれは素だ。素の、天然の可愛さ。子犬系、弟系美少年。
「ど、どすとらいく?って何?」
「あ、大丈夫です。殿下は知らなくていい言葉ですよ。それどころか今すぐ忘れてください。純真無垢な殿下の記憶に留めるなど躊躇われるような穢らわしい言葉なので」
「け、穢らわしいの…?」
「私のようなオタクが発する、最大限の誉め言葉の一つですが、殿下は覚える必要はありません」
「お、おたく…?」
「それも忘れてください」
なんと言うことだ。これがギャップ萌えというやつか。いや、違うな。王子の前までの態度は彼が立場に相応しいように必死に演じていた演技なのだ。どうにか皆の望む王子になろうと。なんと健気なのだろう。鼻血が出そう。
私は口元と一緒に鼻を覆い隠す。私の鼻血などで王子の目を汚す訳にはいかない。しかし、その仕草を彼は具合が悪いと思ったようで、更に心配そうな目を向けてくる。
「殿下。…婚約しましょう。貴方が心から愛する人を見つけるまで、私がお側にいてお守り致します」
取り敢えずまずは主人公が現れるまで、この天使を野心溢れる他の令嬢どもから守らねば。
◆◆
数年間、私は婚約者として王子の隣で彼を支えた。彼は努力家だった。皆の望む次期王としての相応しい人物になろうと、血の滲むような努力をしていた。そして、私は前世の記憶まで駆使して彼の手助けをした。
「好きな人がいるんだ。彼女に相応しい男になりたい。彼女を守れるようになりたい。…イザベラ、力を貸してくれる?」
十五歳になった時、そう言われた。
気弱な性格を直したいのだと言う彼の言葉にも、私は力強く頷いた。正直に言うと私としてはそのままでいて欲しかったのだけど、現状のままでいいと彼は思っていない。妥協を許さず、甘えず、一心に目標に向かって努力する彼を応援しようと決めた。
「はい!腕立て伏せ、あと九十九回です!」
「うう…腕が上がらないよう…」
「駄目ですよ!剣を振るうにはまず筋力。筋トレです!!」
「でもイザベラが教えてくれたこの方法…剣の師範も知らな…」
「はいはいはい!喋ってないで、手を動かしてください!想い人に釣り合うような男性になりたいのでしょう?」
アンダーソン家の令嬢として恥ずかしくないように、と厳しく教えられた知識や教養も意外と役に立った。勉強も王子に教えるためという目標ができればやる気も起きるもので、父に与えられた課題も喜んでこなした。
ちなみに、勉強させられるという受け身の姿勢から、勉強しようという能動的な姿勢になったことを父も分かったのか、親子の仲が少し改善した。
婚約者として姉のような存在として、私は王子の味方であり続け、教えて導く側であり続けた。
彼が好きになった人というのはきっと、乙女ゲームの主人公のことで間違いはないだろう。品行方正。どんな人にも優しく、慈愛に満ちた笑顔を浮かべていて、大切な人のためならば時には強くなれる人。
ゲーム通りの性格ならば、主人公はきっと彼に似合う素敵な女の子だろう。王子はゲームとは性格が少し違うが、魅力的な人だ。きっと彼女も惹かれるに違いない。
とても嬉しいことのはずなのに…少し寂しいと思ってしまうのは。手を掛けていた弟が一人立ちしようとしていることを複雑に思う姉心だろうか。
十八歳。私と彼は十八歳になった。ゲームでは主人公が攻略対象から告白をされる歳だ。いつものように城に呼ばれて、庭につくと彼は大輪の薔薇の花束を持っていた。
あぁ、これから告白をしに行くのか。私はその最後の後押しをする人として選ばれたのだろう。
王子は背が伸びた。初対面の時はほとんど同じ身長だったのに、今では私が見上げなくてはならない。すらりと伸びる、ほどよく筋肉のついた長い手足。蜂蜜色の綺麗な金髪がさらさらと風に揺れている。顔立ちからは幼さが抜けて、少年から凛々しい青年へと変わろうとしていた。
「貴方ならきっと相手も愛してくれるわ。だってその人のためにずっと努力してきたのだもの。貴方の努力は私がよく知っている。大丈夫。きっと大丈夫よ。アルフレッド殿下。…行ってらっしゃい」
きっと今の私は、今までで一番優しい笑みを浮かべられているだろう。誇らしかった。ここまで努力した彼が今、夢を、恋を叶えようとしている。絶対に成功するという確信が私にはあった。
…だって、彼はこんなにも素敵なのだから。弱さと優しさ、そして強さも身につけた。ここまで素敵な男性がこの世界に他にいるだろうか?
「ありがとう、イザベラ。君がいてくれたから、僕はここまで頑張ってこれたんだ」
王子は、はにかむように笑った。気恥ずかしいのか、顔が少し赤くなっていた。
「この深紅の薔薇は九十九本ある。意味は『永遠の愛、ずっと好きだった』。僕の告白にはぴったりだと思うんだ。だからこれをあげようと思って」
だからね、イザベラ―――――――。
王子はその九十九本の薔薇の花束を私に差し出した。
「だからね、もらってくれるかい?イザベラ。僕の愛しい人。深紅が誰よりも似合う、僕の大切な人」