街に行こう《前半》
再びリジェ王視点です。
仕事を終えた私は、馬車に向かう。雨乞い師と街に行くためだ。
別に他の者を護衛として行かせても良かった。しかし、何故だか自らが同行したいと思った。
雨乞い師のこととなるといつも自分は妙な行動をとってしまう。
シモンのこともそうだ。こんな他愛ないことで殺意を抱いたのは久しぶりだった。何故あいつが雨乞い師の名を呼び、笑顔を向けられるのか。
(私でさえ叶わぬのに)
ふと、気づく。
(これは支配欲……なのだろうか)
初めての感情だ。
そういえば、昔、アルノーに別の友人が出来た時の感情に似ている気がする。そうすると、支配欲とはまた違う気がするが、何と呼ぶのかまだピンとこない。
「陛下が雨乞い師様とデートされるとは思いませんでした」
「デ……?」
思いがけない言葉に思考が停止する。
デートとは、随分俗世的な言葉だ。幼馴染からこんな言葉が出るとは。
「デートとはお互いを好ましく思っている男女が一緒に出かけることだろう」
「雨乞い師様も最初に比べれば随分と陛下とお話できるようになったと思いますが」
それはどうだろう。私が行くと言った瞬間の雨乞い師の表情を思うと、決して喜んでいるとは言い難かった。
「それにしても。陛下も今朝の新聞をご覧になったでしょう? 本当に出掛けてよろしいので?」
巫山戯た顔をしていたアルノーは顔を引き締めた。今朝の新聞の一面には、雨乞い師が行方不明なったと大々的に出ていた。ついにヘリオスの王が動いたのだろう。情報を開示すれば、国民に不安を与えることにもなりかね無いが、なりふり構ってもいられないのだろう。
「問題ない。追放したのはヘリオスの王族なのだから。私が誰といようが問題なかろう?」
「はぁ。出来れば国家間の摩擦は最小限でお願いしますね。処理するこちらの身にもなって頂きたいです」
「お前が優秀だから、私は好き勝手振る舞えるんだ」
「また、そういう事をおっしゃる」
呆れ声になった幼馴染の声に、フンと鼻で笑い応える。
「それより、例の件は進めたか?」
「はい。各検問所に通達しました」
「そうか。必ず生け捕りにしろ」
「御意」
私達が玄関を出ると、馬車の前で雨乞い師とシモンが待っていた。
「早く行きましょう」
雨乞い師が満面の笑みで私を迎えた。雨乞い師は、リジェ国のドレスを着ている。黄色の生地に黒いレースやリボンをたっぷりあしらったドレス。頭には顔半分を隠せる黒いベールのついたヘッドドレスを着けている。見た目はすっかりリジェ国の上級貴族だ。これで、日傘をさせば、もう顔など見えないし、覗き込んだりすれば大変なマナー違反になる。貴人相手にも商いを行なっている商人達にその様な無礼者はいまい。
「念のため、変装して頂きました。ご容赦ください」
アルノーが言う。雨乞い師も余計なことに巻き込まれるくらいならと、了承したようだ。以前、破落戸に襲われたことは記憶に新しい。
私とアルノー、シモン、それと雨乞い師で馬車に乗り込む。
「万が一、騒ぎになったら直ぐに館へと戻る」
「わかりました」
雨乞い師は頷く。
「しかし、それでは陛下が『雨乞い師』と私を呼ぶのは良くないのではないでしょうか」
「……」
尤もな指摘に私は口を噤んだ。
アルノーは、確かにと言って「それでは、私はドロシー様と呼ばせて頂きます」と続けた。
「ほら、陛下も」
「……。雨乞い師と呼ばない様気を付けよう」
アルノーは私を見てため息を吐いた。
あんなに人に雨乞い師の名を呼ばれると苛つくのに、自分が呼ぶのは何故か躊躇われた。
「私は街中で陛下と呼んで良いのでしょうか?」
雨乞い師の問いにはシモンが答えた。
「陛下もお忍びで来ているので、身分を隠して頂きたいです。私共はこういった時は、アレクシス様とお名前で呼んでいるのですが……」
シモンは私の方を見る。
「それでいい」
「わかりましたわ。アレクシス様」
雨乞い師が私を呼ぶ。それだけで激しい動悸がした。
とても平常心では居られず、手で口元を隠し窓の外を見た。他にも私の名を呼んだ女は幾人もいた。何故この女にだけこんなに心乱されるのか。
隣でアルノーが笑いを堪えている気がするが、今は気付かない振りをしてやることにする。
「それで、満月葉は何処の店で売ってるのですか?」
シモンが尋ねると雨乞い師はキョトンとする。
「さぁ?」
「知らぬのか?」
「私が街に下りたのは公式行事の時だけでしたし、葉は城に直接届いたので」
私が馬車の壁をトントンと叩くと馬車は止まった。
「帰るぞ」
「ま、待ってください。もう街のメインストリートは直ぐそこではないですか。せめて私をここで降ろして下さい」
「私は忙しい。それにお前を長時間街でうろうろさせるつもりは無い」
「半刻!半刻だけどうかお願いします。薬草店に行けばきっとあるはずなんです」
雨乞い師は私を見上げ嘆願する。潤んだその瞳から目を逸らせないのは何故だろうか。
「四半刻だ。それ以上はダメだ」
きっぱり言い切ると、雨乞い師は項垂れながらも納得した。
「うっ……。わかりました」
再び動き出した馬車がメインストリートの手前で止まる。この通りには沢山の商店が立ち並び、貴族の姿も散見された。
「陛下が一度決めたことを覆すなんて、珍しいこともあるのですね」
アルノーが小声で私を茶化す。
「別に理由はない。只の気まぐれだ」
「その気まぐれを起こした理由が大事なのですけどね」
やけに楽しそうなアルノーを睨むと、同時に馬車のドアが開いた。
雨乞い師は勢いよく飛び出し、シモンがその後を追う。
その時、雨乞い師が、初日に逃げ出そうとした事が頭に過ぎった。急いで馬車を出ると、雨乞い師は「早くして下さい」とうずうずしながら私達を待っていた。
胸を撫で下ろし、雨乞い師の横に立つ。
この通りは雨乞い師と出会った場所だ。相変わらずの人混みで、入っていくにも躊躇する。しかし、雨乞い師は1人進んでいこうとしていた。こんな所で見失っては探すのも一苦労だ。
私は咄嗟に雨乞い師の腕を掴んだ。
「1人で行くな」
「だって四半刻しか無いんですよ!」
どうやらこの女には薬草店しか頭に無いらしい。
「あの店から行きましょう?」
雨乞い師は私の手を振り払うことは、しなかった。それどころかそのまま私を引っ張るように、人をかきわけ進んで行く。
女に引きずられて歩くなど、屈辱的な筈なのに、何故かこの女の気の済むようにしてやろうと、そう思った。