脱走
「私と共にリジェへこい」
「え……」
私は大使館に着いた後、直ぐに応接室に通された。
ソファに座り、彼が放った第一声がそれだった。
(一緒に?この怖い人と?)
無理!絶対無理!
「あの!それは私が雨乞い師だからでしょうか」
「当たり前だろう。他に何がある」
鋭い瞳で睨まれ、私は小さくなる。
そこに、軍服を着た男性がお茶を持って現れた。その柔和な雰囲気を持つ男はモノクルをかけた長い長髪を襟足の位置で一つに結んでいる。
「陛下、それは女性をお誘いする時の言葉ではありませんよ」
モノクルの男は紅茶を配膳しながら黒髪の男を諌めた。
「……」
「へ、陛下?」
間抜けな声が出たが仕方がない。だって陛下ってあれよね?王様よね?
「そんなこともお話になってないのですか?」
「……必要か?」
私はサァーっと顔が青ざめていくのを感じる。
隣国は、確か去年新王が立ったばかりだ。兄弟やそれを後援する貴族達を皆殺しにした残虐な王だと、メイドが話していたのを聞いた気がする。
(断っていいのかな?私殺されない?)
「あの」
蚊の鳴くような声を出すと、ギロリと睨まれた。怖いけど、ここで勇気を出さなければ、本当に連れていかれてしまう。
「私、あの、リジェには行けないです」
「何が不服なんだ」
貴方が怖いからです。とは口が裂けても言えない。
「あの、えっと……」
涙で目の前が霞む。私を値踏みする様に見る王が怖い。
それを見かねたのだろう、モノクルの男が口を挟んだ。
「陛下、彼女に少し時間を与えてはどうでしょう?心の整理をする時間をあげた方が彼女も安心できるでしょう」
「私は気に入ったものは手に入れる。雨乞い師は絶対に連れて帰る」
(そんなこと言われても)
涙目の私を気にかけるでもなく王は立ち上がり、「雨乞い師」と私に声をかけた。
「私は7日後、城のパーティに招待されている。それが終わるまでに出立の準備をしておけ」
(無茶苦茶過ぎる)
どうしたら良いか分からず俯いていると、モノクルの男がにこりと笑い、私に目線を合わせる様にしゃがんだ。
「お部屋に案内いたしましょう」
「私、帰りたいんですが」
「どこかに荷物でもあるのでしょうか?兵に持って来させましょう。場所を教えて下さい」
荷物なんてない。私がいままで使っていた物は全部城の……国の物だ。私は国庫でこれまで生きてきた。私個人のものなど身につけているものだけで、帰る家も迎えてくれる人も居ない。私の実家は管理できる者がいない為、城に入る際売り払ってしまっている。
「そうではなくて……。私はリジェ国に行く気などないのです」
どうせ外国に行くならサリ国がいい。同じ雨乞い師に会って話をしてみたい。モノクルの男は困った様に笑みを浮かべる。
「私共は陛下のご意思に反することは出来ません。お疲れでしょう、まずはゆっくりしてください」
「……はい」
私はモノクルの男の後に続いて歩く。この男はアルノー・リーズベルトと名乗った。王の側近らしい。表情一つとっても柔らかなこの男は、王よりも随分話しやすい。
「陛下は何故ここに?招待があったなら普通城に行くのでは?」
「国際礼儀上、入国、入城は早くても、招待日の3日前です。今からだと早過ぎます。それに、この国に我が君が入った事はまだ伏せていますし」
「何故そんなに早くに?」
「陛下の御意思です」
「?」
アルノーの含み笑いに私が首を傾げていると、彼は足を止める。
「ここが雨乞い師様の部屋です。部屋の中の物はご自由にお使いください。何かご用命があれば机の上のベルを鳴らして下さいませ」
アルノーは部屋のドアを開けて中を見せてくれる。
中は大層立派な客室になっていた。二部屋続きになっており、奥の部屋に寝室があるようだ。少しだが女性が好む調度品が飾られている。
「急ぎ用意しましたので、お好みに合わなければ申し訳ありません。城に着くまでに、お好きな様式を申し付け下さいね」
「はぁ……」
どうやら想像よりずっと私は良い扱いを受ける様だ。
でも、こんな所にはいられない。いつ殺されるかわかったものじゃ無い。
(暗くなったら抜け出そう)
クローゼットを開くと、そこにはリジェ国の女性用のドレスが沢山入っていた。
私に似合いそうな色のドレスが多い。瞳の色と一緒の紫色、プラチナの髪に会う水色。
(こんな短時間で用意出来るなんて)
もともと、大使館に用意されていたドレスだろう。それでも用意の早さから、大使館で働く人間の優秀さが伺える。
ドレスのデザインを1着1着見てみる。
実は私はこの様なドレスを着たことがなかった。役職を示す為、この舞の衣装を着用していたし、夜会やパーティにも出席することを禁じられていたからだ。
ベルを鳴らしメイドを呼び、一番動きやすそうなラベンダー色のドレスを着せて貰う。
これは私の胸を大いにときめかせた。
ずっと憧れていたドレス!これで外に出て行っても雨乞い師だとすぐに気づかれることは無いだろう。
着る際に一度外したアクセサリーを1つずつ身につけていく。品を手に取る度、ジョシュア殿下との思い出が頭によぎる。
(これは10歳の誕生日に貰ったネックレス。これは12歳の時に貰ったイヤリング……)
身につけているアクセサリーは全て殿下から賜ったものだった。
胸が痛む。
これらは私の誕生日に宮に送られてきたものだ。直接渡されたことはない。
渋々贈ったのだろう。
それでも、殿下に頂けた、ということがどれだけ嬉しかっただろうか。望まれなくともいつかは妻になれると、どれだけ希望を持っただろうか。
私は首を振り、思考を打ち切る。
こうなっては、もう甘えたことは言ってられない。感傷に浸っている暇などないのだ。今は兎に角この場所から逃げ出さなくては。
(部屋の前には兵がいた。ここは3階だけど、窓から出るしかないわね)
私がカーテンや布団のシーツをチェックし、逃走の算段をつけているとドアがノックされ、思わず飛び上がる。
悪いこと、駄目だと言われたことをやった事がない私にとっては、こんなことでも罪悪感がある。
ドアの向こうから、晩餐の用意が出来た、とメイドの声が聞こえた。
兵によって半ば強制的に部屋から連れ出された私は、10人ほど座れそうな大きな机があるダイニングルームに通される。
上座には、王が座っていた。
(また、この人と顔を合わせるのか)
私は王の向かいに案内され、席に座る。彼は私を見て眉をひそめた。
「雨乞い師の服はどうした?」
「ドレスが用意されていたので、着替えてもいいのかと思いました。いけませんでしたか?」
「好きにしろ」
王はそう言って運ばれてきたワインに手をつける。
特に会話もなく黙々と食べ、気まずい時間が続く。
(何この地獄みたいな時間……)
ここでマナーでも間違えれば私の首なんて吹っ飛ぶのだろうか。
緊張しながら食べる食事は全く味がしなかった。
デザートまで食べ終わり、自室に戻ると私は逃げ出す決意を固める。こんな所からは一刻も早く逃げ出したい。
シーツやカーテンなど大きい布を結び一本の長い紐を作る。このドレスも着て行こう。雨乞い師の衣装を着て街中をうろうろ出来ないことは今日よくわかった。
(誘拐されたようなものだし、ドレスくらい貰っても良いよね)
決行は、皆が寝ているであろう朝方だ。
眠いながらも時が進むのを静かに待つ。窓の外をチェックしていたが見回りの兵も殆どいない。
(そろそろ頃合いかしら)
日が登るまで後数刻。私は覚悟を決め3階の窓から自作の紐を垂らし、下まで降りる。
(大丈夫、大丈夫)
そろそろと慎重に降り、無事に地上に足がついた。後は目の前の塀をこえるだけだ。大使館を囲う塀は2メートル程しかない。しかし、そのままではとっかかりが無くて流石に登れない。私は塀の側に生えていた木に恐る恐る登り、塀の頂上にに手をかけた。その時だった。魔法陣が手元にいくつも浮かび上がったのは。
「何よ、これ」
嫌な予感がした時には遅かった。大音量の警報が大使館中に鳴り響き、私は結界の様なものに阻まれ弾かれると、地面に落ちた。
(うわぁ、やばい)
打ち付けた体の痛みを堪えていると、何人もの兵があっという間に集まり、私は囲まれてしまった。
「お仕事の邪魔をしてしまってごめんなさい。散歩していたら、つい塀に触れてしまったの。お気になさらず」
兵士は私に気づいたようで、困ったように互いの顔を見合わせている。私が、ほほほ〜と笑って立ち去ろうとした時、低く響く声が背後から聞こえた。
「雨乞い師」
びくっと肩が震える。
恐る恐る振り返ると、そこに居たのはローブに上着を羽織った姿のリジェ王が居た。
(あ、駄目だ。私死んだ)
走馬灯が駆け巡る。
「ここを出ようとしたのか?」
頭の上から冷たい声が降ってくる。
(どうすれば、どうすれば正解なの?)
血の気が引く。
「いいえ、いいえ。申し訳ありません。たまたま塀に手が……当たって」
王は私をじっと見つめる。明らかな嘘だ。術式は塀の上に張ってあった。たまたま当たる場所では無い。
「そうか」
王は眉間の皺を深くしたものの、その素ぶりから私に害を与える様子は見受けられない。
私は目からポロポロと大粒の涙が溢れる。
「何故泣く?」
「私は殺されずに済むのでしょうか……」
「何故殺す必要がある」
王は少し面食らった様な顔になる。初めて私に人間らしい表情を見せた。
リジェ王はしゃがみ、私の目を見た。
「私はお前に剣は向けない」
「本当ですか?」
「お前を殺して私になんの得がある」
気にいらないものは全部叩っ斬っていくのかと思いました。とは言えない。
目の前のこの人は、怖くて無表情だけれど、私に何が危害を与える様子はない。思ったよりも話が通じる……?
王は、立ち上がる。
「部屋まで送ろう」
その横顔に私は罪悪感に苛まれる。嘘をついたのに咎められなかったからだ。
「お、お待ち下さい」
王は立ち止まり、私の言葉を待った。
「本当は私、陛下が怖くって……。それで逃げ出そうと、思ったのです。申し訳ありませんでした」
勇気を出して告げる。すると、周りにいた兵がギョッとして私を見、異様な緊張感がこの場を包んだ。生唾をゴクリとのんで私を憐れみの目で見るものさえいる。
(あれ? ……失敗した?)
しかし、王は鋭い目で私を見ただけで、館の入り口へと歩いていった。
王が何もアクションを起こさないことに兵が騒つく。やはり、先程のは失言だったみたいだ。それでも王は私に怒ったりはしなかった。そのことに少しの安心感を覚える。
殺すつもりは無いってことは信じても良いのかもしれない。
私はこれ以上の不興を買わない様に、素直に彼の後をついて自分の部屋へと戻った。