多くの雨乞い師
私は窓に手を添える。辺り一面はもう暗闇に染まり松明の灯りだけが温かく灯っている。随分と日が落ちるのが早くなった。はあっと息を吐けば、そろそろこの窓が曇る時期になる。私が今いるのはヘリオス国の王族の居住区だ。以前住んでいた後宮の月宮ではなく王族の宮である葵宮へと移り住み、世話になっている。
「雨乞い師様、今日は特に冷えます。ココアでも如何ですか?」
「ええ、頂くわ」
城の侍女が私の世話を焼く。以前私の宮に仕えていた侍女達だ。ジョシュア殿下により、ばらばらに配置されていた私の侍女達を陛下が集め、再び私の元に配置させた。ただ、私と一番仲の良かったメアリーだけは、合わす顔がないからと辞退しそのまま侍女の職も辞めてしまったと聞いた。ジョシュア殿下の嘘を信じてしまったのは私も一緒だ、彼女を責めるつもりはなかった。そう手紙にしたため送ったが、自身がどうしても許せないとのことで、今は手紙だけのやりとりが続いている。
手紙といえば、アレクシス様とも手紙のやりとりを行っていた。その日何をしたか、アルノーがどの様に煩かったか、シモンが早くヘリオス国に行きたがってうっとおしい、と他愛無い内容の話を沢山書いてくれた。一度だけ報告として、セシールを含む偽の雨乞い師騒動を仕組んだ人々の件について書き込まれた手紙もあった。彼らは外国人を雇用することに抵抗のないヘリオス国の内部に易々と潜り込むことが出来たそうだ。最初はバンと名乗る青年が兵士として。そして次々に功績を立てていき遂にはジョシュア殿下の側近まで上り詰めたという。ジョシュア殿下を騙し、私を追放した後は夜を待ち顔を隠しながらもセシール共々正門から堂々と出て行ったそうだ。まさか、隣国のリジェ大国がこの件に介入してくるとは思わず、あえなく御用となった。この件に関しては、我が国も反省すべきことが多いにある。
首謀者に関しては一切わからなかった。とかげの尻尾切りというのだろうか、セシール達の話から情報を知っているであろうサリ国の人間に辿り着くも、皆殺害されていたそうだ。アレクシス様の見立てでは、サリ国の上位貴族……もしかしたら王族が関与しヘリオス国を支配しようとしていたのではということだった。
しかし、そんな手紙の数々を受け取ったのはもう1月も前になる。私の出した手紙を最後にアレクシス様からの手紙は来ていない。
侍女にココアを持たされ、私は再び窓の外を見つめる。心細い私の心を表す様に、星々を隠す厚い雲がかかっている。
一声でいいの。彼の声が聞きたい。
そう思っても彼は遥か先にいる。
早く時が過ぎてしまえばいいのに。
遠くの場所に雨を降らせるという練習も、雨を降らす為に必要な高価な葉《満月葉》が必要なので思うように出来ない。唯一満月の夜だけ思うままに練習出来るが未だに上手くコントロールが出来ないままった。ままならない現状に鬱々とした気分を抱え、ココアのカップをぎゅっと強く握る。
(どうかまた、あの時の様に優しく背を押して欲しい)
指先はじんわり温もりを取り戻すが、心まで温めてくれることは終ぞなかった。
それからまたいくつか日が経った晴れの日、私は庭園にある温室でのんびりと読書をしながら午後を過ごしていた。城の中なら自由に歩き回れる様になった私は度々ここでこうして過ごしている。王族用のこの温室は美しい花々が咲き誇り柔らかい陽射しが気持ちいい。誰に邪魔されることもない私のお気に入りの場所だった。
こればかりは王族になれて良かったと思ってしまう。
少し休憩を、と本を置いた時だった。何者かが温室のドアを開けどきりと肩が揺れた。陛下や王妃殿下は今職務中だった。兵が私に用を持ってくるならばノックくらいするはず。
「おや、ここは温室になっているんだ」
わざとらしく声を出したのは20代半ば程の若い男だった。白く豪華な服は身分の高さを表している。そういえば、ジョシュア殿下は王太子の位を剥奪されてしまっていた。新たな王太子を選ぶ為、今城には傍系王族の令息達が足を運んでいると聞いた。ジョシュア殿下含め王としての資質を計り王太子を決め直すのだという。
彼はその中の一人だろうと推察する。立入禁止区域は予め伝えてあるはずだ。何故ここに。
「やや。貴女は雨乞い師様ではありませんか!?まさか、貴女様にお目通りかなうなどなんと幸運なことか」
オーバーに喜び、私の方にやってくる彼に不快感を禁じ得ない。
(この人、全て承知の上でここに来たのね)
「突然なんですか。無礼でございます。下がってくださいませ。ここは王族専用の温室です、ドロシー様と謁見したければ正式な手続きを踏んで……」
「黙れ」
突然現れた男は侍女の制止に圧力を込めて睨むと、私の足元に膝をついた。この男は私のことを《王族のドロシー》ではなくあくまで《雨乞い師》と見ているように思う。
「それで。この様な無粋な真似までして私の元に来た目的は何でしょうか」
「いえ。偶然ここに立ち寄ったのです。それは雨乞い師様のことをずっと考えていたからに違いありません。貴女に会えたのは神のお導きでしょう」
何の用件で来たのかまるで分からない。
「そうでしたか。私はこの後も忙しいのです。お引取り下さいませ」
「そういう訳には参りません。貴女様が今どの様な気持ちでいらっしゃるかと思うだけで、私の胸は張り裂けそうなのです」
アレクシス様の迎えが来ないことを言っているのだろうか。それであればとんだ勘違いだ。多少寂しくはあっても、元々時間がかかるのは承知の上であり、どんなに遅れようとも私は彼を信じている。
私が表情を崩さないのが、予定外だったのだろう。男は少し焦れた様に本題を話した。
「まさか、瓜の日のパーティをめちゃくちゃにした彼の王が、他国の姫と婚約を結ぶとは」
一瞬反応してしまった自分が恨めしい。そんなはずは無いと否定したい衝動を抑え、この男の戯言を私は無視する。しかし、私の一瞬の動揺を見抜いた男は口元の広角を上げ言葉を続けた。
「もうこの国中の皆が知っています」
「アイザック様!!」
私の侍女が男を制す様に名を呼んだ。下唇を噛む侍女の様子に私の心音は速くなる。
「その話はあなたも聞いたの?」
私が侍女に話しかけると侍女は「はい」と気まずそうに肯定した。婚約はどちらかに破談の意思があれば、反故にすることは簡単だ。普通両名に傷が付く為気軽にやることはしないが。最悪、ジョシュア殿下の様にサインした本人が婚約書を破れば無効になる。実際、書類はリジェ国に保管する為、アレクシス様が持っている。
アイザックと呼ばれた男は自分の想像通りに反応した私に喜びの表情を浮かべ、再び口を開いた。
「私なら貴女を不安にさせた挙句、裏切る様な真似は致しません」
この男の魂胆が見えて、私は深く息を吐いた。
「私はリジェ王を何があっても信じると、待つと、そう決めております」
私が拒絶の意味を込めて彼に言うと、アイザックはにやりと笑った。
「永遠に訪れぬ者を待って何になりましょう。私を選べば貴女はこの国の王妃を確約されるでしょう。永遠に来ない大国の王妃の座と、確実に叶えられる慣れ親しんだ我が国の王妃の座。どちらが有益か聡明な貴女なら分かるはずです」
この男は、自分一人では王太子の座を掴めないと踏んで私を取り込もうとしているだけだ。
(例えアレクシス様の婚約が本当だったとして、それが一体なんだと言うのだろう)
「私の望みが権力だとするならば、どうしてパートナーに愚かしい者を選んだりするでしょうか」
明らかに貶められたアイザックは敵意を露わにした。相当にプライドが高い様だ。
(私はアレクシス様から何も話をされていない。彼がこんないい加減な行動をするはずが無い)
「舐めた口を利くな、平民風情が。雨乞いの力が無ければ何の価値もない傷物の女の癖に」
傷物と呼ぶのは婚約破棄をされた女性に使う侮蔑である。直接言われた私よりも侍女の方が我慢ならないといった目でアイザックを睨んだ。
確かに好ましい人物ではないが、相手にすべき男でもない。サウザー陛下に後で報告すればいい。
「貴方のお話は十分理解しました。どうぞお帰りください」
私の歯牙にもかけない言い様に、膝をついていたアイザックは憤って立ち上がった。座っている私に対して、彼が私を見下ろす格好となる。無礼だ、と思うよりも何をされるかわからない恐怖が私を椅子に縛り付けた。
その瞬間、彼の背にあった温室のドアが開く。アイザックが振り返るよりも早く新しい訪問者は彼の頭を掴み締め上げた。アイザックの短い呻き声が上がるが、私はその人物に目が釘付けになった。
何故ここに?という疑問より、わたしの頭は彼に会えた嬉しさでいっぱいだった。思わずポロリと涙が零れ落ちた。
訪問者は眉間の皺を深くしアイザックの頭を万力の様に締め上げていく。
「私の婚約者を泣かせるとはいい度胸だ」
「こん……やく…しゃ? そんなはずは」
アイザックは何とか締め上げる手を振りほどき逃れると、真っ青な顔で訪問者の顔を見た。
「アレクシス・ルイス・リジェ」
呟く様に、自分に言い聞かせる様に、アイザックは訪問者の名を呼び、膝をついた。彼も貴族ならば瓜の日のパーティに来ていたはずだ。アレクシス様の顔を知っている。
「も、申し訳ございません。まさかいらっしゃるとは露知らず」
「私がいなければ、彼女をどうするつもりだったのか」
射殺す様な眼差しで、アレクシス様はアイザックを責める。
「彼女に危害を加えたサリ国の愚か者共の末路をお前は知らないらしい。私の婚約者に手を出すということはそういうことだ」
アイザックはガタガタと恐怖で歯を鳴らす。好き放題暮らしてきた貴族がいきなり命の危機に瀕したのだ、最早十分といえよう。
「アレクシス様、貴方のことをずっとお待ちしておりました」
私がドレスの裾を持って礼をすれば、アレクシス様はアイザックから視線を外し私を抱きしめた。
「何も、されてないな?」
「大丈夫です」
ーー貴方が来て下さったから。
私がアイザックと侍女に下がる様命じると彼は一目散にこの温室から飛び出していった。この一件はサウザー陛下に報告するので、彼の王太子候補の座は即座に取り消されるだろう。それだけで済んだことを感謝して欲しいくらいだ。
「どうしてここに?」
「ヘリオス王に場所を聞いたのだ」
どうやらサウザー陛下が、私を驚かせ様とアレクシス様を温室に案内したようだった。ここにいるということは、婚約者としてリジェ国が私を迎え入れる準備が出来たのだろうか。
「随分待たせたな」
「……寂しかったです」
私がアレクシス様の袖をきゅっと掴むと、アレクシス様は再び私を抱きしめた。
「済まない、予定外のことで時間を取られてしまった」
「他国の婚約者ってやつですか?」
アレクシス様は罰の悪い顔をして「知っていたか」と頷いた。
「私が城に戻ると、婚約者候補としてリジェの城内にトランジーヌ国の姫が来ていてな。その姫が、私が婚約したと知って自分のことだと勘違いしたのだ」
滞在中に「他国の姫との婚約」と話を聞けば、自分のことだと思うのは仕方ないことだ。問題は歓喜したその姫が勢いあまって自国の王にそれを報告してしまったことだろう。問題は拗れに拗れた。その国はリジェに引けを取らぬ大国で無視したり切り捨てたりすることも出来ず、姫も己の勘違いの恥ずかしさから自身の間違いを認めることをせず解決するため相当の苦労をした様だ。
その噂がきっと人が多く行き交うヘリオス国まで届いたのだろう。
私はホッと息を吐く。いくら信じていたとしても不安がなかったわけではない。
「なら、お手紙くらい下さっても……」
「すまない、忙しさから疎かになっていた。それにお前に無用な心配をかけたくなかった。まさか、ヘリオスまで我が国の問題が誤って伝わってるとは」
アレクシス様は素直にそう言った。通常業務に加え、私との婚約の根回しや準備、トランジーヌ国の姫との問題で忙殺されていたのだろう。これを知っては、手紙の返事が無かったことに恨み言など言えるはずもない。
「でも、こちらに来たということは全てが解決したのでしょう?」
アレクシス様は上着のポケットから、腕輪を取り出した。私の預けた腕輪には以前と違う紋章が描かれていた。大鷲と盾の紋章。リジェ国の紋章だ。
驚いてパッとアレクシス様の顔を見れば、彼は腕輪を私の腕に嵌める。
「私の妃になって欲しい」
《婚約者》ではなく《妃》。
息が止まる。
「私でよろしいのでしょうか」
「お前と一秒たりとも離れていられない。一々害虫を追い払うのも面倒だ」
私は苦笑して彼の温かな胸に体を預けた。
「愛しています、アレクシス様。どうか私を永遠にお側に置いて下さいませ」
こうして私はリジェの王妃として迎え入れられた。
王の愛妻ぶりは瞬く間に国中に広がり、数十年後にはリジェの王室から多くの雨乞い師が誕生した。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
活動報告の方に後書きっぽいものを掲載させて頂きました。




