私が一緒にいたいのは
ようやく絞り出せた言葉に泣きそうになる。城に帰った私は当たり前のようにジョシュア殿下と結婚をするのだろう。それがきっと皆んなが望む事だ。
少しの間を置いて、リジェ王は口を開いた。
「それがお前の本当の望みか?」
そんな訳ない。私は自由を、人の温かみを、アレクシス王のことをもう知ってしまった。ジョシュア殿下が好きだなんて、大きな勘違いだった。私はこの人しか同世代の男性を知らず、ただ恋に恋していただけだった。
ままごと遊びをする様に、私は婚約者の彼を好きだと、その役に入り込んでいただけなのかもしれない。
シモンもアルノーも、それに王も。ずっと「私」を人として大事に接してくれた。こんな優しい場所からどうして抜け出したいと思うだろう。
私が雨乞い師でなければ。
でなければ、私は国のことなど気にせず自由でいられたのに。
(……ううん、違うわ)
雨乞い師でよかったのだ。
(だって雲の上の存在である彼と会うことが出来たのだから)
きっと、もうこれで十分だ。私には過ぎた願いだ。喉の奥が熱くなる。ここで別れるなら挨拶をちゃんとしなくては。
「陛下」
「陛下」
私は震える声で彼を呼ぶ。涙が溢れないように、言葉を紡ぐのは難しくただ何度も王を呼んでしまった。
その時。
「お前の雨は少し距離があるだけで、届かなくなるものなのか」
私は王の言葉にハッとして顔を上げる。今の様に範囲を指定して雨を降らせる事は出来る。彼は、私に側にいればいいとそう言っているのだ。
「リジェ国から、雨を降らす?」
私は自分の新たな可能性に心が躍る。
(そんなことやってみようと思ったことはなかった)
王は頷く。
(だったら、私は)
ジョシュア王子は私の肩を掴んだ。
「出来るわけないだろ!どれだけ離れてると思ってるんだ!夢ばかり見てるんじゃ無い、自分のやるべきことを思い出せ」
そうかもしれない。でも。
「……でも! やってみなくちゃわからないではないですか!」
「ふざけるな。お前の思いつきで振り回していい問題じゃないんだぞ」
「それでも! 馬で3日の距離だもの。必ず私がこの国に居なくちゃいけない理由にはなりません。最悪国を行き来すればいいのだもの」
「そんな事が許されると思っているのか! 雨乞い師がこの国にいなければ国民は安心できない。それに、お前が戻って来なければ私がどうなると思ってるんだ!!」
ジョシュア殿下が熱くなればなるほど、私の頭は冷静に動く。殿下の言葉にはもう私を動かす力はない。
「私はもう自由です。何故私が貴方の尻拭いをしなければならないのですか?」
「私が心配だとは思わないのか!」
「別に……」
殿下は、私の冷めた目に気づき我に返った。
「そもそも、浮気して私を追放したのは殿下でしたよね?」
「それは……」
ついに、殿下は気まずそうに黙り込んでしまった。集まった観衆は驚きで殿下を見つめ、何も言わぬ彼に互いを見合った。民は公の場で、ジョシュア殿下を否定する事は言えない。しかし、彼に非があった事は明らかだった。
私はリジェ王を見る。きっとこの人に会わなければジョシュア殿下の言うことを信じ、喜んで城に帰っていたことだろう。私の視線に気がついた王は私の腰に手を回し自身の方へ引き寄せた。
「もう良いだろう。明後日のパーティ楽しみにしている」
「ま、待て!ドロシー。待ってくれ……!」
ジョシュア殿下の叫ぶ声が聞こえる。王はそれを気にも留めず、私の肩を抱いて、馬車に乗せた。
椅子に座ると、窓から見える国民が視界に入った。私は彼らの表情を見ることが出来ず、俯く。
「ヘリオス国民からは、裏切り者と罵られるかしら」
「それならば、もうこの国を守ってやる義理は無くなる。まぁ、この国の民がそんな恩知らずな連中には見えないがな」
「え?」
顔を上げると国の人が私に向かって笑顔で手を振っているのが見えた。
私はその姿に涙が溢れる。
「あれは今までお前ら一族が積み重ねてきたものだろう?」
「はい」
「信頼には応えろ」
「はい」
王は両手で私の頬を包み指で涙を拭ってくれた。
一見冷たい表情の中に、私を励ましてくれようとする優しさを感じる。
(あぁ。私はこの人の側に居たい)
私は頬に当てられた手に自分の手を重ねる。
「アレクシス様……」
王は私の顔を引き寄せ、自分の胸へと沈めた。
「わっ。どうしました?」
「私はお前を決して誰にも渡さない」
耳元で王は囁く。
彼の言葉が嬉しい。それが、世界で一人しかいない雨乞い師だからということはわかっていても。
「私は、城に現れた雨乞い師が偽物だということに気づいていた」
「はい……」
「それを言わなかったのはお前を手に入れる為だった」
「知れば、私は城へ戻り再びジョシュア殿下の婚約者になったでしょう。それが幸せな未来だとは思えません」
「……」
「私に教えないでいてくれてありがとうございます」
王は私を一度強く抱きしめた後、私の頰にキスをした。
「えっ?」
彼はふと笑って、私の頭を撫でる。
(こんな優しい顔を見て好きにならないはずがない)
私はこの人が好きだ。
きっと、もっと前から。
雨乞い師は貴族ではない。
あくまで職業のひとつだ。この雨の降らない小国でこそ王族の妃にと言われる程大事にされているが、大国の王から見れば平民の私を妃に迎える価値なんてたかが知れている。
(気に入ってくれているとは思う。けれど、気まぐれで構ってくれているだけだ)
そう自分を戒めても、私はこの思いを抑えることは出来なかった。もしかしたら私を選んでくれるかもしれない、という期待が私の中に生まれては、この人の立場を思い出し消える。
元々リジェ王は私の手の届かない人だ。こんな思いを抱くこともきっと烏滸がましい。
だけど、こっそり貴方を思うことだけはどうか許してほしい。