雨乞い師の選択
「あぁ、探したぞ!ドロシー!」
ジョシュア殿下はそう言って私に駆け寄ってきた。目には涙まで浮かべている。
「今更何のご用でしょう、殿下」
「こんなボロ切れまで纏って。さぞや辛かっただろう」
私は、善意で貸していただいたストールを《ボロ切れ》と言った殿下をまじまじと見た。
(この人……)
それに、自分で私を追放しておいて、今更なんの真似だろうか。
「このストールは舞う為、街のご婦人から借りたものです。失礼なことは言わないで下さい」
私は腕に巻いていたストールをご婦人にお礼を言って返した。
(何故、この人がここに?)
王族が、それもこの人が用も無く街をぶらぶらするとは考えにくい。こんな都合よくここに居合すなんて……。
「まさか、火事を起こしたのは殿下なのですか?」
「ああ。だが森で巨大な火を焚いただけだ。山火事には至らぬ様配慮した」
「何故その様なことを」
殿下は、私の呆れた口調など意に介さず、待ってましたとばかりに、私の手を握りしめた。
「ドロシー。陛下が君を探している。一緒に城へ戻って貰えないだろうか」
「嫌に決まってます。私はこの人のリジェ国に行くと決めましたから」
手を振り払い、王の袖を掴むと、殿下の顔は険しくなった。
「ドロシー。そいつは? リジェの貴族か?」
ジョシュア殿下はにやりと嫌な笑みを浮かべた。
「場合によっては誘拐の罪でこの場で捕縛する」
「なっ……!?」
自身が追放した癖に一体何のつもりだろうか。王に出会わなければ、一体どうなっていたか分からない。私の大事な恩人だ。
王はジョシュア殿下の吐いた言葉などまるで戯言だと言うように、不敵な笑みで返す。
「面白い。流石、簡単に騙されて本物の雨乞い師を追放するだけある。とんだ阿呆だ」
「なっ……!」
周囲の国民が一斉に騒つく。
(〝本物〟の雨乞い師?)
王の言葉に挑発されたジョシュア殿下の側近の一人が剣を向けた。
「殿下への数々の侮辱!許せません。雨乞い師様の件を追求せずとも王室侮辱罪でこの場で捕らえます」
王は凍てつく視線を殿下の側近へと向ける。
「どうやら命が惜しく無いらしい」
そう言って王も剣を抜く。その場の空気全てが王に支配されたように重苦しく、私でさえ心臓の鼓動を大きくした。直接殺意を向けられた側近はその威圧に耐えきれず、大きく後ずさる。
そして、王の前に自身の腰の剣に手を置いたシモンが立つ。
「このお方はリジェ大国の王、アレクシス・ルイス・リジェ様です。我が王に無礼を働くのは許しません」
シモンは兵全員が聞こえる様に、しかし努めて冷静に言い放った。
「リジェ大国の王……!?」
王が身分を明らかにすると、ジョシュア殿下の側近は慌てて下がった。リジェとヘリオスとは国の格が違いすぎる。かの王を前にジョシュア殿下では相手にならないことは明白だった。
「そんな、ばかな……。まだ入国の申請はされていない筈」
「私の顔を忘れたか、ジョシュア王子。最後に会ったのはこの国で開かれたライラ会談の時か。その時もお前は夕食会で魚が上手く食べれないと……」
「あー!!思い出しました。思い出しました」
ジョシュア殿下は慌てて、王の言葉を遮った。
(夕食会で何があったのかしら)
「私は一人彷徨っていた雨乞い師を助け、保護しただけ。お礼を言われてもこの様な言い掛かりをつけられる覚えは無いはずだが?」
物は言いようである。最初はほぼ誘拐されたようなものだ。ややこしくなるから言わないけれど。
「大変失礼致しました。ご協力感謝致します」
真っ青になり、すっかり大人しくなったジョシュア殿下は私の腕を掴んだ。
「ほら、ドロシー。帰るぞ」
「私は戻りません」
「いつまで拗ねてるんだ。雨乞い師がいなきゃこの国はどうなる?」
「雨乞い師は他にもいるのでしょう?どうぞ他の方を」
「…なか……んだっ!」
「はい?」
「居なかったんだ! 他の雨乞い師なんて何処にも。お前だけだ、この国を支えられるのは」
私の頭は真っ白になる。
(居なかった……? それが、私を連れ戻す理由?)
「私は騙されていたんだ。雨乞い師はお前しかいなかった。だから戻って来いよ」
つまり、また同じことが起こったら。もし雨乞い師が他にいたら。私はまた簡単に、ゴミのように棄てられるのだ。
追放された私は、身を守る術など持たなかった。死ぬ可能性だってあった。たまたまリジェ王と会ったから、今まで傷一つなく過ごせていただけだ。
勝手な言い分に怒りが湧き上がる。道具の様に扱われるジョシュア殿下の元になんて、戻る気はない。
私のずっと好きだった人……。以前の私なら、それでも必要とされる事に喜びを感じ殿下の元に帰っただろう。
……でも今は。
私は王を見る。
(戻りたくなんかない)
そう思うのに。辺りを見回せば、すっかり周りに集まってきた国民の不安そうな瞳が私を見つめている。それはそうだ、私がいなくなったらこの国の水は無くなってしまうのだから。
「陛下……」
そう呟くと、王の鋭くも優しい瞳が私を見る。
(この人と離れたく無い。自由が欲しい。でも、それでこの国の何万という民が、国が苦しむことだろう。それがわかっている以上、私は放っては置けない)
誰もが静かに私の次の言葉を待った。
冷や汗が頬を伝う。私の人生はきっとここで決まってしまうのだろう。
ごくりと唾を飲み込んだ私は、スカートの裾を持ち上げ、王に礼をする。
「今まで私の身の安全をお守り感謝致します」
王は目を大きく見開いた。
「ジョシュア殿下と共に、城に……、帰ります」