4月19日―――通学路
遅刻した。
織中 玉樹は走っていた。
今日はとても大事な日だということを頭に入れていたはずなのに、現在、時計の針は十一時を回っている。時間が止まってほしいなんてありきたりな願望は、こういう時に生まれたのではないかと考えもする。
実際に今、彼はそう願っている。
転校初日からこんな遅刻をするなんて、どうやら神サマとやらはあのときからアウトオブ眼中だ。
「うおっと」
誰かにぶつかりかけてしまった。相手が肩を抑えてくれなければそのままその人を巻き込んでいただろう。
「君!……ひょっとして見舞高の生徒……?いやあ、僕も今年からここに配属されて……」
「すみません!時間がないんです!」
一言謝り、織中はまた走り出した。男性はしっかり怒られて来いよと後ろで叫んでいるが、そんなことは織中にもわかっている。わかりきっている。
織中の目の前が焦りと恐怖でグルグルと回っていて、気持ち悪さを耐えて昨日の飯が形の定まらないものとなって逆流してきそうなくらいまで走っていた。
太陽は南に高く昇りかけて、一切の情けも無く彼の背中に日の光を当てて、なおも彼の中の体温は上昇していくように感じられる。
ようやく『見舞高校』と書かれた校門が見てきたところではほっとしたものの、今の状況が何一つ変わっていないことを確認するだけでもあった。
急いで校門まで来るも鐘の音が容赦なく耳に入ってくるためさらに足は加速して、つい三日前に行った職員室に向かっていた。
職員室は教室棟とは離れた場所にあり、ちょうど学生の昇降口から出て左に歩けば職員玄関。そして二階に行けば職員室がある。
学生玄関から入り、自分の靴入れに靴を投げ込んだ。が、それは失敗に終わった。
靴を投げるまではよかったが、あまりにも勢いがつきすぎて自分の靴箱から飛び出した。
焦りすぎた。急いでターンをして丁寧に靴を並べて蓋をして、それから……!
「うわっ!?」
「ッテェ!!」
また人にぶつかった。男だ。同じ黒の学生服を着た少々髪の長い男子生徒だった。
目の前の額を抑えている男子生徒に織中は近寄ると、すぐに彼はひどくぶつかって痛かったと言っているような顔を見せた。
「たたた……。前見ろって……。んん?お前は……」
「すまない……。ちょっと急いでて。前を見る余裕なんて無かったんだ……」
「お、おう。ってお前も遅刻か?なんだよ仲間じゃねえか。……一人で行くより二人で行く方が気が楽なんだよ。お前もそうだろ?俺、優しいから一緒に行ってやるよ」
「えっと……、まあ自分もそうしてもらえると助かる。それなら……職員室はあっちだよな?」
「ん?そうだけど……ああ、お前が今日来るっていう転校生か」
しまった。自分を知っている。
当然といえば当然だが、転校生が不利益になる情報なんて学校は流さない。だとしても今の織中の心の中は不安だらけだった。
だが目の前の彼は笑った。
「ははっ!お前、転校初日から遅刻とかとんだ不良だな!まあ、俺も初めての遅刻なんだけどよ……。あー落ち込むぜ……。まっ、同じ転校生同士仲良くやろうぜ」
目の前の彼は遅刻しているのにもかかわらず陽気にそう言うと、自分の靴棚に靴を入れて上靴に履き替えた。
織中としては彼の態度は意外でもあるし、安心できるものであった。
「お前も転校生なのか?名前が無いとちょっと呼びづらいな。なんて呼べばいいか教えてくれないか?……って自分もだな」
「俺は御旗 京也だ。ミハタでいい。今年の一月にここに来たんだよ。まあ一緒に怒られに行こうぜ転校生」
「ああ、なんというかいきなりこうも仲間ができるとは……。ありがとう、御旗。そして俺は織中 玉樹だ」
「おう、織中ってんだな。まあ、遅刻一回目はそんなに怒られないって話だ。二回目は無いと思うがな……」
胸をなでおろすと同時に、目の前の御旗も転校生だというのだから心中は大分穏やかになった。
遅刻という現実からは逃れられていないが、どうにかなるだろう。転校初日に遅刻で不良もなにも、この学校にはもう……、
「んで、お前はなんだ?」
「なにって……なんのことだ?」
「転校理由。俺は丁度一月くれえに引っ越してきたんでな。まあ、ちょっとそこら辺は話せねえんだが、今はおやっさんに世話になってんだ。そんで、お前は?」
どきりと胸が跳ねるも確信を一つ得た。
校内生徒には自身のことを全く話されていないということだ。
だがしかし、ここまで正面切って聞かれても返答に困った。
「……ざい」
「ん?なんつった?」
「いや、なんでも。親に勘当されてここに転校させられたってところだ。自分も、なんだ、やんちゃ坊主だったって……、話だ……」
「ほーん。まあ俺って優しい人間っていうか、そんなことあんまり気にしない奴だから心配すんなよ。あ、そこの階段な」
「分かってる、言われなくても……ッ?!」
何かにぶつかってしまった。
顔には板が張り付いている感覚がある。これはなんだ。
「……大丈夫か?ったく、俺ん時もそうだったが、もうちょい確認を……って、なんじゃこりゃ?」
御旗がそう言うので鼻を抑える手を放してぶつかったものを見ると、
「掲示板、か?」
二人の目の前には何の変哲もない緑のラバーの張ってある掲示板。
二本足で鈍いアルミの銀の色が、階段上の窓から差し込む昼の光で温められていた。
「いやなんでこんなとこに設置してあんだよ!それよりこれ何の掲示板だ……?」
「さあ。だがそっとしておこう」
「……じゃあとっとと行こうぜ」
御旗が織中の背中を押して先に進むのを催促するのでその掲示板に手を付けると―――、
グパァ!
「うおっ!?」
「あっ……」
板はらせん状に裂け、中から暗い次元の穴のようなものが出て来た。
「いや、ちょっと待て。あんじゃこりゃああ!」
「みはっ――――――」
穴は二人を飲み込むように広がるとだんだん塞がっていき、中へと引きずり込んでいく。
逃げようとしても逃げ道をふさがれた織中と御旗は、叫びとともに深い暗闇の穴へと吸い込まれてしまった。