裏切りの色は・1
ヴァンはぼんやりと赤く染まった空を見上げた。
(……やっちまった)
仕方がなかったとはいえ、読み上げてしまった。グゼイル先生には聞かれてはいなかったが、助手の口から漏れることは間違いないだろう。
向こうからアクションを起こされる前に、逃げようか、そうも考えた。
今日のナサニエルの使われっぷりを思えば、それも十分選択肢にある。あの先生のことだ、全ての罠を解除しろとか言うに違いない。それは困る。
「よぉ、ヴァン。浮かない顔だな」
「なんだ、お前か、ナット」
振り向いたヴァンの目の前に、人なつっこい顔の男が現れた。夕陽に照らされ、焦茶の髪は、グゼイル先生のような赤毛にも見える。
「そりゃ、悩みもするさ」
ちらり、と遺跡管理のための小屋を見ると、わざとらしくため息をつく。
「ジュリオは言わないよ。俺が口止めしてきた」
「はぁ?」
思わず聞き返すヴァンに、ナサニエルは「恩に着ろよー」とニヤニヤした。
「本人があまり知られたくないことみたいだったし、グゼイル先生を助けた代わりにってな。すぐに納得してくれたぜ?」
「別に、頼んでないけど、……ありがと」
照れ臭そうに、小さな声で礼を言う意地っ張りの少年に、ナサニエルは思わず吹き出した。
「なんだよ、人がちゃんと―――」
「いや、なんでもない。……お前も、礼を言うことがあるんだなーって」
「あー、もう! いいよ。この話は終わりだ終わり!」
がーっ、と両手をぶんぶんと振って、そこまでの会話をなかったことにしようとするヴァンは、なんとか話題を変えるべく、思いついたままを口にする。
「なぁ、そういえば、ナットはこれまでどこにいたんだ? ほら、ホームになる口入れ屋とかあるわけだろ?」
「あ? あー、俺はちょっと長期の仕事でな、しばらく王都にいたんだが、それも終わって、帰る途中なんだ」
「ふーん、そういうときって、一直線に帰るもんじゃないのか?」
「……一つの場所に留まってるだけじゃ、見えないもんもあるかもしんねぇからな。まぁ、考え方は人それぞれだが」
自分の焦茶の髪をぐわしぐわしと掻き乱して、ナサニエルが面倒臭そうに言葉にした。
「お前は? どうなんだ?」
意図することが分からず「何が?」と反駁すると、ナサニエルがちらりと視線を神殿跡にやった。
「養い親の代わりに、遺跡に入った感想だよ。満足したのか?」
言われて、すっかり目的を忘れ果てていた自分にようやく気付いた。
神殿の内部を思い出す。ヴァンの、そして養い親の求めていた滅亡の真実に迫るようなものは何一つとして得られなかった。あったのは、巨人がいなくなった今も変わらず動き続けるブービートラップだけ。
「……満足は、してないさ。でも、そこに求めるものがなかったって、それが分かっただけでも、十分だろ」
口先だけでそう言うと、ヴァンはじっと神殿入口に立つ白い柱を見つめた。夕焼けを受けて赤く染まる柱は、何を語ることもない。
集落はイヤというほど調べ返した。神殿にも手がかりはなかった。
いや、そもそも、いったいどうやったら真実にたどり着けるのだろう。
「ま、生きがいがあるだけいいってもんだ」
ナサニエルの言葉に、「そうかもしれないな」と生返事をしつつ、ヴァンの目はずっと柱に注がれていた。
「ナサニエルさん、ヴァンさん」
名前を呼ばれて振り向くと、小屋を出てこちらへやって来るジュリオの姿が見えた。とっつきにくいが丁寧な態度で、顔もいい彼が、いったい何の因果があって、我が道一直線のグゼイル先生の助手になっているのだろうか、と思わないでもない。
「門番のカルロさんにお願いして、小屋へ荷運びに使う道具を借りることができましたので、それを使って、グゼイル先生を運んでいただきたいのですが」
ヴァンの脳裏に、イスから足をとったものに背負うためのベルトをくくりつけただけの簡素な道具が浮かぶ。あれに大人一人以上の重さもある水や食糧を乗せて、山道をゆっくり登っていくのだ、と前に聞いたことがあった。
「あれに、グゼイル先生をくくりつけるのか?」
「はい、ケガが思ったよりひどくて、とても自力では下りられそうにありませんし、医者にも早く見せたいと思いますので」
真面目な口ぶりだからこそ恐ろしいと思う。簡単に言ってくれるが、ひどくタフな仕事になりそうだった。
「ナット、半分ずつな」
「え、俺が大半やるんだろ? そんなひ弱な腕やら肩で、下りれるのか?」
さすがにムッとしたが、反論できる材料もない。
「うるさいな。筋肉がつきにくい体質なんだよ」
口をとがらせることが精一杯のヴァンに、なぜか「ヴァンさんに話があります」とジュリオが声をかけた。
「へ? オレに? まさか、あれか?」
思い浮かぶのは、グゼイル先生を助けるためとは言え、つい口にしてしまったファン文字のことだった。
「いえ、それとは別件です。ナサニエルさん、申し訳ありませんが―――」
「あー、分かった分かった。俺は先生のところに戻ってるな」
皆まで言わせず、彼はあっさりと背中を向けた。
彼が小屋まで入るのを確認して、ヴァンはジュリオを見る。
「それで、用件は?」
近くで見ると、ジュリオの顔はさらに整って見えた。肌はやや日に焼けていたが、首元からは本来の白い素肌が見え隠れしている。目も大き過ぎず小さ過ぎず、青色の輝きはまるでサファイアのようだった。きっと、酒場とかにいるだけで、食うに困らず寝るに困らずな生活ができるんじゃないか、そんな風にも思う。
「はい、実はあなたのことをずっと探している方がいらっしゃいます。その方の素性を今、ここで明かすわけにはいきませんが―――」
「探してる? なんでさ?」
ヴァンは首を傾げた。ヴァンは身寄りのない、天涯孤独の身の上だ。
もちろん、木の股から産まれたわけでもないから両親というものがあるが、それにしたって、ヴァンはその人達が生きていないと知っている。
「はい、実はですね」
口を手元にあて、内緒話の姿勢をとったジュリオに、ヴァンは何のためらいもなく耳を寄せた。
「こういうことなんです」
隙だらけの首元に手刀が当てられ、ヴァンの意識がとぷん、と沈む。
まるで、ゆらゆらと深海に潜っていくような耳鳴りの中、「申し訳ありません」と真面目な声が聞こえた―――ような気がした。
从从从从从从从从从从从从从
お祭りの夜だった。
私はお母さんに手を引かれ、楽しそうに行き交う人の波を、必死にかきわけて進んだ。
私を知る人は、顔を見るなり「おめでとう」と口にする。私は、ちょっぴり嬉しくなって「ありがとう」と照れながら答えた。
お母さんが向かっているのは、あの真っ白な神殿だと分かっていた。これまで、ずっと入っちゃいけない、って言われていたところに、入れるのだ。
「あなたが優秀な子で、私も嬉しいわ」
お母さんはよく私に声をかけた。私の年齢で神殿に入れるのは稀なのだと言う。教わったことを全部覚えないと、神殿には入れないから。
私が他の人に比べて覚えるのが早かったのは、別に私の頭がいいとか、そういうことじゃない。
ただ、お兄ちゃんと一緒に、毎日、教わったことを繰り返していたからだ。
教わったことを他の人の前で話してはいけない、そう教わっていたし、お兄ちゃんも「一緒に復習してることはヒミツだよ」って言ってたから、このことは誰にも言ってない。お兄ちゃんは『他の人』じゃないから、別に大丈夫だよ、って言ったら、お兄ちゃんはちょっとだけ淋しそうな顔をしていた。
「そういえば、お兄ちゃんは?」
私が尋ねると、お母さんは「きっとお父さんと一緒よ」と答えた。きっと、お父さんと一緒に、私が――するのを待っているに違いない。そう思って、さっき後にしてきたばかりの広場を振り返った。大きな白い神さまが立っているのが見えた。神さまは薄目を開けて、村を見下ろしている。下からの灯りに照らされて、ちょっと恐い顔に見えたけど、神さまは神さまだった。
「ねぇ、お母さ」
ん、という言葉は、村の入口近くであがった、大きな歓声にかき消された。いや、歓声ではない、それは怒鳴り声と、悲鳴と、村にはほとんどいない馬の蹄の音だった。
振り向いて立ち尽くすお母さんが、自分の手をぎゅっと握った。
痛い、と声を上げてお母さんを見ると、お母さんはとても恐い顔をしていた。その視線の先には、さっきまで立っていたハズの白い神さまの姿はなく、白い煙の中に、赤い炎がちらちらと見えていた。あんな大きな篝火は、さっきはなかったはずだけど。
「おいで、――」
名前を呼ばれたと思ったら、私はお母さんに抱き上げられていた。
「お、かあ、さん」
ゆさゆさと揺れる中、名前を呼んでみるが、恐い顔をしたお母さんはまっすぐ前だけを見据えていた。
私は、こっそり服の下にかけていた、お兄ちゃんからもらった首飾りをぎゅっと掴んだ。
神殿に着くと、そこには誰もいなかった。たくさんの人が待っていると聞いていたけれど、みんな、どこかに行ってしまったみたいだった。
お母さんは、ためらいなく神殿の中に入った。
神殿の中は、壁の一部が光っていて、とても明るかった。
お母さんは私を抱いたまま奥へと突き進んで、そして、ぴたり、と止まった。
「――――」
と、思ったら、何かを呟くなり、またずんずんと進む。そうして、行き止まりまで来た。
「いい? よーく聞いてね。お母さんはこれから外に行ってくるから。絶対に戻ってくるから、迎えに来るまで、絶対にここから動いたらダメよ? いい? 絶対だからね」
お母さんの言葉に何度も頷く。お母さんが「絶対」と言ったら、それは絶対なんだから。
「それじゃぁ、いい子で待ってるのよ」
お母さんは私を置いて、また通路の向こうへ戻って行った。
走り去る足音、その中で、またお母さんの声が聞こえたような気がして、その直後に、視界が真っ暗になった。
恐かったけれど、お母さんの言うことを守らなくちゃ、そう思って待った。
石の壁や床は、ひんやりとしていたけど、不思議とあたたかくて、このまま、ここに居たら居眠りをしてしまうかもしれない。神さまの神殿で、そんなことをしたら怒られる。
それでも、しばらく、うとうととしていたんだろう。私は、聞いたことのな男の人の声で目覚めた。
「ここか? 邪神の神殿というのは!」
びっくりして、辺りを見回した。そしたら、入って来た通路から、灯りが漏れていた。
「よし、手分けして探すぞ! うまくいきゃぁ、すげぇお宝が見つかるかもしれねぇぜ!」
言葉が、違っていたけれど、それは外の世界の言葉だと知っていた。でも、すごく早口で、何を言っているのかは、ほとんど分からなかった。
どうして、そんな人がここにいるのか、それだけを考えて、考えるのが恐くなって、そして―――
「ぎゃぁぁぁぁ……」
「ぐぅっ!」
「んがぁっ! う、いてぇ、いてぇぞちくしょう……」
たくさんの悲鳴が聞こえて、松明がこっち側に転がって来て……それが見えてしまった。
真っ赤な真っ赤な腕。いくつも穴が空いて、そこから赤くて黒いものがどろどろと流れていた。
「……っ!」
声を出さなかったんじゃない、出せなかった。ついさっき、私が通って来た道が、とんでもないことになっている。足がガクガクと震えた。
転がった松明が、こっちまで照らしていたので、(見つかりませんように)と呪文のように唱えた。
男の人の声が何かを叫んで、次々と遠ざかって行った。
思い出すのは、教えられた言葉。
「いい? 神殿には、悪い人がやって来ないように、たくさんの仕掛けがあるの。私達は、神さまの言葉を使っているから、仕掛けを外すことができるけど、悪い人にはね、神さまの言葉は読めないのよ」
「神殿の中に入っても、神さまの言葉を読めば、決して仕掛けにかかることはない。神さまの言葉に従って、進んでゆけば、――できるからね」
そうだ、私は今日、――するはずだったのに、どうしてこんなところにいるんだろう。
白い壁を見れば、神さまの言葉が書いてあった。松明にゆらゆらと揺れる文字は、難なく読み取ることができた。
『トゲは生えることはない。トゲが貫くのは、誰もいない、空気だけ』
何を示しているのだろう。分からない。ただ、その言葉だけを胸に秘める。神さまの言葉は、いつだって、私の中に刻み込まなくてはいけないんだから。そうやって、わたしが覚えれば覚えるほど、お母さんもお兄ちゃんも喜んでくれた。
(でも、今は―――)
お母さんを、待たないと。