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その赤毛、典型的な学者につき・2

 先頭のナサニエルは、左手のカンテラ一つを頼りに、ゆっくりと歩みを進めていた。

 その後ろには「はやく行かんか」とむやみにせっつくグゼイル先生。そして遺跡の見取り図らしきものを手にしたジュリオと続き、しんがりをヴァンが努めていた。


「次にT字路が見えたら、そこを右です」


 ジュリオの言葉に、ヴァンからは姿の見えないナサニエルの返事が戻ってきた。

 見取り図があるという気楽さからか、彼は大胆に歩を進めている。いや、グゼイル先生が急かすせいかもしれない。

 ジュリオの持っている見取り図は、何人もの犠牲の上に成り立っているものらしい。遺跡へと入るときに、グゼイル先生が説明してくれたことを、ヴァンは思いだした。

―――遺跡内のフィールドワークが許可制になる以前は、何人もの学者や、何より財宝目当ての盗人やらが後を絶たなかったらしい。

 だが、彼らの大半はここで命を落とすことになった。侵入者を排除するための仕掛けがいくつも作動していたからだ。間違えた道を歩めば、矢に射抜かれるか、落とし穴に落ちるか、床から突き出た槍に突き刺されるか、いずれにしても致命傷を受けることになる。だが、何人もの命を犠牲にしてきたにも関わらず、最深部には誰一人として到達していない。


「たぶん、解読が必要なのだろうよ」


 これはグゼイル先生の言葉だ。文字を解読できることが、相当の自信となっているのだろう。一刻も早く、と先を歩くナサニエルをせっついている。


「次の角を、右へ行ってください」


 淡々と道を示す助手ジュリオは何を考えているのか、真剣な眼差しのまま、地図を手放さない。

 しんがりのヴァンが、ふっと脇道を見ると、ネズミか何かにすっかり喰いつくされた白骨が転がっていた。あまりに無機質過ぎて恐怖も嫌悪もなかった。さっきから、順路以外には、こうした死体が転がっている。地図も必要ないと思えるほどに。


(死屍累々ってやつか)


 たいした同情もかけずに、ヴァンは先へ進んだ。


「……ここが、最後の分岐です。右は行き止まり。左は『狂人の罠』と書いてあります」


 見取り図の中の最後の分岐までたどり着いたことを知ると、ナサニエルは軽く肩をすくめてみせた。


「さて、グゼイル先生。どちらへ?」

「ふん、まずは安全な行き止まりのほうに決まっている」

「りょ~かい」


 軽く返事をしたナサニエルだったが、すっと静かに息を吐くと、それまでとは打って変わった厳しい目つきでゆっくりと進み始めた。


(罠を探してる、のか?)


 安全な行き止まり、とはいえ、ここから先は注意すべきだと考えたのだろう。罠があるとすれば、それは真っ先に先頭を行くナサニエルに降りかかるのだから、もう慎重になってもいい頃合だった。

 そんなナサニエルの緊張を悟ったのか、さっきまであれほどせっついていたグゼイル先生は、ぴたりとその口を閉じ、ナサニエルの後をそっと付いて行く。もちろん、ジュリオもヴァンも同様だった。

 一行はじりじりと進み、目的の行き止まりまでたどりついた。


「……本当に行き止まりだな」


 床に手をつき、壁を軽く叩いたナサニエルが呟いた。振り返りがてら、カンテラを掲げ、そして、壁に目をやった。


「なんか書いてあるな」


 それが理解不能な文字と判断し、ナサニエルは立ち位置をグゼイル先生と交換し、次いでジュリオとも交換した。


「お疲れ」


 ヴァンに声を掛けられ、ようやく息をついたナサニエルは、髪をまとめていたバンダナを結び直した。


「なぁに、自分の命も秤にかかってるからな、さすがに手は抜けないさ」


 軽口を叩いて、学者と助手を一瞥する。


「ファン文字、かな」

「たぶんな。……見ろ、先生が必死こいて帳面と見比べてる」


 残念ながらヴァンの位置からは文字は見えなかったが、グゼイル先生が眉根にシワを寄せているのは分かった。隣ではジュリオが暗い灯りの中で、文字をせっせと書き写している。

 二人の作業をただ黙って待つのも落ちつかない、そう考えたのか、ナサニエルは手近な壁をカンテラで照らした。


「なんだ、ここらへんはびっしり彫り込んでるな」


 ナサニエルの言葉通り、壁には絵が彫り込まれていた。見れば、目線より上の方にファン文字とおぼしきものが彫られている。


「大きい人型のもんに、小さい豆粒みたいなのがまとわりついてるな。……あぁ、これが、くだんの巨人ってやつか」


 ナサニエルの言葉に、ヴァンは上の文字を見上げた。


『白き神あるかぎり 世は全てこともなし

 白き神あるかぎり 全て世はこともなし』


 それは、異端とされたこの地の宗教の中心に立つ、白い巨人への祈り文句だった。

 これほどまでに絶対的な力を持っていた神が、どうしてファン・ル・ファンを滅ぼすことを許したのか。ヴァンは我知らず唇をきゅっと噛んだ。


「なんだ、これは。まったくわからんぞ!」


 エラそうに分からない、と喚くグゼイル先生の声で、ヴァンは我に返った。


「先生、声が大き過ぎます」


 ジュリオの言った通り、わんわんと声が反響して喧しいことこの上ない。


「訳が間違ったのかな」


 ぼそり、と呟いたヴァンを、グゼイル先生はくわっと睨みつけた。


「あほう。訳は間違えてない。ただ、意味が分からないだけだっ!」


 それを、そんなに偉そうに言うのか、と耳を塞ぎつつ、ヴァンはすみません、と素直に謝った。


「判断材料が足らないか、閃きが足りないか、というとこなんですね」


 何とかフォローしつつ、首を伸ばして問題の文字を見ようと思ったが、狭い通路の中でそれもできない。まさか、自分も文字読めるから、見せてください、なんてことが言えるわけもない。


「材料か、閃きか。いいこと言うな、案内役」


 グゼイルは答えると、ぶつぶつと呟いている。


「こっちの絵と文字はなんか、関係あるのかな」


 ナサニエルの言葉に、グゼイルは弟子を押しのけて、ぐいぐいっとこちらへ来た。丁度いいタイミングに、ヴァンは先生に道を譲るふりをして、こっそりと行き止まりの方へ体を寄せる。

 グゼイル先生はそのまま、ヴァンがさっき読んでいた文字の解読に入る。そして、ヴァンもこっちの文字を読む。幸いにジュリオがカンテラで照らし上げていたため、すぐに読み取ることができた。


『索引を完成させた巫女のみが、ここを通ることを許す。―――扉を開けろ』


(……索引?)


 しばらくその単語を反芻してみる。索引とか目次とか、そういう意味の言葉だったはずだ。巫女というのは、白き神に仕えた巫女に違いないだろうし。……しかし、扉を開けろ、というのは、ヴァンにも分からなかった。


「あー、だめだ、だめだ! さっきの場所まで戻るぞっ!」


 グゼイル先生の声が響き渡り、ヴァンは慌ててそちらに顔を向けた。


「でも、先生、戻ってどうするんだ?」


「決まっているだろう! もう片方の道を行くんだ!」


 ヴァンはちらり、と隣の助手を見た。文字の写しは終わったらしいジュリオと、ちょうど目が合った。


「……そういう性格ですから、仕方ありません」


 小さく呟くと、ジュリオは筆記用具を片付け、再び地図を取り出した。

 これから行こうとする通路には『狂人の罠』と書かれていた。



从从从从从从从从从从从从从



「つまり、そこへ行った人間は、狂ったように駆け出して行ってしまう、と?」

「うむ、六年前の調査資料にはそう書かれていた。他の罠とは違って、即座に命を落とすような仕掛けではないからな、よく覚えている」


 慎重に歩くナサニエルの質問に、グゼイル先生はそう答えた。


「で、駆け出して行ってしまった人は、どうなったんですか?」

「さてな、戻って来なかったということだが」


 それは、死と同義なんじゃないか、とヴァンは思ったが口には出さなかった。たぶん、ナサニエルも同じ気持ちだろう。


「……ストップ。ここまでだ」


 ナサニエルはぴたり、と歩みを止めた。


「なんだ? まだ先に行けるだろう?」


 不思議そうに尋ねるグゼイル先生に、ナサニエルは首を振った。


「ここから先へ進んだら、罠に捕まる」


 納得がいかない先生に、ナサニエルは、ここで引き返した多くの足跡について語った。つまり、仲間の誰かが罠に捕まって、引き返した跡だろう、と。


「なるほど、そういうわけか」


 納得を見せたグゼイル先生の言葉に頷くナサニエル。危険と判断した境界線ギリギリにある文字を解読したら、何かわかるかもしれない、とグゼイル先生と立ち位置を交換した彼は、再度、最後尾のヴァンのところまで戻って来た。


「狂人の罠ね、ナット、あんたはなんだと思う?」

「さて、な。今まで、仕事でいくつも罠解除はしてきたけど、そういったものはなかったなぁ」


 持っていたカンテラをヴァンに渡すと、ナサニエルはぐぐっとストレッチを始める。さすがに先頭を歩くのは神経を使うものらしい。


「お前は、どう思うんだ? あっちとこっち、どっちが正解だろうな」

「そりゃ向こうだろ。……でも、先には行けないんじゃないかな。巫女だけしか通さないって書いてあったし」


 グゼイル先生が解読中の文字を、目を細めて読み取ろうとしていたヴァンは、自分が致命的な失言をしたことに、まだ気付いていない。


「……書いてあった?」


 ナサニエルにオウム返しに尋ねられ、ヴァンは表情を強張らせた。それで十分だった。


「なるほど、だからこの遺跡に執着してたわけだ」


 ヴァンはあぁ、ともうぅ、ともつかぬ声をあげた。


「せっかく、育ててくれた養い親が教えてくれたんだもんな、そりゃ役立ててみたいだろ。……何ヘンな顔してんだ?」

「いや、うん、その通りなんだけど、うん。……そういえば、誰から聞いた?」


 ヴァンは慌てて表情を戻すと、そう問いかけた。


「誰って、ほら、斡旋所のオーナーあたりだったかな。お前の養い親がファン・ル・ファンの出身ってのは、有名な話だったんだろ?」

「……なるほどね」


 その事前情報があって、先程の失言を耳にしたなら、まぁ、結びつかない結論ではない。


(あぁ、ちょっと油断し過ぎたな。……こいつが、ずかずかとこっちの領域に入り込んで来るからだ)


 親しみやすい口調と雰囲気に、ついついこっちも気を抜いてしまう。ヴァンは、ナサニエルの持っているそうした雰囲気を、うらやましいともうらめしいとも思った。


「……先生に、聞こえてないといいんだけど」


 小さな声で囁くと、ナサニエルはどうだか、という顔をした。


「ま、個人のことだ、とやかく言う気はないけどな」


 この話題をここまで、と打ち切りにされたような気がして、ヴァンは安堵する。

 再び目を細めてグゼイル先生の解読中の文字を読もうとしたが、諦めて文字を書き写そうとしているジュリオの手元に視線を動かした。途中までしか書き取られていないものの、そこならば判別がつく。


『出て行け 出て行け そこはお前の場所ではない 出て行け

 戻って来い 戻って来い お前の』


 残念ながら、そこまでしかまだ書き写されていなかった。まるで、謎かけめいたその言葉に、ヴァンは首を傾げる。罠があるということは、誤った道なのだろうが、いったいこの文章が何を意味するものなのか、さっぱり見当がつかなかった。

 ふと、近くの壁を見ると、『黒き神の道』と文字が彫ってあった。


(黒い……たぶん、死に至る道とか、そんな意味なんだろうなぁ)


 つまり、この道には見るべきものはないのだ。そうと分かってここに留まるのも意味がない気もしたが、雇われの身では何も言えないし、もしかしたら、この学者先生にとっては見るべきものがあるのかもしれない。そう思いなおして、ヴァンは大きく息をはいた。


「なぁ、ナット―――」


 言いかけたヴァンの身体に、耐えがたい悪寒がはしった。耳の下から首筋を通り、背筋や腕へと鳥肌ができる。

 見れば、ナサニエルも厳しい顔をしていた。


ヒィィィィィィィ……


 隙間風の音によく似た、それは悲鳴、だろうか。


「なんだ……?」


 グゼイル先生と助手ジュリオの耳にも聞こえているのだろう、二人とも作業を止め、神経を周囲にはりめぐらしていた。


「まさか、狂人の罠、ですか」


 冷静に呟いたジュリオの言葉は、まるで確信であるかのように響いた。


「時間による罠作動、あるかもしれないな。……先生、ちょっと撤退を推奨してみるが、どうだろう?」


 ナサニエルの言葉に、顔をひきつらせたグゼイル先生が「とりあえず、さっきのT字路まで」と頷く。

 ナサニエルを先頭にして、移動を始めると、ヴァンは少しだけ戻って、さっきは読みきれなかった続きを見た。


『出て行け 出て行け そこはお前の場所ではない 出て行け

 戻って来い 戻って来い お前の大地はここにある 戻って来い』


 全文を読んでも、何のことだかはっきりとは分からなかった。


「あれ、ヴァンさん?」

「あぁ、すまない」


 ジュリオに声をかけられ、ヴァンは来た道へと足を進めた。


ヒィィィィィィィ……


 背中から、悲鳴に混じって、カラカラと軽い物が打ち鳴らされる音が聞こえたような気がした。



从从从从从从从从从从从从从



「あれは、結局なんだったんだろうな」


 臆病風に吹かれたのか、グゼイル先生はそのまま遺跡を出ることにした。とはいえ、行きに素通りしてしまった壁の文字を確認しつつ戻って来たので、入口まで戻ってみると、既に夕闇が迫っていた。


「さぁな。おおかた、『狂人の罠』とやらに落ちた人間の、なれの果てだろう。どこかに風の通り道があるとは考えにくいからな」


 ヴァンは野営の準備をしながら、適当に受け答えをした。


「そうだな。……風はなかった」


 苦々しく呟いたナサニエルは、見張りの兵士から借りて来た火を、集めた薪に移した。


「……それで、どうするんだろうなぁ、学者先生は」


 彼の声に、ヴァンは肩をすくめて見せた。

 グゼイル先生とジュリオは、外に出るなり、門番のための小屋を占拠し、今回の調査資料をまとめ始めていた。もちろん、遺跡の守り人ダイアンとカルロは、いい顔をしなかったが、あの先生と押し問答するのも疲れると、たぶん、年かさのカルロが判断したのだろう。


「明日は、下手したら、全部のブービートラップを確認するとか言いかねないな」


 小屋を眺めつつ、適当な予測を口にすると「うげっ、それは無茶な」とカエルを踏み潰したような悲鳴が聞こえた。


「……まぁ、どう考えてもあの行き止まりが怪しいんだけど、行き止まりだし、どうしようもないと思うんだけどな」


 ヴァンは鍋を火にかけ、沸騰するのを待つ。


「お前はどう思った? 読めるんだろ?」

「別に、読めたからって同じだ。グゼイル先生と同じような感想しか持てねぇよ」


 冷たく言い放ち、さっき近くの木からむしった葉っぱに、荷物から取りだした香草・キノコを乗せる。作る皿は四つ。


「でも、お前は養ってくれた親の代わりに、あそこに入りたかったんだろ?」


 ナサニエルの言葉に、ヴァンは危うく葉っぱを取り落とすところだった。


「……誰に、聞いた?」

「斡旋所の常連とオーナーから。ヴァンがここに留まっているのは、滅亡の理由を養い親の代わりに知るためだって」

「……」


 ヴァンはナサニエルに視線を返さず、手をぐっと握り締め、「他人事だ、忘れろ」と呟いた。彼は黙って肩をすくめると、手にした籠を目の前の少年に差し出した。


「ほい、魚」


 ナサニエルが釣った魚――夕闇の中で魚を釣る人間をヴァンは初めて見た――を受け取ると、そこに一尾ずつ乗せて、塩・胡椒をふりかける。


「こんなもんか?」

「こんなもんだろ」


 さっきの会話などなかったように、あっけらかんとした口調で確認をとったヴァンは、それをさらに葉っぱで幾重にも包み、焚き火の中に放りこんだ。ナサニエルは湯が沸いたのを見ると、塩少々を鍋につまみ入れ、燻製肉を薄くスライスして投入していく。次はヴァンがニンジンをざくざくと切って投下。


「もちっと丁寧に切れよ、女の子だろ?」

「女じゃねぇって言ってんだろ、このボケ老人!」


 思いついたままの言葉を言っただけなのだが、ナサニエルは「ボケ老人」の言葉にいたく傷ついた様子で、「ショック~……」と小さく呟いて、黙りこんでしまった。

 それを見て「勝った」と小さくガッツポーズをとったところで、小屋からグゼイル先生と助手が出て来た。



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