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その赤毛、典型的な学者につき・1

「それでは、出発しましょう」


 秋の朝霧が視界を白く染め上げていた。

 ファン・ル・ファン遺跡の調査という名目は掲げているが、その実態は、グゼイル先生と助手ジュリオの二名だけだった。少ないように感じるかもしれないが、もともと、異端の宗教やその集落について研究しようなどという奇特な人間も少ない上に、国の遺跡管理の厳しさもあって、ファン・ル・ファンを研究しようなどという人間はそれほどいないのだ。

 ヴァンは、せっかちなグゼイル先生に促され、すぐに出発した。視界がきかない環境の中で、余計に疲れることがあるだろう、と何度も後ろを振り返って、全員の疲れ具合を確認した。特に、一番年長のグゼイル先生が要注意だった。滑りにくいように、足場を選んで歩いていくと、ヴァンは最初の道標を見つけた。


「グゼイル先生、あれが、集落までの道標になります。ここから集落まで全部で三十個。その用途は分かりませんが―――」


 途中まで説明したところで、ぜぇはぁと肩で息をしていたグゼイル先生が、素早くそれに駆け寄った。


「早くスケッチだ、ジュリオ」


 言われるまでもなく、助手は自分の背負ったバックパックの中から、木炭と紙を取り出していた。

 その行動に唖然としたヴァンの肩に、ポン、と大きな手が置かれる。


「休憩だな」

「……あ、あぁ」


 学者の執念を見た気がして、ヴァンは少し感動を覚えた。

 霧は少しだけ晴れてきたが、地面は相変わらず濡れている。これからも注意して歩かなければ。


「おい、案内役! スケッチが終わるまで待っておれよ!」


 半分崩れかけた石台から目を離さないままで、グゼイル先生が怒鳴る。ヴァンは返事をしつつ、暇潰しがてらに、ぐるっと周囲を見渡した。

 秋もまだ入ったばかりの林には、紅葉する木は見当たらなかったが、みずみずしい緑の中で、そこかしこに膨らみ始めた果実が目に入る。もう少し経ったら、食費を浮かすために、カゴを持って来よう、と思った。


「なぁ、ありゃいったい何なんだ?」


 ナサニエルに声をかけられ、その指差す先を見て、ヴァンは肩をすくめた。

 彼の視線の先にあるのは、グゼイル先生と助手ジュリオが釘付けになっている石台だ。長い年月放置されていたことを如実に語るように、もこもこと緑色の苔に包まれていた。大人の腰ぐらいの高さのそれは、いったい何の為のものだったのか。


「さてな。いろいろ言われてるけど、断言できる説得力はない。ファン・ル・ファンの集落へ向かう道すがらに三十個もあるんだから、迷わないための目印か、道を区切る柵か、もっと呪術的な意味合いのものか。ま、丁度いい目印になるから、重宝してるけどな」


 肩をすくめて見せたヴァンの説明に、ふむ、と別の方向から相槌が打たれた。


「なるほど、目印か、柵か、はたまた別のものか。ふーむ」

「グゼイル先生?」


 つい先程まで、助手と一緒に石台の側にいなかったか、とヴァンが目を丸くした。


「あぁ、話を聞かせてもらったぞ」

「あー……っと、もう、石台はいいんですか?」

「スケッチを終えたら出発するぞ。なんだ、まだあんな石台にかじりついていると思ったか、馬鹿めが」


 グゼイル先生はそう言い放つと、許可申請の必要がない集落やそこまでの道中については、既に先人の研究が為されていることを口にした。また、遺跡についても、許可制になるまでの僅かな期間だけだが、中へ入っての研究はされていたという。だが、ある事情により、その資料はわずかなものだそうだが。


「案内役は知っているか、その理由を」


 もちろん、ヴァンは知っていた。知っていたからこそ、あの町に『ドリフター』として留まっていたのだ。遺跡に入るために、使い潰しのきくドリフターが必要だろうと。

 そこまで考えて、ヴァンはちらりと隣の男を見上げた。


「ナット、お前は知っているのか? どうして遺跡調査ごときに護衛役が必要なのか」

「―――あー、契約のときに、先生から聞いたよ。ブービートラップだろ?」


 神殿には、侵入者を徹底的に拒む仕掛けがされている。財宝が隠されているという、根も葉もない噂に踊らされた山賊団が全滅したとか、異端の施設を壊すために訪れた国教会の調査隊が命からがら逃げ帰って来たとか、話は様々だが、それらは、一つの真実を浮かび上がらせている。

 神殿跡に入ったら命はない、と。


「ふん、知っておるならいい」


 グゼイル先生が鼻を鳴らすと同時に、「終わりました」という助手の声が聞こえた。



从从从从从从从从从从从从从



 一行が集落へ到着したのは、太陽が真上を通る前のことだった。


「そこで林が終わります。その先が集落です」


 その言葉に、汗をだくだくと流しながらヴァンのすぐ後ろを歩いていたグゼイル先生が、その疲労を放り投げ、獲物を見つけた空腹の獣のように一直線に走りだした。

 もはやそれを追う気力もないヴァンは、それまでのスピードを保ったまま、歩き続けた。木々のトンネルが終わり、向こう側が見え隠れする。歩みのスピードを変えない三人は、視界が開けるのを感じ―――


「……あ?」


 最後尾を歩いていたナサニエルだけが立ち止まった。

 目の前に広がるのは、雑草すら茂らない、固く踏み固められた土ばかり。林をくっきりと切り取った荒野は、静かに来訪者を迎え入れる。滅亡から六年経過している集落は、不気味な雰囲気を漂わせていた。

 よく見れば、そこここに住居だったと思われる瓦礫が積まれていた。焼け焦げた石壁が滅亡時の凄惨さを思い起こさせる。初秋の真昼にあって、そこは寒々しい場所だった。


「これが、集落跡だ。……驚いたか?」


 呆然とするナサニエルの目の前で、ヴァンはそう言った。頷く彼の視界の端に、せっせと崩れた石壁を調べるグゼイル先生と、ジュリオの姿があった。

 ナサニエルは、二人から少し離れた別の瓦礫に近付いた。焼けた石壁、こびりついた赤黒いしみ、小指の先程の小さな穴に埋まっている矢じり。


「本当に、内紛で滅亡したのかねぇ」


 どこか飄々(ひょうひょう)とした口調で呟いたナサニエルを、ちらりと一瞥したヴァンは、ジュリオが立ち上がって、こちらへやって来るのを見てとった。

 何か用でもあるのか、とナサニエルと二人、歩いて近寄る。


「申し訳ありませんが、早く遺跡へ案内して欲しいと、先生がおっしゃっています」


 今なお石をひっくり返す学者先生は、案内を本当に求めているのか、石壁に刻まれた紋様と自分の手帳とを見比べて、ふんふんと頷いていた。

 助手の言葉を信じるのなら、少しの時間も惜しんでいる、ということになるのだろう。瓦礫から離れる様子はいっさいない。


「え、っと、案内してもいいんですか?」

「はい。……そう見えないかもしれませんが、そうおっしゃっています」


 淡々と答えるジュリオに、曖昧に返事をすると、ヴァンは歩き出しながら、声をかけた。


「グゼイル先生、遺跡はこちらの奥です」


 やってきた山道とは、まったく逆の方向を指差すと、学者先生は待っていましたとばかりに瓦礫から離れ、ヴァンの方へついてきた。


「グゼイル先生、かなり強行軍で来てしまいましたが、大丈夫ですか?」


 ナサニエルが声をかけると、「ふん、バカにすんない」と元気な答えが返ってきた。ナサニエルは笑って肩をすくめ、最後尾につく。ヴァン、グゼイル、ジュリオ、ナサニエルの順に並び、一行は荒地を抜けて、再び木々の中に入って行った。

 そして、ほどなく―――


「おぉ……」


 グゼイルの感嘆の声とともに、木々の間に荘厳な柱が見えてきた。堂々とそびえ立つ白い石柱と、遺跡の入口上部、崖に剥き出しになった岩に精緻に彫り込まれた紋様。立ち入ることの許されない厳格な空気が、そこから漂ってくるようだった。


「こちらが、遺跡――神殿の門になります。あそこに門番がいますから、許可証を……」


 ヴァンが言い終えないうちに、グゼイルは遺跡に向かって猛然と駆け出した。遺跡の隣にある山小屋も、そこに立つ遺跡の守り人も全く目に入っていないに違いない。


「先生。許可証を持っているのは私ですから」


 珍しく慌てたジュリオが追いかける。

 なんとなくヴァンもゆっくりと追いかけ、ナサニエルもそれに付いて来た。


「おーおー、あの助手もなんか苦労してそうだな」

「でも、あんな勢いで門に突っ込んで行ったら、……あ、止められた」


 案の定、学者先生は二人の門番に止められている。赤茶の髪を振り乱して怒鳴るグゼイル先生に、顎ヒゲの若い門番カルロは苦笑いを浮かべながら、なんとか押し止めている。その間にカルロより年かさの門番――ダイアンがジュリオの差し出した許可証を検めていた。


「だーかーらー、許可証は見せただろうがっ!」

「ですから、ちゃんと確かめるまでは、ちょっと待ってくださいよぉ……」


 半泣きに近い声をあげるカルロは、なんとか遺跡の中に入ろうとするグゼイル先生を引き止めている。


「ん、書類不備なし、と。検印は、ここだったかな」


 ダイアンは書類に向かって指差し点検をすると、印を取りに見張りの詰め所へ引っ込んでしまった。


「あー、カルロさん。お疲れさま」


 ヴァンは軽く手をあげて、顔見知りの門番に挨拶をしたが、あっさり無視された。まぁ、グゼイル先生を止めるので精一杯なんだろう。先生は諦めることなくジタバタともがいているわけだし。

 ほどなくして、戻って来たダイアンのオッケーサインに、ようやく解放されたグゼイル先生は、神殿入り口の柱に刻まれた紋様にびたっと張りついて動かなくなってしまった。


「先生? 中に入らなくてもいいのですか?」


 ジュリオの質問に、グゼイル先生は、柱から目を離さないまま手をこちらに突き出し「早めにメシ食って中にはいるぞ。早く支度せい」とのたまった。



从从从从从从从从从从从从从



 宿で人数分包んでもらったサンドイッチをもっしゃもっしゃと頬張りながら、グゼイル先生は柱から離れようとはしなかった。何か帳面を持ちだし、うんうんと頷いては、何かを書き込んでいる。野外で、左手にサンドイッチ、右手に木炭を持ち、膝の上に帳面を置く先生を見ながら、ヴァンは学者も大変だ、と何となく思った。

 助手の方も、柱に彫られた紋様をせっせと書き写している。ただし、先生のように片手にサンドイッチを持ったまま、というのが無理なので、口にくわえていた。

 ヴァンはサンドイッチを片手に、門番に改めて挨拶することにした。


「お疲れさまです、カルロさん、ダイアンさん」


 ヴァンが入口に立つ二人に声をかけると、向こうも手をあげて応えた。


「よぉ、ヴァン。景気はどうだ?」

「見ない顔の連れだな。知らない奴と組むなんて、お前にしちゃ珍しい」


 ヴァンはダイアンに指差された男を振り返った。こっちの会話に気付いているのか気付いていないのか、自分の装備点検を行っている。


「まぁ、たぶん一回限りの仕事だしね。……どうだった? 初仕事は」


 許可証を持った人間を通すのが初めてだと知っているヴァンは、二人に問いかける。年若いカルロは、ちらりとグゼイル先生に視線を投げると、肩をすくめて見せた。


「ま、こんなもんだろう。そうそう、ニコラがお前に会いたがってたぞ。次にこっちへ登ってくるときは、ニコラの予定に会わせてやれよな」


 ニコラというのは、彼ら二人と同じ、ここの守り人である。四人で交代でこの小屋に詰め、不法な侵入者が来ないか見張っているのだ。訪れる者の少ないこの場所での見張りなど、はっきりいって、閑職である。


「そうだな、じいさんの墓も、そろそろ行かないとな。うん、この仕事が終わったら調整するよ」


 ヴァンは隣の山の頂きに目をやった。あの山の中腹に、かつて養い親と暮らした小屋がある。そして、この集落を見下ろせる、あの山の頂上に彼の墓標があった。

 と、ナサニエルがこちらを向いて、手招きしていることに気付き、ヴァンは門番二人に軽く挨拶をして彼の方へ歩き出した。


「なぁ、ヴァン。あれって、文字か何かなのか?」


 指差す先にあったのは、グゼイル先生がかじりついている柱だった。白い石柱には、大きな紋様が彫られている。


「……たぶんね。まだ、解読がすすんでいないっていう文字だろ」


 ヴァンは、さらりと嘘をつくと、無意識にバッグを撫でた。自分の荷物の中にあるはずの手帳を、バッグの上から確かめたのだ。

―――ファン・ル・ファンで使われていた文字、グゼイル先生が「ファン文字」と呼んでいたそれを、ヴァンは読むことも話すこともできる。それは、今回、ヴァンがとうとう出さなかった切り札だった。これを材料にして、グゼイル先生と交渉しなくてはならないことも考えていた。

 だが、切り札を使うことなく、ヴァンはここまで来た。いや、そうでなくとも、これを材料として使ったかどうかは分からない。ヴァンを拾い育てた養い親カイは、ヴァンにファン・ル・ファンに関係した知識を他へ触れまわることを、厳しく戒めたのである。自らは、ファン・ル・ファンを出た男として一部に知られていたのに、どうして。ヴァンはそう思っていた。だが、それでも、彼の死後、強い制約としてヴァンの心に楔が打たれていた。


「でも、読めてるみたいだな、あの学者先生」


 ナサニエルの言葉に、ヴァンはグゼイル先生を見た。


「……の、神殿、が……巫女の……」


 切れ切れに聞こえる言葉が、確かにこの遺跡を表す単語であると聞き取って、ヴァンはぐっと拳に力を込めた。


(まさか、本当に……? いや、でも、ここで近寄ったら、怪しまれるか? ……いいか。どうせオレがここに執着があるってことは知られてるんだし)


 ぐっと立ち上がったヴァンは、そっとグゼイル先生に近寄った。

 先生は指で刻まれた文字をなぞりながら、必死で翻訳を試みている。


「なんだ? メシはやらんぞ。残す気もないぞ」


 気付いた先生が、全く見当違いのことを言うと、また翻訳に戻る。


「いや、さすが学者先生は読めるんだなって、思っただけですよ」


 ヴァンは心からそう言った。グゼイルの訳はかなり正確だったのだ。


「ふん、当たり前だ。ファン・ル・ファンを出たという男に教えてもらったのだからな」


 へー、そうなんだ、と納得したような返事をしつつ、ヴァンはポリポリと頬を掻いた。

 山中のこの集落で一生を終えることを嫌って、外界へ出た人間は少なくないというが、当時から、異端とされていただけに、それを吹聴する人間がいるとは思わなかった。だからこそ、滅亡から六年経ってなお、『ファン文字』が解読不能とされていたのだろう。

 解読を試みるグゼイルの横で、ヴァンはもう一度、柱に刻まれた文字を見た。


『白き神の神殿。巫女以外の立ち入りを禁じる』


 ヴァンは自分の手帳も使わずにその意味を読みとると、くるりと背を向けた。



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