まどろむ白い巨人・4
泣いてくれた方が、いくらかマシだと、ジュリオは思った。
ささやかな短剣で、ためらいも振り切って、実の兄を手にかけた少年は、今は、温もりの失われていく兄の身体を抱きしめていた。地面に染み込む血は、兄のものか、それとも少年のものか。ただ一つの水たまりになって、かつて彼らの暮らした集落のあった場所に流れる。
「ヴァンさん、まさか、あなた、死ぬつもりですか?」
「……」
ヴァンは答えない。ただ、兄の躯を抱きしめるだけだ。
「無粋なことを言うな。遅かれ早かれ、途絶える血であったのだ。頭の固い、保守派ばかりの残ったあの集落の、幕引きとしては上出来であろうよ」
白い人影は、地面に座り込む巫女を見下ろし、言い放つ。
「あなたは、ファン・ル・ファンを守護していたのではなかったのですか?」
「違うな。巫女の血に縛られていただけだ。……さぁ、巫女よ。お前が死ぬ前に我を解放せよ」
「解放……?」
「そうだ。巫女ならば教わっていよう。我を縛りつけるものは、巫女の血と、最初の巫女との誓約のみ。それを―――」
ヴァンは、ゆっくりと口論する二人を見上げた。
『―――――』
少年の震える声に、白い人影は、少し驚いた顔をした。そして、頷く。
「今のは?」
ひとり、ファン語を知らないジュリオが、二人に問いかける。
答えたのは、ヴァンの方だった。
「誰が死ぬって言ったよ。オレ、根性ないからさ、こんな痛いの耐えられないんだ」
どうやら、傷を塞いでもらったヴァンは、抱きしめていた兄の身体をゆっくりと横たえた。
血を大量に失ったとはいえ、平気そうな顔を見せるヴァンに、ジュリオは安堵よりも危うさを感じた。
「これから、どうするんですか?」
「……うん、とりあえず、みんなと一緒の場所に埋めてあげなきゃな」
優しい顔で兄の亡骸を見つめるヴァンは、声をかけてきたジュリオではなく、白い神に向き直った。
「解放、……か?」
「まさか、伝えられていない、と言うのではないだろうな」
「いや、ちゃんと覚えてる。誰にも聞かれないように、指南役のばあさんから、手のひらに書かれたからな、そうそう忘れられるもんじゃない」
白い神は、目に見えて安堵したようだった。
「まったく、頭の固い連中ばかりだったな。あの時、誰か一人でも解放の言葉を口にしていたら、命令されずとも、あのいけすかない人間どもを、ちゃんと皆殺しにしてやったのにな」
その言葉に、ヴァンの拳がぎゅっと握られた。
「だいたい、時代の波すら見えていなかったのだ。古い因習に縛られ、改革を求める者は次々と山を下りて行ったというのに。まぁ、ガチガチの保守派ばかりが残っては、もともと、滅びて当然だったのだろうよ」
皮肉な笑いを浮かべた神に、すっくと立ちあがったヴァンは睨む間も惜しんで拳を使った。
鈍い音がして、神が左頬を押さえる。
「我に手をあげた巫女など、例がないな」
「うるさい」
下から睨みつけるヴァンの怒りを受け、神が面白いものでも見るように笑った。
「……巫女の血筋ではあるが、巫女ではない者の血の呪縛など、とるに足らない物だとは思わなかったのか? それに、あのとき我に命令した巫女がいなかったとでも?」
「まさか、意図的に滅ぼされるのを、見過ごしてたって言うのか?
―――それが本当なら、オレはあんたを許さない」
ヴァンの目が真っ直ぐに、神の目を射抜く。
「そんなに、この血を疎んでいるなら、望み通りに解放してや―――」
「待ってください!」
突然、大声で仲裁に入ったジュリオに、ヴァンの言葉が止まる。
「また、お前か。いい加減に邪魔するのも―――」
「血の呪縛がとるに足らないと? あなたは今でも、その巫女の血に縛られているのでしょう? 十年間もその血の呪縛によって、眠らされていたのではないですか?」
「部外者が口を挟むな。お前が我の何を知っていると?」
神の白い瞳に気圧されることなく、ジュリオは、自分の考えを言い放つ。
「あなた、わざとヴァンさんを怒らせてませんか?」
ジュリオの指摘が的を射ていたのか、白い神が少し怯んだ。
「やっぱりそうでしたか。あなたは、――何故だか分かりませんが、ヴァンさんを怒らせて、自分を解放させようとしている」
「何言ってるんだ。長い間、縛られてたんだから、解放されたいと願うのは普通だろう」
ヴァンは、怒りを露にしながら、神を睨みつけた。
「そうでしょうか。本当に縛られるのが嫌になっているのなら、わざわざ怒らせる必要もないでしょう。むしろ、あなたなら、口車に乗せようと思うんじゃないですか?」
「何を言う。我は、策をめぐらすような―――」
「私には、あなたも怒っているように見えて、仕方ないのですが」
ジュリオの指摘に、神が口を閉ざした。
「怒る? それは『保守派』ばかりが残ったことに対して怒ってるんだろう?」
ヴァンの言葉に、ジュリオはゆっくりと首を振った。
「……ヴァンさん。ずっと不思議に思っていたんですが、どうして、あなたは『復讐』を命じないんですか?」
「誰に復讐しろって? あの領主か? 奥さんか? 領主に命令されて、実際に集落を襲った人間か?」
一気にまくしたてたヴァンは視線を落とした。
「そんなことしたって、誰かが帰ってくるわけじゃない」
穏やかに目を閉じている、兄の顔を見つめた。
「あなたの養い親は立派だったのだと思いますよ。ともすれば復讐にかられてもおかしくない境遇のあなたを、そういう人間に育てたんですから。―――それでは、あなたは?」
ジュリオは白い神に問いかけた。
「あなたは、復讐したいと思っているんじゃないですか?」
「そんな、わけがないだろう。我は、あれらに縛られて―――」
「あなたと巫女との誓約がどんなものかは知りませんが、『誓約』ならば、最初の巫女とは信頼関係があったということですよね? その血を引く者を惨殺されても、復讐の意志はないと、言いきれますか? 六年前に、何もできなかった自分が悔しくて、そして復讐という楽な方法へ逃げたいんじゃありませんか?」
「……」
神が黙る。それは、紛れもない肯定の証だった。
とりあえず、ヴァンと神との、違いの意志をはっきりさせたところで、ジュリオはようやく一息ついた。
「私は、あなたとヴァンさんを王都に連れて帰るのが仕事ですから。こんなところで、解放なんかやってもらっては困るんですよ」
白い神とヴァンは、押し黙ったままで互いを見つめた。
「復讐は、……しない」
「な、んだと? お前は何も感じないのか? 親兄弟も友人も全て殺されたというのに―――っ!」
「六年前に、終わったことだ。それに、責任の一端はオレにもある。巫女としての修行内容を漏らさなければ、こんなことにはならなかったはずだからな」
「だが―――」
「うるさい。もう、決めたことだ。復讐なんてしても、無駄にしかならない」
「……」
ヴァンは胸元の葉っぱのアクセサリーをそっと握った。
「復讐を望むお前を解放はしない。だけど、もう、神とは思わない」
「な、なんだと―――?」
ヴァンは狼狽する白い神に、びしっと人差し指を突きつけた。
「オレに巫女の血が流れている限り、従うしかないのは分かっているだろう! お前は今日から神でも何でもない。ただの『ハーちゃん』だ!」
しばしの沈黙。
「……ハーちゃん?」
先に声を出すことができたのは、傍らで始終見ていたジュリオだった。
「そうだ。フルネームなんて、手順にのっとって『お願い』するときにしか、呼んでやらない。それ以外は、常に『ハーちゃん』て呼んでやるからな! 覚悟しろ!」
まだ、その衝撃から立ち直れない白い神だったが、まっすぐにこちらを見据えるヴァンを見て、ふいに、笑い出した。
「な、何がおかしいんだ。『リグちゃん』とかの方がよかったのか?」
「違う。嬉しいのだ。お前の中に、確かに最初の巫女はいるのだと」
本当に嬉しそうに笑う神、改めハーちゃんを見て、顔を赤くしたヴァンはふいっとそっぽを向いた。そして、足元に横たわる兄を見つめる。
「とりあえず、墓地に運ぶ」
「それは、私が―――」
「いいんだ。これは、オレがやる」
ヴァンは冷たくなった兄の身体に手を差し入れると、「んっ」という気合いとともに持ち上げた。
「涙も出ないなんて、冷たい、そう思ってるか?」
自嘲気味のヴァンの問い掛けに、ジュリオは返事をしなかった。
「六年前に死んだと思ってた兄が生きていて、ほんの少ししか言葉を交わさないうちに、あんなことになって、そして、オレが手を下して……。実を言うと、実感がない」
多少よろけながら歩くヴァンに、ジュリオも、ハーちゃんも黙って付いていく。
「ほんと、困っちゃうよな。人を殺したっていうのにさ」
ずり落ちる亡骸と、「よっ」と抱え直したヴァンに、ハーちゃんが「おい」と呼びかけた。
「山に、お前達を探す輩がいるが、どうする?」
「そのままにしておいたら、見張りのダイアンとかに迷惑がかかる。記憶をいじって追い返せ。何もここには来なかったってな」
「……それは、『お願い』か?」
意地悪い声で聞き返すハーちゃんに、ヴァンはファン語で同じことを告げた。手順にのっとり、相応した言葉を選んで。
「埋葬を終えたら、どこへ?」
「そうだな、家には戻れないし、……お前の言う王都に行くのもいいかもしれない」
ヴァンは呟くと、空を見上げた。東の空は赤紫のグラデーションができあがっている。六年前の真実を見つけ、ようやく朝が来たのだと、ヴァンの胸に実感が湧き上がってきた。




