39、タイトルは、水彩の
マイロニーが道具を一式手渡す。百円ショップでも売られているような、子供向けのイラストが描かれた絵の具や色鉛筆。マイロニーは中里に振り返って、
「油絵用の絵の具とかキャンバスも一応あるけど、使う?」
と聞いた。
中里はマイロニーの描いたレモンの木を見つめながら、しばらく俯いて
「…いえ、クリスと同じものをください。」
と呟いた。
中里と反対側にまわり、木を見上げる。見れば見るほど立派な木だ。黄金色に輝く実は、今が一番美味しいのだと主張してくる。
くん、と漂うすっぱい香りが鼻をくすぐる。目を閉じて、ゆっくり、もう一度香りを探し当てるように息を吸う。
ザワ、ザワ
カサカサカサ
ひゅるるるる
カサ
ルル
ルラララ
…………………サワ
サワサワとすっかりぬるくなった風が耳をなでた。一瞬、どこからか歌声が聞こえた気がした。
鉛筆を取り、軽く下書きを始める。今は時間が無いから簡単でいい。サッサっと紙と鉛がこすれる音がする。真っ白な紙に浮かび上がってくる想像の数々。私、想像力だけは誰にも負けない自信があった。
下書きが終わると絵の具をチューブからパレットに出す。青、赤、紫、黄色、黄緑。そして、白と、黒………………。
この絵が完成したら、マイロニーは喜んでくれるだろうか。いや、喜ばせよう。喜んでほしい。私が、いかに水彩画が好きかをぶつけたい。
この時は夢中で気がついていなかった。あとから、この時私は誰かを想って描いていたのだと気づいた。誰かのために描く絵って、難しいんだ。この時は時間制限があったために簡単にすませた。だけど、描き終わった時に謎の満足感がこみ上げてきたのだ。
空が赤から紺色のグラデーションになり、東の空に星がのぼり始めた頃、マイロニーは私の絵をのぞきにやってきた。そして、少し驚いたような顔をすると、優しい微笑みでクスリと笑った。
「タイトルは?」
「タイトルは………水彩の、『水彩の美しい声』。」
「そうか………いい絵だ。」
そして嬉しそうに絵を掲げ、光にすかして絵を見るのだった。
夕暮れの中青い木に実るレモンの実を集めている、白と黒の翼を生やした二人の少年少女の絵を。




